2014年8月15日金曜日

杉浦醫院四方山話―355 『女優・鈴木京香さん来館』

 当館では、4年前のプレオープンと同時に歴史建造物を映画やテレビドラマなどの撮影場所に提供して活用を図っていこうと、県が進めるフィルムコミッションにも登録し、撮影希望に応じてきました。

これは、昭和初期の病院建物と医療機器が原形のまま残り、全て実物である当館の特徴を活かした文化財活用の一つとして、病院としての撮影を予想しての登録でした。

しかし、これまで具体的に使われたり、視察に見えた撮影側の設定は様々で、病院設定での話は未だありません。先日は、人気のAKBメンバーの一人が主演するホラー映画で、彼女の実家が地方の旧家で、御屋敷と云ったイメージの撮影場所としてでしたが、シナリオには「大きな洋館」とありましたから「ここは全て日本家屋ですよ」と担当者に伝えると「その辺は大丈夫です」と沢山写真を撮って帰りましたが、後日「監督のイメージとちょっと違ったようで・・・」と連絡がありました。


  昨日の撮影は、BS日テレの『迷宮TRANOVEL~太宰治「走れメロス」と中期短編集~』というテレビ番組で、太宰治ゆかりの甲府を女優の鈴木京香さんが訪ね、現地で中期の短編を朗読するという内容でした。

 太宰が甲府で暮らした時代の洋室や建物が必要なことから、当館の醫院応接室と廊下で鈴木京香さんが、「女生徒」と「新樹の言葉」の2編を朗読するという撮影内容でした。


 暑い中、総勢15名余のスタッフが各部署の撮影準備に入り、手分けしてのリハーサルを終えると大型ワゴン車内で待つ鈴木京香さんが颯爽と現れ、事も無げにソファーに座り、「女生徒」の本に目を通したかと思うと本番、全て一回でOKでした。


 朝陽の射す洋室と云う設定が夕方5時過ぎからの撮影でしたから、東側のガラス窓越しにライトを付け、扇風機で風を送り・・・と、スタッフが知恵を出し合っての撮影をモニター越しに拝見しましたが、爽やかな朝の洋室で、綺麗な鈴木京香さんが落ち着いた声で朗読する女生徒は、見応え、聴き応えがありました。長い廊下での撮影も壁を背に無造作に座って本を読む鈴木京香さんを遠くから引いて撮影していましたが、見慣れた醫院廊下が女優の息吹でこんなにも見違えるのかと思う映像で、完成が楽しみです。


 9月7日19時より放送とのことです。醫院内にあった置物も何気なく使われたり見どころ満載です。「観てのお楽しみ」が半減しますので、詳細はこの位にしますが、色紙サインにも快く応じていただいた鈴木京香さんは、日本の芸能界では別品に位置する美貌と風格、気品を備えた「別嬪さん」であることを遅まきながら認識いたしました。  

2014年8月13日水曜日

杉浦醫院四方山話―359 『花まる先生 若尾久氏-2』

 純子さんも巌さんの奥さんを「隣のおばちゃん」と呼び、現在も親交の続く若尾家ですから、花まる先生の「久」さんの名付け親も三郎先生だったそうです。

当館も駐車場の大きなサインを隣接する若尾さんの塀に取り付けさせていただいたり、何かと便宜を図っていたいただいてきました。

駐車場整備の段階で、若尾さんがトラクターなどを収容している農業用倉庫の敷地との境に新たにアルミフェンスを設けましたが、花づくりが趣味の久さんがフェンス越しに花木を植えて駐車場に花を添えてくれました。


 3年半ほど前でしたか、久さんから「朝顔の種を採りたいんで、フェンスに朝顔をはわせてもいいでしょうか」と声を掛けられました。「いつもきれいな花を楽しませていただいていますが、今度は朝顔ですか」と聞くと「実は、仕事がすっかり学校巡りになって、朝顔の種を子どもたちに育ててもらって、命の勉強に役立てたいと思いましてね」と控え目におっしゃり、学校や幼稚園の求めに応じて、久さんは全国を回っていることをその時知りました。

アサガオは、朝撮らなければ花が写りません。本気度が問われていますね。

  それから毎年、写真のように夏はアサガオのグリーンカーテンが出来、朝来ると花が迎えてくれるようになりました。秋になると久さんが丁寧に種を収穫している姿をよく見かけ、久さんが講演で忙しい時には、巌さんが種取りをして応援していますから、若尾親子の「命のアサガオ」でもあります。

 アサガオの種もカシオ計算機の社会貢献事業費から幾らでも購入は可能でしょうが、久さんの本気で立ち向かう姿勢の中には、そのような選択肢は無いのでしょう。

自ら蒔いて育てたアサガオを次の命のバトンとして、種を収穫し子どもたちに直接渡すアサガオの命のリレーを通して、子どもたちに具体的、継続的に「命」を見つめ、意識させようという久さんの授業には、このようなシャドーワークがいくつも隠されていることでしょう。

  

 この西条新田発のアサガオの種は、全国の子どもたちによって育てられ花を咲かせています。横浜の小学校では、「奇跡の発芽」として話題になった事例も紹介されています。

「持続可能な社会構築」事業でもありますから、若尾さんの「命のアサガオ」は、子どもたちが作った牛乳パックの鉢に種が蒔かれ、「奇跡」のような発芽を子どもたちが実体験したようすは、ここをクリックしてご覧いただけます。

 これを読むと若尾久さんの本気の取り組みと授業を通して子どもたちと築き上げていくしっかりした絆と云ったものやなぜこの授業が全国に広がっているのかについてもお分かりいただけると思います。

2014年8月11日月曜日

杉浦醫院四方山話―358 『花まる先生 若尾久氏-1』

 杉浦醫院のお隣、若尾巌さんのご長男・若尾久氏が8月9日(土)付け朝日新聞全国版に「花まる先生」として紹介されました。毎週土曜日のこの教育欄では、毎回ユニークな教育を実践している全国の教員が紹介されてきましたが、今回は何故か「特別編」と注釈が付きましたから、学校の教員以外では若尾さんが初めてなのでしょう。新聞記事には「山梨県昭和町」云々もありませんから、気付かなかった方も多いか?と、補足も兼ね、新聞記事と若尾さんについてご紹介いたします。

 新聞記事で先ず目に入ったのが、少年たちの目の輝きと好奇心に満ちた表情に呼応する野武士を彷彿させる腹の座った若尾久氏の真剣な眼差しでした。

朝日新聞デジタル版にカラー写真がありましたからご覧いただくと、この一枚の写真に若尾さんの授業に対する思いや姿勢、若尾さんの思想が全て集約されているように思います。

写真・図版

 若尾さんは、2007年から勤務するカシオ計算機の社会貢献活動として、環境問題など持続可能な社会の構築のための活動に取り組んできました。
その中で、日本の年間自殺者は約3万人、そのうちの約600人が20歳未満の子どもたちだという現実を知り、こうした悪循環を断つためにも、子どもの世界へ働きかけることが重要だと考え、「子どもたちに何を伝えたいのか考え抜いた末、たどり着いた答えが『命』でした。やるからには形だけの取り組みにしては絶対にいけない。そのためには、子どもたちに『本気』で向き合わなければならない。」と。

 若尾さんの「本気の授業」は、これまで全国の延べ1万5千人を超える子どもたちに及び、カシオ計算機の社会貢献活動の代名詞にもなって広がり、今回の「花まる先生」にも繋がったわけですが、写真に集約された若尾さんの思いが伝わる言葉に耳を傾けてみましょう。


 当初、学校の先生方からは「子どもには分からないだろうから、そういう話はやめてほしい」と言われることも多かったといいます。
 しかし、若尾さんは『私の授業では命の大切さを伝えるとともに「何のために生きるのか」を伝えています。これは幼稚園で授業をするときも同じです。ある小学校で1年生の児童に授業を行った時のことです。授業が終わるとひとりの男の子が私に「僕は生きる意味が分かった」と言ってくれた。ちゃんと理由も「生きることは本気で生きることだ」と。子どもだから分からないのではなく、子どもだからこそ 分かることがあるのだと思います。大人の勝手な価値観で子どもの可能性を決め付けてしまっているだけで、子どもたちは本気で向き合えば必ず分かってくれる。』


『だからこそ私の授業にはマニュアルはありません。授業では私自身の人間性を伝えるようにしています。授業は毎回異なり、授業をやるごとにさらに変わっていく。子供たちから気づきをもらい、それを次の授業に肉付けしていく。子どもは大人を見て成長します。本気かどうか大人が問われているのです。』

もう一度、上の写真をご覧ください。「本気の大人が子どもを本気にさせる」過不足ない証明写真であること。その本気な大人は、昭和町に生まれ育った昭和町民であること。こんな愉快な写真は、巌さん、酒の肴にも最高ですね。     

2014年8月7日木曜日

杉浦醫院四方山話―357 『現代虫取り考』

  暑いのが当然の8月、杉浦醫院を囲む木々で止むことなく続く蝉のコーラスが時に一層暑苦しく感じさせる毎日ですが、蝉の声同様子どもの声も甲高く、庭に子どもが来たことを知らせてくれます。

 子どもの遊びもネットゲームなど室内化して・・・の指摘通り、夏休みに虫を追いかける子どもの数は確かに減少し、虫取り網と虫かごの定番セットで友達と連れ立って杉浦醫院庭園に来る子どもの顔も限定的です。

蝶やトンボ、ハチだけでなく、コンナ虫もいます。

 私も蝉の抜け殻やホタルの産卵を見るにつけ、哀れさや儚さと云った無常観が先立つ歳のせいか、山へ虫取りに行きたいと思うこともなくなって久しくなり、毎日飽きずに湯村山に登った子ども時代がウソのようですから、もっと楽しい遊びがあれば、そちらに夢中になったのかもしれません。

そう思うと、自分自身がそうであったから、現代の子どももみんな虫取りが好きだと思うのは身勝手で、より高度なゲームが簡単に出来る現代では、虫取りは魅力のないダサい遊びとなっているのでしょう。

 

がしかし、虫取りには室内やバーチャルでは学べない副産物があることを伝承しておかなければなりません。

 

 仲間にも自慢できる自分だけの虫を獲るには、発見と勇気、知恵が必要なことを学びました。

それは、早朝から夕方までの子どもの時間では、いくら探し回っても似たり寄ったりの虫しか獲れませんが、大人の時間、そう夜になると大物が獲れると云う発見でした。

発見した以上、怖さを我慢して暗い山道に入る勇気が必要になり、それでも一人では…と云う時は、友達を引っ張り込む知恵や昼のうちに下見して目星を付けておくと云った知恵も自然に付きました。

何より、若くして夜な夜出歩くことの楽しさを発見したのが一番かと思いますが、出歩く先が木々のざわめきやケモノらしき影がちらつく真っ暗闇の山でしたから、緊張の連続が充実した時間にもなり、捕まえた虫よりも夜のコピッとした山徘徊が目的化していったようにも思います。


それからすれば、後年出没したネオンの灯る怪しげな暗闇など何ということもなく、より怖そうな刺激が欲しくなったのも虫捕りの副産物だったように思い、虫捕りは「好奇心も育む」と言っていいかと思いますが、私の場合「向上心は付きませんでした」と自他とも認めるところです。
 
 
 

2014年8月6日水曜日

杉浦醫院四方山話―356 『水腫張満茶碗のかけら』

 日本住血吸虫症=地方病が、原因不明の奇病とされ恐れられていた長い間、この病は、罹った人の特徴から「腹っぱり」とか「水腫張満」と呼ばれていました。この病に罹ると茶碗のかけら同じで、使い物にならい廃人になって亡くなっていくしかないという悲しいたとえが甲府盆地ではささやかれていました。


 

  山梨放送=YBSが作成した『YBSラジオスペシャル 水腫張満茶碗のかけら~地方病100年の闘い』が、第10回日本放送文化賞関東甲信越地区代表に選ばれ、9月に行われる中央審査会に出品されることになったと云うニュースが届きました。

この作品は、2014年日本民間放送連盟の関東甲信越地区大会の報道番組部門でも1位を獲得していますから、ダブル受賞の栄誉に輝いたわけで、両全国大会での受賞も大いに期待したいと思います。


 この作品を手がけたYBSラジオの石川治氏は、立派な体型の方ですが何度か当館にも足を運び、周到な構想と緻密な取材が印象的なデュレクターでした。その上、大変丁重な紳士で、先に決まった2014年日本民間放送連盟での1位受賞時もわざわざ東京から電話でお礼と報告をいただき、今回もメールで『昨日東京で「日本放送文化大賞」の審査会が行われまして「水腫脹満茶碗のかけら」が地区代表に選ばれました。ありがとうございます。報告とお礼が遅くなり申し訳ありません。 先日の「連盟賞」とはまた別の賞で秋に全国審査が行われます。結果が分かり次第、また連絡申し上げます。 』とご丁寧な報告をいただきました。

やはり、こういった姿勢が作品に反映されるのが「仕事」の怖いところでしょう。石川氏の脚で稼ぐ取材が今回のダブル受賞の評価となったことは、労が報われた意味でも本当におめでたく、協力できたことを共に喜びたいと思います。

 

 間違いなく私より若い世代の社会人ですが、石川氏の在り様は、私のこれまでの来し方をあぶり出さずにはおられない実存で、山日新聞の清水記者、朝日新聞の谷口記者同様、山梨のジャーナリストから大いに学ばせていただいている以上、「万(よろづ)のこと、きしかたゆくすゑ思ひ続け給(たま)ふに、悲しきこと、いとさまざまなり」などと斜に構えず、しっかり来し方を顧みて、行く末に活かしていきたいと素直に思う今日この頃です。


 当343話『山梨放送開局60周年記念番組』 のDVD観賞と合わせて、この「水腫脹満茶碗のかけら」のCDを聴く会を涼しくなったら企画したいと思います。山梨放送が60周年の節目に地元の歴史に光を当て、当館もその一助になった番組を観て、聴いて、感想を出し合う会もあながち意味のないことではないと押し出せる作品であることがうれしい限りです。


 尚、山梨放送開局60周年記念番組のDVDは、過日当館で行われた昭和町社会教育委員の会議で、フルオープン後の業務報告で触れましたら、録画しておいた小池副議長が、さっそく寄贈くださいました。見学の折に観賞できますから見逃した方はどうぞ来館ください。