現代では風呂敷を使っている人を見かけることは皆無と云っていいほどですが、「2階の整理を始めたら、風呂敷が出てきましたから・・・」と純子さんから声がかかり、杉浦家の風呂敷コレクションを拝見しました。「風呂敷」は、古くは衣包(ころもつつみ)、平包(ひらつつみ)と呼ばれていましたが、室町時代に大名が風呂に入る際に平包を広げ、その上で脱衣などして服を包んだ、あるいは足拭きにしたなどの説が「風呂敷」の語源のようです。杉浦家の風呂敷は、絹製だけでもざっと40枚ほど。日用に使った木綿を含めると7,80枚になろうかという数です。絹の風呂敷も加工方法によって、それぞれ独特の肌触りと質感があることを知りました。心地よくしっくり馴染む「ちりめん」、杉浦家の家紋入りは「紬(つむぎ)」、着物にも多いという「絽(ろ)」など、それぞれの目的によって織り方を変え風合いを醸すよう工夫されています。その上、色と文様にも懲り、そのまま額装して展示したくなるようなものばかりです。色は、現在では多様化して、特に拘らないようですが、伝統的には、慶事に先方へ祝いの気持ちを伝える色として朱色、敬意を表すとされる紫色、弔事には藍色、慶弔両方に用いることができる山葵色、えんじなど利用目的によって基本的な色あいは決まっていたようです。
風呂敷の文様で一般的なのは、泥棒の必需品のように描かれてきた唐草模様ですが、この唐草文様は古代エジプトで生まれ、シルクロードを渡って日本に入り、江戸時代に風呂敷文様として定着した歴史ある伝統文様です。それは、唐草が四方八方に勢いよく伸びることから、限り無い延命や長寿、子孫繁栄の象徴として大変縁起が良い柄とされ、婚礼道具や布団を大きな唐草の風呂敷で包んだそうです。唐草模様の風呂敷で盗品を持ち出した泥棒も四方八方に逃げて捕まらないよう縁起を担いだとしても不思議ではありませんね。杉浦家の風呂敷の文様は、デザインされた家紋だったり、花鳥風月を題材にした日本独特の吉祥文様が中心ですが、当時としては斬新な無地、小紋や染め糸を用いた織による縞や格子文様など意匠化された文様もあり、デザイン的にも古さを感じさせません。同時に「甲府岡島呉服店」「松坂屋呉服店」「東京三越」など製造元や販売店の箱や包装紙と一緒に残されているのが杉浦家の全てに共通する保存方法で、一層の興味と価値を高めてくれます。「杉浦家風呂敷コレクション展」を企画しますので、乞うご期待!