2018年12月19日水曜日

杉浦醫院四方山話―565『 ≪インフェクション コントロール≫誌の新連載』

 世の中には、専門分野ごとに各種の専門誌がありますが「ICT・ASTのための医療関連感染対策の総合専門誌」  として「インフェクション コントロール」と云う雑誌があることを知りました。

専門誌は読者が限定されていますから、読者には分かっても素人には一つ一つ調べていかないと分からない用語や言葉が多いのが特徴です。


例えば「ICT・ASTのための・・・」でも、はてICTとは?ASTって?です。

調べてみると「ICT」は、院内で起こる様々な感染症から患者や職員の安全を守るために感染対策がすべての院内で正しく実践されるよう取り組んでいる活動組織だそうです。

「AST」は、薬剤に関する業務に関してICTから独立して、主に医師に対して抗菌剤の処方のアドバイスを行っている薬剤師の組織のようです。


 ですから、今回当館に「謹呈」された2019年1月号の「インフェクション コントロールVOL28号」誌は、感染症特に院内での感染症対策に携わる医師や薬剤師、看護師と云った方々に向けた専門誌であることが分かりました。


 この専門誌で今号から「寄生虫からひもとく風土病探訪記」の新連載がスタートし、その記念すべき初回に「忘れてはならない戦いの歴史:風土伝承館・杉浦醫院」と云うタイトルで、当館が紹介されました。


 この連載は、静岡県立大学静岡がんセンター感染症内科部長の倉井華子先生が執筆していくのでしょう、文頭に「連載にあったて」として、「出来る限り現地に足を運び、生の声をお伝えします」と結んでいるように先生は、9月に当館に取材にみえました。


 先生自らが撮影した写真と共に当館と山梨県民の地方病終息に向けた歴史も紹介され、端的に先生の「思い」「願い」で締められています。

『感染症が制圧されることはすばらしいことであるが、診断を想起できる医師が減ることは事実である。目の前に住血吸虫症の患者が来たら、あなたは診断することはできるだろうか?日本住血吸虫症という疾患に苦しんだ患者が数多くいたという事実、戦いの歴史を私たちは忘れてはならない』と。


 この倉井先生のご指摘は大変貴重で、故林正高先生が生前一番危惧されていた課題でもありました。

 

 それは、山梨県では地方病と呼ばれていた日本住血吸虫症は、その流行期の昭和2、30年代でも県内から首都圏始め県外に嫁いだり就職した人が、体の不調で受診しても県外の医師には、日本住血吸虫症を知らない医師も多く診断が出来ず、杉浦三郎氏はじめ県内の医師の診断で初めて地方病であることが分かり、治療が始まったと云うケースが多かったのが、限られた地域の風土病の怖い一面として、県内の医師には語り継がれているからです。


 時代と共に医師の専門性は高くなり、自分の専門以外については逆に知識としても薄らぐ傾向は否めません。現代の日本では感染症は「院内感染」が主流になりつつありますが、倉井先生が本稿でも「制圧できたと考えられていた感染症が再び問題となることは歴史的にもある」と断言している通りでしょう。

 だからこそ、感染症専門家対象の「インフェクション コントロール」誌で、倉井先生は院外にも眼を向けるよう「寄生虫からひもとく風土病探訪記」を企画したように思います。

これを機に、多くの感染症専門家の皆様のご来館をお待ちしております。 

 

2018年12月5日水曜日

杉浦醫院四方山話―564『NHK・BS1で全国放映』

 今夏、NHK甲府放送局が制作したローカル番組「ヤマナシクエスト」が、BS1で全国放映されることが決まったそうです。

この全国放映は、全国各地のNHK支局が製作したローカル番組の中から、セレクトされたものが放送されると云う事ですから、山梨の地方病終息の歴史をフィリピン人留学生医師と獨協医科大学の寄生虫研究室の皆さんがたどったこの番組は、NHKが山梨県民にだけではなく多く日本人に観て欲しいということでしょう。


  この番組で、私が特に印象に残ったのはフィリピン人留学生医師イアンさんが、山梨県内で官民挙げてミヤイリガイ殺貝活動に取り組んだ歴史や実態を知って「フィリピンでは国民がこの病気を受け入れてしまっているから、日本のような取り組みはない」と云う率直な感想でした。

 

 日本住血吸虫症の患者には、日本では「スティブナール」が特効薬として使われてきましたが、現代では、ドイツの製薬会社バイエルが1970年代に開発した「プラジカンテル」が使われています。

山梨でも新たな発症者が激減し終息も近いと云われた時期に開発された「プラジカンテル」は、WHO(世界保健機構)によって医薬品の入手が困難な開発途上国の最小限必要な医薬品の1つに採用されました。

 

 その結果、中国からフィリピンにかけての東南アジア諸国では、日本で行ったような日本住血吸虫症に罹らない為の予防、啓発活動やこれを根本的に終息させる取り組みは進まず、罹った人は、一本750円前後の「プラジカンテル」を注射して対応することが国民に浸透して、現在に至っているようです。

 

 イアンさんの「フィリピンでは国民がこの病気を受け入れてしまっているから・・・」の言葉は、プラジカンテルで対応すれば事足りると云う現状を憂いての感想なのでしょう。


 当館が伝承していこうとする日本の山梨の地方病終息の歴史は、例えば、黄熱病=野口英世博士と云った個人の業績では語れない、多くの農民であったり、医師であったり、役人であったり、住民であったりの総合された協働の成果に拠る所にあります。

であるからこそ、多くの物語を内包しているのが、地方病終息の歴史でもあります。ある意味ドラマチックな展開が日本の近代史と共に進む終息史は、個人的にはNHKが大河ドラマに仕立てるに十分な素材だとも思っています。

 

 全国放映が決まった「ヤマナシクエスト」には、そんな当館の思いも入っていますから、多くの皆様に観ていただきたく案内させていただきました。


NHK BS1  2018/12/13(木)  18:27~

ヤマナシ・クエスト

「地方病を撲滅せよ〜山梨県民 不屈の100年戦争〜」 

出演 伊東敏恵

「日曜美術館」の伊東敏恵アナウンサーのナレーションは、程よい低さで静かな語りと相まって絶妙です。 

2018年12月3日月曜日

杉浦醫院四方山話―563『2018杉浦醫院庭園の紅葉』

 寒さを体感するようになるとテレビや新聞などでは「気温も下がり、木々も一斉に色づくこの季節、風流に紅葉狩りを楽しみたいですね」と云ったアナウンスや記事が溢れ、名所や付随するイベントが紹介されたりと四季の有る日本では、自然の移ろいでニュースや番組まで作れることを実感させられます。

 

 山梨では、「紅葉狩り」の前は「ブドウ狩り」や「キノコ狩り」も楽しめますが、同じ「狩り」でも「紅葉狩り」は趣がちょと違います。

それは、狩猟をしない貴族が、紅葉を見ながら宴を開き、和歌を詠んで勝負する「紅葉合」が平安時代に流行したことから、彩られた山々や木々を観賞する「紅葉狩り」が時代と共に庶民の間にも定着していったそうですから、「狩る」は「きれいな紅葉を探し求める」という意味なのでしょう。まあ、そう考えると美味しい葡萄や安全なキノコを探し求める「ブドウ狩り」や「キノコ狩り」も同じですね。


 この紅葉は、一般的には「気温が急激に下がることで、光合成によってできる葉の中のタンパク質が枝へと移動できなくなり、糖類が蓄積されて、緑の色素である葉緑素が壊れていくために起こる現象」と云われています。しかし生物学者の福岡伸一教授は、「赤の色素や黄色の色素云々という仕組みを説明するのがせいぜい」で「あんなに青々と茂っていた葉がなぜかくも美しい赤や黄に変わるのか、その理由は生物学者にもわからない」とし「紅葉が美しいと感じるのは人の心の作用なのだと悟った」と朝日新聞のコラムで結論付けていました。


 確かに、癌と診断され『来年の紅葉は見られません』などと宣告されれば、これまでさほど興味もなかった桜や紅葉など身の回りの全てのものが全く違って見え出したと云うエピソードはよく聞きますから、ミモフタモナイ福岡教授の結論「紅葉が美しいと感じるのは人の心の作用なのだ」が真理かも知れません。


 同時に、日本住血吸虫の虫卵から孵化したミラシジウムが、同じ巻貝のカワニナには寄生しないで、なぜミヤイリガイだけに寄生するのか?なのに、なぜホタルの幼虫は、ミヤイリガイもカワニナも餌にして食べるのか?現在も解明されていませんから、自然界の事は分からないことの方が多いのも確かなのでしょう。


 何はともあれ、日本の気候風土が織りなす世界一美しいと云う日本の紅葉を素直に愉しめる人でありたいと今年も杉浦醫院庭園の紅葉をカメラに納めてみました。