2011年5月27日金曜日

杉浦醫院四方山話―48 『杉浦家5月のお軸―2』

晩春と初夏の微妙な季節である5月は、杉浦家の座敷の掛け軸も月の前半と後半で掛け替えて、月初めは、43話で紹介した「躑躅の軸」でしたが、現在は「藤の軸」になりました。茶席では、開催する時間やお茶の濃淡によっても軸や茶花を変えるのが正式だそうですから、月に2回の掛け替えも純子さんには、当たり前のことのようです。
 5月後半の後伏見院真筆の「藤のお軸」について、桐箱の中にあった資料を基にご紹介します。 この軸も八百竹美術店経由で杉浦家に納められた一幅ですが、小林店主が杉浦家に紹介した掛け軸は、全て細身で上品な色合いの表装で一貫しています。これは、純子さんが武家茶道「有楽流」の師匠であることにも関係し、「茶掛け」と云って一般の掛け軸より控え目な大きさと色合いが特徴です。本紙の短冊切り作品は、かな書とはいえ、後伏見天皇の真筆が達筆すぎて私には解読できませんが、「藤の軸」と云うとおり、古今和歌集135番の「藤」をテーマに歌ったものです。作者は、柿本人麻呂との説もありますが、定かではありません。
 『我が家の池のほとりの藤の花は、波のように揺れて咲いているのに、山のホトトギスはいつになったら訪れて、鳴き出すだのだろうか』と云った内容かと思います。 藤は晩春から初夏にかけて咲きますから、花の盛りがホトトギスの訪れる時期と一致するはずなのにまだ鳴き声がしない。と云った、初夏の到来を知らせる時鳥を待望する花鳥風月を愛でた歌といえましょう。
 掛け軸は、着物や花器と同様、「茶道」と共に定着して現在に至っていますが、私たちの日常習慣や礼儀作法の大部分も茶道からのものであることからすれば、「千利休」は、銅像やお札になって、もっと顕彰されてしかるべきだと思うのですが・・・反面、「茶道」は何か取り澄ました上流社会のシンボルといった印象や金持のお稽古事といったうさん臭さも感じます。「侘び寂び」といった言葉や茶会の静かで瞑想的な雰囲気から、利休も枯れた哲人的芸術家のような人物像を想像しますが、最期は秀吉から切腹を命じられ、ほとんどの高弟も切腹ないし斬殺といった悲惨な死を遂げていますから、茶聖として神のように崇められている利休像とはかけ離れた血みどろの生活の連続でもあったようです。茶道に限らず、日本の文化は、「以心伝心」と云う言葉があるように師の教えを文書で伝えるのではなく、口伝や心や体で覚え、伝えていくことを重んじてきましたので、利休はじめ創始者の実像や正確な史実が残っていないのもカリスマ性創造には、逆に有効だったのでしょう。

2011年5月24日火曜日

杉浦醫院四方山話―47 『大山蓮華(おおやまれんげ)』

 純子さんからは「父は、煙草が唯一の楽しみだったようです」と聞きましたが、医院裏に観葉植物の為の温室を三郎先生が建てたそうですから、植物にもかなりの造詣と趣味を持っていたのでしょう。そういう環境で育った純子さんのもとには、季節ごとの「花」の贈り物が絶えません。東京や神奈川からは、花屋さんを通してですが、ご近所や県内の方からは、庭に咲いた花が直接届きます。先日は、西条のMさんから、「いつもならゴールデンウイークには咲き出すのに今年はだいぶ遅い感じ・・」と路地咲きのバラが香りと共に届きました。「じゃあ、ホタルも例年より遅いかな」と思いましたが、花や昆虫など自然の営みは、人間のあいまいな感覚や思い込みより正確に気温や湿度を計測しているようで、「4月の少雨で、今年の筍は県内どこでも不作です」のとおり、杉浦醫院の筍も例年ほどふっくら太りませんでした。
 2日後には、西条新田のNさんが、「庭の大山蓮華が3輪咲いたので、純子さんに渡してください」と写真のようなしっかりした蕾の一輪を届けてくださいました。「大山蓮華は、神奈川の大山に咲く花ですか?」と素朴な質問を発すると「低地では、根付かない山の花ですが、庭師が植えてくれたせいか、毎年数輪、庭で咲くようになったので、純子さんが喜んでくれますから」と出勤途中の忙しい中でのプレゼントでした。純子さんも「あっ、大山蓮華。千秋さんから?」と喜び、すぐ花器選びに入りました。この「大山蓮華」、私は観るのも聞くのも初めてで、「気品とはこういうものか」と真っ白な蕾に見入ってしまいましたが、別名「森の貴婦人」と云われ、美人薄命を地でいくような短い命で、深山に静かに佇むそうですから、日本人の感性に合うのでしょう、自生地での盗掘と鹿の食害で自生もめっきり減少しているそうです。本格的な茶席には欠かせぬ大変貴重な花で、濃茶席には「大山蓮華」、薄茶席には「夏蝋梅(なつろうばい)」と云われ、信楽焼きの男性的な花器によく合い、五月の茶花として幽玄を醸すよう露を打って床に置くのが流儀だそうです。
 昨日は、河口湖にお住まいのTさんが、幻の花「敦盛草(アツモリソウ)」を持参下さいました。野生ランの中では、大きな花を咲かせることから「野生ランの王者」ともいわれ、寒冷地の植物なので甲府盆地では栽培が難しく、河口湖でも育てるには、技と愛情が不可欠だそうです。いただいた一輪を純子さんはしかるべき花器と位置を選び、季節の花を楽しむ生活が習慣になっていますので、持参する方も「価値が分かる純子さんに」という相乗作用で、花の贈り物が絶えないのでしょう。「その人の現実にあった現実しか持てないのが人間!」と云ったマルクスの名言が、ふっと頭をよぎった「花々」でした。

2011年5月20日金曜日

杉浦醫院四方山話―46 『映像の蓄積』

 昨年11月に四方山話―9で紹介した『科学映像館』が配信している原発関係の映像3本は、5月に入っても視聴ランキングのトップ3です。この3本の映像は、今回の事故に伴う映像ではなく、「福島の原子力」は第一原子炉の建設記録ですし、「黎明」「原子力発電の夜明け」は、原発の建設過程や運用の実際、原発の大きさや構造などを紹介した原発の内部映像などです。     
 科学映像館久米川理事長のお話では、この原発関係の映像は、昨年末から配信していましたが、3月11日の大震災以降、多くの方からアクセスが続き、特に「福島の原子力」は、飛び抜けた視聴数となっているそうです。5月2日までに「福島の原子力」が72,391回、「黎明」が32,274回、「原子力発電の夜明け」が10,124回再生されていますから、今回の事故を契機に「原発」についての正確な知識や情報が必要なことから、誰でもいつでも無料で見られる「科学映像館」の存在と配信映像がクローズアップされ、国会図書館も映像資料の保存に向け、久米川氏と協議を始めるそうです。
 「福島の原子力」は、制作が東京電力ですから「原発推進のPR映像」でもありますが、内部映像などは、今後の事故処理にも貴重な資料となることなど映像の持つ「客観性」と「記録性」も含め、映像を蓄積しておくことの重要性を示唆しています。
「原子力発電の夜明け」http://www.kagakueizo.org/2009/03/post-76.html

 久米川理事長との交信の中から、当館制作の杉浦醫院紹介DVDも「医学・医療」カテゴリーから配信され、更に来週からは、都留市の浄土宗「清涼寺」境内にある「儀秀講」社の再建を由来から追ったドキュメンタリー映像が配信されます。谷村町の電気屋さん「オーディオ&ビデオ・ネズデンキ」の根津智一氏が一人で製作した映像で、地域のお稲荷さん「儀秀稲荷社」の建て替えを記録した約30年前の映像です。映像には、テーマであるお稲荷さんの由来や地域とのかかわり、建て替えへの過程や方法と共に当時の町の様子や人々の生活も残り、地域にとっても貴重な歴史民俗資料であることに気付きます。

 杉浦醫院参観者から「押原小学校の5号館も残せば良かったのに」と云う感想を聞くたびに「せめて映像で残っていたら違うだろうな」と思っていましたので、のどかな田園風景が一変したイオンモール甲府昭和店界隈の記録映像は撮ってあるのだろうか?と急に心配になりました。
昭和町は、今年町制施行40周年を迎えます。「10年一昔」は、昔のことの感が強い昨今ですが、せめて、10年に一度は、町内の映像を撮っておく必要性を痛感します。また、「昔は結婚式も家でやったもんだ」と同様に、この10年で、家での葬儀もすっかり無くなりましたから、現在普通に行われている祭事や行事を個人も含め地区と役場で分担するなどして映像に残し、昭和町の歴史や民俗を語り継ぐ資料として蓄積していくことの意義を故根津智一氏の映像が静かに教えてくれました。

2011年5月16日月曜日

杉浦醫院四方山話―45 『CO2悪者説再考』

 杉浦醫院の公用車に役場総務課では「プリウス」を配車してくれました。これは、地球温暖化が世界的課題だと京都議定書が採択され、日本では「エコ」が全ての基本になり、行政はその先頭になって、CO2に代表される温室効果ガス削減に取り組む中で、ハイブリット車の採用が全国の役場で進められた結果です。杉浦醫院に配車されたプリウスにも「みんなで止めよう 地球温暖化 昭和町」と両サイドに大きく記されていますから、上記の購入目的は明確です。数年前、この車が納車された時、私は親しい同僚に「恥ずかしい車で、俺にはとても乗れないねぇ」と率直な感想を漏らしました。「燃費がいいからガソリンの消費が減って、ストップ温暖化に貢献する。こんなマヤカシは無いよ。あの大きなバッテリーは数年で取り換えが必要だから、大バッテリーの処分や生産に化石燃料は欠かせず、レアメタルの電動モーターや複雑かつ高品質の制御装置など古い車に乗れるだけ乗る方がよっぽどエコだ。だいたい、地球が温暖化しているというのも本当かどうか、むしろ寒冷化しているという学者もいる。更にCO2が地球温暖化の原因だなんてとても言いきれない。太陽の黒点増減説の方がまだ検討に値する」等々の講釈も垂れた記憶があります。それを知っていたのか、因果応報か、その車が配車されてきました。「主な用途は、ゴミ出しや雑草の運搬なので、弁当箱と云われる軽のワンボックス車で、力を引き出せるマニュアル車を」と希望していましたので、破格の車の配車に感謝と共になぜ?と驚きました。しかし、荷物の積めないプリウスは、その都度、教育委員会の軽トラや弁当箱と交換しに行って・・・という状態では、プリウスの購入目的にも添いませんので、車の交換をお願いしてきましたところ、5月から総務課の軽乗用車と交換されました。
 福島での原発事故を経て、池田清彦氏の新刊「激変する核エネルギー環境」(ベスト新書)が早くも増刷されました。池田氏は、山梨大学教授時代から歯に衣せぬ「正論」が気持よく、著書を愛読し、文化講演会講師にも招聘してきました。今回も「何度も言うようにCO2を悪者に仕立てて、原発を推進してきた原子力利権集団の罪は重いと思います」と明解です。「原発推進」の為には「地球にやさしい原子力発電」の宣伝が一番だと「地球温暖化の元凶は、火力発電所のCO2説が急に出てきた」と数十年前から唱えてきた池田氏は「京都議定書順守は、ドブに血税を捨てる愚策。その金で新エネルギー開発を」とテーマも絞り、地熱やバイオマス(藻類)と共にメタンハイドレートなど代替エネルギーの可能性について生物学者としての見解も具体的です。「原発の安全神話」崩壊が白日の下に晒された現在、「CO2は生態系にはほとんど何の影響もないし、CO2や地球温暖化で死者は出ませんから、CO2削減という日本中をマインドコントロールしている呪縛から抜け出すことこそ日本の進路だ」と説く国士・池田氏の「激変する核エネルギー環境」。一読に値します。

2011年5月14日土曜日

杉浦醫院四方山話―44 『落書き考』

 落書きは、落書(らくしょ・おとしがき)を語源としたように、文字通り「人を落とす」為に、その人を揶揄したり風刺する内容を家の門や壁に貼ったり、わざと目に付く場所に「落とした」ことから、現在の「落書き」になったといわれています。
 杉浦醫院の玄関内外にも多くの「落書き」が残っていますが、この「落書」にあたる内容の「落書き」は皆無です。これは、杉浦医院玄関落書きの由来にも関係しているようです。
当時の杉浦医院は、庭先に近所の農家が、患者さんが帰りに買い求める野菜売り場を設けていたという程県内各地から押し寄せた患者さんで、六畳程の和室待合室は満杯だったといいます。いつの時代でもじっと待てないのが子どもですから、大人の患者で溢れていた待合室から外に出て、石や木片で土壁に魚を彫ったのが、始まりだそうです。
 夢中で壁に魚を彫っている子を見て、「先生、あの子が壁にいたずら書きをしてまーす」と言いつける現代語ではチクるのも子どもの世界の常ですが、経験による偏見では、女の子に多いと断言でき・・・ますが「昔は」を付けておきましょう。云いつけられた三郎先生は、「どれどれ」と玄関に出て、その絵を見て「上手に描けたなー」と描いた子の頭をなでたそうです。
それ以来、「杉浦医院の壁には何を書いてもいいんだ」という風評と共に至る所に落書きが広がったようです。子どもの落書き、それも上手な魚の絵から始まったという歴史が、落書きの内容にも影響しているのでしょう。
 中には「これは、間違いなく大人だな」という「花に嵐のたとえもあるぞ サヨナラだけが人生だ」と今もはっきり読み取れる二行が「無頼」と署名してあります。これは、井伏鱒二の『厄除け詩集』にある漢詩の名訳ですから、書いた患者は、井伏ファンの酒飲みで通院していた者と確定できます。



詩人于武陵の「勧酒(酒を勧む)」の結句四行も井伏鱒二センセイの手に係ると・・
勧 君 金 屈 巵  この盃を受けてくれ 
満 酌 不 須 辞  どうぞなみなみつがしておくれ
花 発 多 風 雨  花に嵐のたとえもあるぞ
人 生 足 別 離  さよならだけが人生だ。  となり、

詩人 高適の「田家春望」もセンセイが訳すと・・  
田 門 何 所 見  家を出たれどもあてどもないが
春 色 満 平 蕉  正月気分がどこにも見えた
可 嘆 無 知 己  ところが、会いたい人もなく
高 陽 一 酒 徒  阿佐ヶ谷あたりで大酒飲んだ。 と・・
「酒と女は群馬に限る」と云ったかどうか、県立文学館の井伏鱒二コーナーでどうぞ。

2011年5月12日木曜日

杉浦醫院四方山話―43 『杉浦家5月のお軸』

 5月になりましたが、高低差のある山梨県では、富士北麓や八ケ岳南嶺には桜がまだ残り、甲府盆地ではツツジが咲き、藤の花房がほころんでいます。季節の変わり目であるこの時期、草の花も新緑に映えてきれいですが、草は「雑草」として、忌み嫌われているのが気になります。
 古典で言う5月(さつき)は、現行の暦では6月中旬以降ですから、「五月雨(さみだれ)」は、現在の梅雨を指し、五月(さつき)は、うっとおしい季節の象徴として使われ、現在のさわやかな5月のイメージとはだいぶ異なります。
 このように春と初夏の微妙な季節に加え、日本の古典との暦の違いも重なって難しい季節である5月の杉浦家の掛け軸は、「躑躅ツツジ」です。
 私たち甲州人は、「躑躅が崎の月さやか 宴をつくせ 明日よりは・・」の武田節で、この「躑躅」という漢字にも免疫がありますが、とてつもなく難しい漢字で書けないどころか、読めないのが一般的でしょう。
 躑躅[つつじ]は、春の季語ですが、春の季語も早春から晩春まで細かく分かれ、躑躅は早春に使うと「笑われる季語」だそうで、「ダイタイでいいや、ダイタイで」といった感覚では味わえない世界のようです。
 この軸も細身で控え目な掛け軸ですが、装丁の色調が思わず唸ってしまう形容しがたい素晴らしい色合いで、無粋な私でも「いいものですねー」と見入ってしまいます。書は、「和漢朗詠集」の短冊切りの作品です。句の下の「白」「順」は、詩句の作者名を略したもので、「白」は白居易、「順」は源順です。では、井伏鱒二センセイ風に勝手な解釈をしてみましょう。
躑 躅  
*晩蘂尚開紅躑躅 秋房初結白芙蓉
(暮春の花、紅つつじも遅咲きの花の頃になると、秋の花である白い蓮の花が早くも蕾をふくらませ、姥より蕾に眼が行くなぁー)白居易

*夜遊人欲尋来把 寒食家応折得驚
(深紅のつつじの花を、燈火にと夜遊び人は取ろうとするだろう、火のない寒食の家では火種にと折り採って、花であることに驚くだろう)源順

*おもひいづる ときはのやまの いはつゝじ いはねばこそあれ 恋しきものを
(あの人のことを思い出すときは、常磐の山の岩つつじが人知れずひっそりと咲いているように、言葉に出さないから人は知らないけれど、心はあなたへの恋しさでいっぱいです)

最後の和歌は「古今集」所収の詠み人知らずの恋歌ですが、こうして解釈を試みてみるとやはり漢詩より和歌の方がピンときます。「ときわ」の掛詞や「イハつゝじ」と「イハねば」の押韻など日本人の洒落と和歌の奥深さ、かな書の美しさを教えてくた「5月のお軸」です。