2016年1月25日月曜日

杉浦醫院四方山話―465 『ピンセット展』

 オランダ語のPincetが「ピンセット」として日本語のように定着し、人の手や指では難しい緻密な作業を行う道具として、日常生活から高度な医学を支える手術機器にまで広く使われていますが、日本語で「鑷子(せつし)」と云う固有名詞があるのにすっかり「ピンセット」の方が通用する感じです。

 

 甲府で代々医療機器販売をしてきた「マルヤマ器械店」の故丸山太一氏から当館にご寄贈いただいた医療器具の中に多種多様なピンセットがありますので、丸山太一氏の一周忌に合わせ一堂に展示しました。

マルヤマ器械店から寄贈いただいたピンセット(手前)とガラス機器

 ピンセットは、人間の手で直接触ると感染しかねないモノや臓器を扱うために考案されたものでしょうが、細かな作業や小さな宝石などを扱う宝飾産業の発展とともに進化した歴史があることを宝飾作家・塩島敏彦氏から聞いた覚えがあります。

 オタクの原点だと思いますが、昔流行った「切手蒐集」では、小汚い店のガラスケースから白い手袋をしたオヤジがピンセット片手に商品である切手を丁重に取り出し売っていましたが、これが私のピンセット初体験で、切手帖への出し入れにピンセットを使うことでイッパシの切手蒐集家気取りになれたことを思い出します。


 現代では、プラスチック製のものもあるようですが、材質は全てステンレスで、15種類あります。先日行われた丸山太一氏の一周忌の折にこのピンセットの話をしましたら、同居していた長女のMさんが「そうそう、父はピンセットにはコダワリがあって、とにかく新しいピンセットが出れば仕入れていましたから・・・」と医療機器の中でもピンセットにより情熱を注いだ太一氏だったようです。

  一口にピンセットと云っても今回展示したのは15種類ですが、200種類近くあるそうで、日本のピンセットの6割は、荒川区の町工場「幸和ピンセット工業」が製造しているそうです。

 手術用のピンセットは医療の高度化に伴いどんどん先端の細さが求められ、0,05ミリと云う細い加工は、機械では無理で、職人が拡大鏡を使ってカンと技術を駆使して仕上げるそうです。

 

 百聞は一見にしかずですから、この機会に用途に応じて多種多様なピンセットの世界を是非ご覧ください。

2016年1月13日水曜日

杉浦醫院四方山話―464 林正高著『日本住血吸虫症』

 当ブログで何度か紹介させていただいてきました林正高先生から、最新刊の著書「日本住血吸虫症」をご寄贈いただきました。

奥付には、「2015年12月25日 初版発行」とありますから、発行されて間もない本ですが、東京医科歯科大学の太田伸生教授の「推薦の言葉」に続き、林先生が「自序」を記しています。その最後に「付記」があり、次の文章が目に留まりました。


「本冊子が早期に出版されましたのは岐阜大学名誉教授高橋優三先生のおかげです。著者が本原稿を脱稿した8月中旬に突然、心肺停止状態となり、その原因が心筋梗塞と大動脈弁狭窄でした。9月末に弁置換術と冠動脈のバイパス術を受け約52日間は安静状態で過ごしました。その間、本冊子は高橋先生お一人により編集作業が進められました。ここに高橋先生に深甚の謝辞を申し上げます。」 (平成27年10月 甲府にて 林正高)


 

 林先生から当館宛に、「無事生還しました」と書き添えられた年賀状もいただき、賀状の印刷文面と「付記」で、昨年8月以降の先生の闘病生活の詳細を知ることが出来ました。

 
 

 往年の日活の男優を彷彿させるダンディーな林先生は、足取り軽く姿勢もよく話も端的で、私には「かくありたい」と憧れの存在でしたからびっくりしましたが、ご自分でも「医者の不養生と言うのでしょうか」と読み手に気を使わせない洒脱な病状報告に先生のお人柄が滲んでいました。

 
 

 そんな訳で、先生の前著「寄生虫との百年戦争」が、毎日新聞社の発行であることにも因るのか「読み物」として、先生の文才やセンスを窺えたのに対し本書は、医者・医学者林正高先生のライフワークの集大成として、後継者への医学資料としての色彩が濃い内容であることが読み取れます。

 そうは云っても例えば、明治37年、岡山医専の桂田富士朗教授が三神三朗医師宅で猫の門脈内に棲息していた世界初の新種の吸虫を発見した記述には「その種を桂田吸虫とせず、日本住血吸虫と命名し、本症を日虫症と命名した。」のように林先生の価値観?も感じ取れる文章も垣間見られます。

 

 昨年から林先生には貴重な文献や著作等々をご寄贈いただき、2階座学スペースのテーブル上が、先生からの資料でグッとアカデミックになりました。大病を患われた先生ですが、「超高齢にもかかわらず副症状の合併もなく過ぎました」と術後の経過は良いようですから、この場を借りての御礼とお見舞いで恐縮ですが、今年もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

2016年1月6日水曜日

杉浦醫院四方山話―463 『山日新春文芸雑感』

 
あけましておめでとうございます。
開館以来、毎年橋戸さん手づくり干支作品で受付を飾っていただいています。

 地方新聞である山梨日日新聞の元旦号には、今年も「2016年山日新春文芸」の各部門の応募数や入賞者の紹介と入賞作品、受賞者の声が掲載されました。

甲州人の定番化した正月休みの一つに、この入選作品を読む事も入ると思う程、継続されている企画だと思いますが、「第153回芥川賞・直木賞」のように「第何回」で表示されると「山日新春文芸」の歴史もカウントでき、重みも増すように思うのですが、この企画は今年で何回目になるのでしょう・・


   まあ、「A rolling stone gathers no moss.ー転がる石には苔がつかないー 」の諺も日本人や英国人には、「仕事や 住居を転々と変える人は金も貯まらず、友人も出来ない」と、否定的に使われていますが、アメリカでは「常に活動的な人は新鮮で 、魅力的だ」と肯定的に使われていますから、多分相当長い歴史のある「山日新春文芸」も「苔むす」成熟期に入っているのでしょう。


 個人的には「A rolling stone gathers no moss」を「苔の着かないよう転がり続ける石でありたい」と思い込んできましたが、両用の解釈のあることを知ってからは、千代田葛彦の名句「巌奔り(いわばしり)水は老いざる去年今年」の方がピント来るようになりました。


 遠足で行った昇仙峡の流れを彷彿させたこの句。

透き通るような澄んだ流れがあちこちの岩にぶつかりながら、止まることなく勢いよく流れて行く・・・水も生きているなぁ~ ほとばしっているなぁ~ と、子ども心にも巌奔る水の魅力は、「若さ」の象徴だったように思います。

 また、巌奔る水は、岩も削り小石も呑み込んだりですから、矢張り「A rolling stone gathers no moss」は、ヤンキー君の解釈が正しいように思います。



 今年の「山日新春文芸」小説入選作は、閉校になって久しい吉田商業卒業生・鈴木君の「ローリングストーン」物語と同級会に集まった61歳の憧憬としての「巌奔る水」が織りなす小世界でした。

 

 今年は山梨県の地方病流行終息から20周年になります。国の登録有形文化財にも指定されている当館を単に苔むす歴史的建造物として保存していくだけでなく、巌奔る水のような企画も求められていることを肝に銘じて、当館の魅力を発信していきたいと思いますので、本年もどうぞよろしくお願いいたします。