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2019年8月26日月曜日

杉浦醫院四方山話―590『科学映像館・久米川正好先生』

8月25日(日)の朝日新聞の「REライフ・人生充実」シリーズに科学映像館を主宰している久米川先生が「輝く人」として大きく報じられました。 


 

写真・図版
(輝く人)科学映像、守り生かす デジタル映像アーカイブ主宰・久米川正好さん映画の修復とデジタル化を委託する東京光音の作業場で、映画フィルムのチェックに同席する久米川正好さん=東京都渋谷区、飯塚悟撮影

 

≪解剖学や骨代謝学が専門の久米川正好さん(84)。科学映画の先駆者に誘われ、映画製作の道へ。それらのアーカイブをつくり、無料配信を始めた。配信は週1回。公開作品は千を超す。「古い科学映像にもまだ活用の道がある」との思いで活動を続ける。≫と云う出だしで、先生の略歴からこれまでの活動が詳細に報じられています。

 

 写真のように84歳と云うお歳が嘘のような若さは、矢張り使命感を持って新たな分野に積極的にチャレンジし、現在もますます意欲的に科学映像館の構築を図っている「充実人生」故でしょう。

記事の中にもありましたが、大学教授定年までパソコンに触ったこともなかったと言う先生が、インターネットでの科学映像無料配信の必要に迫られると人に任せるのでなく自ら学習して現在では、パソコンやスマホ数台を自由に操り、ブログやツイッターで映像館情報を日々配信もしています。

 

 当館にも来館いただき貴重なアドバイスをいただいたり、定期的に先生から電話連絡もありますが、私達より必ず数歩先の早い情報を教えてくれることがありがたく、アンテナの高さも若さの秘訣かと感心します。

 

 例えば、7月中旬の電話で「日本住血吸虫関係の映像へのアクセスが急増していますが、何かありましたか?」と聞かれ「こちらの見学者には、パンフを渡してここにある映像は全て科学映像館のサイトでも見られることを今まで通りPRしているだけですが・・・」と答えたのですが、その数日後から当館への来館者も急増し出しました。

 夏休み期間と云う事もありますが首都圏のみならず三重県とか石川県、石垣島からもお越しいただくなどこれまで以上に広域なので「どうして当館を?」と案内中に尋ねると「YouTubeでこんな病気があることを知って調べたら、インターネットでもいろいろな映像があり、その中でここが出てきたので」と云う返事が共通していました。

科学映像館の日本住血吸虫関係の映像へのアクセス急増の引き金もYouTubeで、科学映像館の映像を見た方が当館にも興味を持って足を運んでくださったことが分かりました。

 

 

 科学映像のみならず貴重な映像の無料配信を続けていくのは、経済的にも大変なご苦労があろうかと思いますが、先生は豊富なアイディアを次々具体化してデジタル化費用を捻出しています。

 これまでは個人からの寄付や企業の協賛、各種の助成金で事業を継続してきたようですが、最近は役目を終えた撤去冠を歯科医院に呼びかけ、金属リサイクルによる活動資金の確保を図っています。

 撤去冠とは、具体的には抜歯に伴う金歯や銀歯を科学映像館に寄付することで換金による資金調達ですが、これも歯学部教授だった久米川先生ならではの発想です。私も数人の歯科医にお願いしてみましたが、それぞれルートが確立していて右から左にはいかないことを知りました。そんな訳で、科学映像館の運営も資金的には厳しいのが実態かと思います。撤去冠に限らずアクセサリー等の金属も対象ですから、この場をお借りして手持ちの貴金属でのご協力をお願いいたします。詳細は、「科学映像館」サイトでご確認ください。

2017年8月10日木曜日

杉浦醫院四方山話―514『殺貝剤開発と田の草取り』-5

  農民の期待に応える画期的な除草剤PCPは、ミヤイリガイ殺貝剤の開発の中で、水稲への被害調査を担った山梨県農業試験場由井技師らによるあらゆる角度からの調査実験から生まれたものの、特許や販売権などは、その辺の事務にも精通していた大学や製薬会社が取得するところとなりました。


  こうして、1959年(昭和34年)、PCPは普及に移されました。

このPCPが画期的だったのは2・4‐Dと異なり、非選択・接触型除草剤で、すでに成長の進んだ稲には影響しないが、発芽直後の雑草は全て枯らすところにありました。

この特性を活かし、田植え直後の土壌表層にPCPを散布して、発芽してくる雑草を枯らす土壌処理技術が考案され、 最初は水溶剤だったPCPも、やがて土壌処理に適する粒剤が開発されました。    

 

 これにより、日本の稲作史上初めて、手取り除草や除草機なしに除草が可能になり、甲府盆地でも真夏の炎天下での「田の草取り」から解放されました。山梨に限らず当然、農家に歓迎され、1960年代の最盛期には、全国で約200万ヘクタール、全水田の65%でPCPが使われたそうです。  

 

 しかし、昭和37年(1962)の集中豪雨で散布直後のPCP薬剤が有明海や琵琶湖などに流入し、魚介類に深刻な被害を与えました。

三郎先生が目撃した水路での魚への被害が、大雨で土ごとPCPが流出した結果起きたのでした。これを機にPCP使用は規制されるなどかげりが見え始めるとPCPに代わる低毒性除草剤の開発が進みました。     

    

 さらに、すでに使われなくなったPCPが昭和50年代(1980年代)になると、土壌中に残存していて環境汚染の元凶ダイオキシンが含まれていることも判明しました。

  

 当話‐18「現代」でも触れましたが、山梨県と米軍406医学総合研究所の共同研究と住民、行政の一致した取り組みで、地方病を撲滅寸前まで追いつめたという記録映画「人類の名のもとに」を科学映像館での配信映像で観た科学者遠藤浩良先生から、「河川や湖沼、地下水といった環境水の化学物質による汚染は、現代では、世界的な大問題ですから、ペンタクロロフェノールを使った甲府盆地の映像は、今ではとても考えられないことです。殺貝作業に従事した住民には、この薬の中毒で苦しんだ人がいたかも知れませんね」とご教示いただいことを思い出します。


 由井氏はもとより、大学や製薬会社の研究者もPCPの副作用を当時はそこまで予測できなかったのでしょう。これらの教訓を活かして、より安全な除草剤が開発され、現代ではすっかり「環境汚染農薬」と云う汚名のPCPですが、炎天下の草とりから農家を解放しようという由井氏らの誠意と努力は、伝承していくに値するものと思います。 由井重文氏は、山梨県農業試験場長を最後に退職され、昭和62年(1987)に68歳で亡くなっています。 

2014年1月30日木曜日

 杉浦醫院四方山話―309 『国立国会図書館から科学映像の配信が始まりました』

 ほぼ独力で「科学映像」の保存と活用活動に取り組んできたNPO法人「科学映像館」の久米川先生は、二年以上前から、科学映像を国立国会図書館のデジタル資料に提供する話を進めていたようです。フットワークの良い久米川先生には、役所のシステムや担当者の交代などで、具体化するまでには、ストレス要因にもなりかねない困難な状況も多々あったことでしょうが、今月21日に国立国会図書館のホームページ上でも
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2014年1月21日 その他
科学映像約100点を国立国会図書館デジタルコレクションで新規公開しました
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と、広報され公になりましたので、久米川先生のご尽力に敬意を表し、「久米さんの科学映像便り」に載っている久米川先生の挨拶文を転載させていただきます。

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国立国会図書館から科学映像が1月21日開示されました
私たちは2011年から国立国会図書館に働きかけ、1年後に科学映像館配信作品の納品が認められたのですが、このプロジェクトは、国立国会図書館も初めてのことであり、著作権処理の問題と納品事務処理の打ち合わせ等に、さらに約1年を要しました。そして2013年度と2014年度で206作品とそのメタデータを収めることが出来ました。

この度、その内の102作品が、1月21日(火)から公開されました。すなわち全国4箇所の国立国会図書館施設内での映像閲覧とデータベースの検索が図書館外かも可能となります。今回の納品は、本当に多くの方のご理解とご支援によったものであり、心からお礼申し上げます。

本日開示されたデータベースは、まずウェブサイト国立国会図書館トップページの左カラムの「国立国会図書館デジタル化コレクション」をクリックし、表示された項目から目的の科学映像へ

今回のプロジェクトは、いわば映像の閲覧を従来の図書館と電子配信機能のコラボレートであり、規模は小さいが、うまい仕組みの一モデルかも。

この納品作業によってNPO法人科学映像館も新たな一歩を踏み出すことが出来ました。今後は製作会社の作品以外に、個人が撮影された1950年以前の作品収集など新たな活動も進めたいと考えています。皆様の先代、先々代が9.5mmや16mmフィルムによって撮影された第二次大戦前後の映像が、ご自宅の蔵などに眠っていませんでしょうか。カビなどにより異臭で、退色したフィルムもマイスターにかかれば見事に蘇ります。皆様と一緒に後世への贈り物にしようではありませんか。皆様のご協力をお願いします。

9.5mmフィルム:1922年に発売された個人映画向けのムービーフィルムの規格であり、フランスのパテ社が開発。昭和10年代まで使用されていた。
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 久米川先生は、新たに「個人が撮影された1950年以前の作品収集」と云う取り組みを情熱的に始めています。先ずは、どんどん消えている昭和20年代位までのフィルムを収集して、60年代、70年代へと広げていこうということだと思います。
動画撮影が一般化されてない時代ですので、個人に限らず、役場や会社などで眠っている記録フィルムなどありましたら、是非、科学映像館での再生、配信にご協力ください。

当四方山話には「科学映像館」のラベルがあり、当館と科学映像館の連携・交流を記したブログもありますが、久米川先生の科学映像館ブログにも「伝承館」と云うラベルで、当館のことをご紹介いただいております。当ブログをお読みいただいた方の中で、古いフィルムをお持ちの方は、当館宛でも構いませんので、ご一報くださいますようお願いいたします。                 055-275-1400(杉浦醫院)
 

2012年10月22日月曜日

杉浦醫院四方山話―189 『科学映像館の久米川夫妻来館』

 先日、埼玉県川越市から科学映像館を主宰している久米川正好夫妻が来館されました。定期的にウエイトトレーニングで鍛えている久米川先生は、9月に78歳になられたそうですが、自ら運転して圏央道から中央道経由でお越しいただきました。メールと電話では、十分面識はあったのですが、実際お会いするのは、今回がお互い初めてでした。大学退官後、ライフワークとして消えゆく科学映像の保存に立ち上がり、デジタル保存した映像をインターネットで無料配信する必要からパソコンも70歳から始め、今では科学映像館のホームページの更新から久米さんの科学映像便りと云うブログまで全てをこなしています。ブログには「伝承館」というカテゴリーまで設けていただき、当館の詳細についても発信していただいてきました。現在も国立国会図書館での映像保存体制の確立に向け尽力するなど孤軍奮闘の日々で、「やることは次から次にある」と云う忙しい中を「秋の山梨へドライブがてら・・・」と、良い歳を重ねあったナイスな熟年夫妻は、写真の納まりにも「違い」が表出されています。
 館内見学中も展示の方法や改善策を具体的にご教示いただきましたが、翌日も電話で感想と共に幾つかの貴重な提言とご指導をいただきました。特に醫院の廊下と各部屋への段差については、「つまずいてケガ人が出てからでは遅いので、早急に手立てを打つように」と、口頭での注意は呼び掛けてきましたが「物理的改善が先だったなあ」と反省しました。
これまでも当館のことについて親身なアドバイスを惜しまなかった久米川先生ですから、実際に見学された上でのご指摘は「全てごもっとも」で、感謝感激です。「日記代わりに書いている」というブログにも早速、当館見学と山梨来訪報告が載るなど「迅速さ」も若さの秘訣でしょう。最新のブログ「You Tubeでは日本住血吸虫が・・・」の中でも、「この地方病の原因解明と治療に当たられた杉浦健造、三郎博士親子の診療室が山梨県昭和町の昭和町風土伝承館になっています。行楽のシーズン、ここを訪ねるプランはいかがでしょうか」と発信していただいております。久米川先生これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2011年12月10日土曜日

杉浦醫院四方山話―100 『岩手は半歩歩き出す』

 当四方山話も今回で、100話になりました。鈍感なせいか、20歳の成人を迎えた時も何の感慨や決意もなく、大人としての自覚を高めたという記憶もありません。環暦を迎えた2年前も同様で、この先の生活設計だの年金だのにも真剣に向き合うこともなく、ただただ流れに身を任せてきただけでした。まあ、非力で無能な男があくせく足掻いてみたところで、大した成果や違いもないだろうと云う思いは、高校時代に自覚したのは確かです。結果、大学や職業選びも「自己実現」などと云う観念はさらさら働かず、「とりあえず」の連続で今日に至っています。それでも死語と化した70年安保だの高度成長だのバブル経済だの・・・と、今となっては結構面白い時代の波や友人の死から3・11まで避けたくも否応なく押し寄せてきた時々の波にもただただ身を任せ、何かあっても「山羊にひかれて」など愛唱し、「吹く風まかせ」を座右の銘のように思ってきました。
寝ぼけたような戯言を書いてきたのは、「四方山話、次は100回ですね」と同僚Wさんから言われ、「そうか、100回か」なんて話していたら、科学映像館の久米川先生から、永久保存版DVD「岩手は半歩歩き出す」のメール便が届きました。「100話は、何にしようか」なんて力まなくてもちゃんとしかるべき「波」が・・・と云う実感から、つい前置きが長くなり失礼いたしました。
 この「岩手は半歩歩き出す」は、衝撃の津波映像のみならず困難に立ち向い、立ち上がろうとする岩手人をおさめた「DVD」と「震災解説書」と「岩手のうまいもの・逸品お取り寄せカタログ」の3点セットです。
 90分のDVDは、震災の実態を伝える歴史的映像としても貴重ですが、加えて「負けないで立ち上がる人間の強さ」とも言うべき復活にかける岩手県人が登場するヒューマン・ドキュメンタリー構成になっていて、観た者に岩手産の商品を一品でも購入して、困難に立ち向かう岩手人を応援しようと云う気持ちにさせる「映像の力」があります。久米川先生が、当館にこのセットを送ってくれたのも「より多くの方にこの映像を観てもらって下さい」と云うメッセージでしょう。     この大震災で、杉浦醫院と同じように三陸海岸沿いで、その地の歴史を刻んできた貴重な文化財や建造物も多数消失しました。津波にのまれた陸前高田市の「酔仙酒造」は国の登録有形文化財でしたが、近く登録を抹消されると聞きました。「有形」文化財の健造物が消失して「無形」になってしまったから抹消すると云う事でしょうが、桜の名所でもあった酔仙酒造の「映像」は、多数残っているでしょうから、消失した酔仙酒造の「映像」は、そのまま大震災の有形でもある訳ですから、「抹消」する事なく、大震災を語り継ぐ一つとして、活かせないものでしょうか。

2011年11月21日月曜日

杉浦醫院四方山話―94 『山梨県科学映像館を支える会』

科学映像館の久米川理事長との電話連絡が続いたせいか、この10月から当館に勤務しているWさんから「科学映像館はどこにあるんですか?」と聞かれました。「埼玉県の川越だよ」と答えると「一度行ってみたくって」と云うので「そうか、映像館と云うから映画館があると思うのが普通だよね。川越にあるのは久米川先生の自宅だから、行っても先生の顔が見られる位かな」と笑いましたが、前93話で、インターネットの普及と可能性の拡大に伴い博物館などの展示施設の必要性の有無についても触れたのは、まさしくこの科学映像館が施設を持たず、貴重な映像をインターネットで配信している見本のような存在だからでもありました。この科学映像館の先駆性や運営を一人で切り盛りする久米川理事長の見識、お人柄については、既に何回か当ブログでも紹介してきましたが、過日、プレオープン1周年記念に合わせたかのようにフルハイビジョン化された「よみがえる金色堂」の限定DVDを当館映像資料に寄贈下さいました。
 このDVD映像は、これまでの映像をより高画質にデジタル復元したもので、その差異にも驚きましたが、DVDのパッケジにも映像の頭にも左のように久米川氏は、「山梨県科学映像館を支える会」の支援について、テロップを入れ紹介くださいました。
 「地方病」関係の映像資料収集過程で、科学映像館の存在と充実した取り組みを知り、連絡したのをきっかけに久米川氏からその運営の詳細とご苦労、アドバイスまで頂戴してきました。特に、県にも保存されていないという幻の映画「人類の名のもとに」は、久米川氏のご尽力で取引のある制作会社の倉庫の隅で埃を被っていたフィルムを発見、デジタル化することができました。今回、「よみがえる金色堂」のフルハイビジョン化の費用捻出に「山梨県内でご支援いただける企業や個人がいたら・・」との要請に、たった一度ですが、昭和で開催した講演会に参加され、鋭い質問と意見を述べられた県の教育委員でスーパーやまと社長の小林久氏の存在が浮かびました。思い切って手紙を書き、10万円の資金提供をお願いしたところ即応いただいたことから、これを機に科学映像館の取り組みを広く県内にも周知し、支援の輪も広げていこうと「山梨県科学映像館を支える会」を立ち上げ、小林氏に代表をお願いいたしました。「予算がないから出来ないでは情けない」と資金調達も先頭に立って奮闘する久米川氏と「出過ぎた杭は打てないだろう」と笑いながら、県教委改革から甲府銀座の街活性化にまで奮闘する小林氏の「実存」は、気持よく重なります。

2011年5月20日金曜日

杉浦醫院四方山話―46 『映像の蓄積』

 昨年11月に四方山話―9で紹介した『科学映像館』が配信している原発関係の映像3本は、5月に入っても視聴ランキングのトップ3です。この3本の映像は、今回の事故に伴う映像ではなく、「福島の原子力」は第一原子炉の建設記録ですし、「黎明」「原子力発電の夜明け」は、原発の建設過程や運用の実際、原発の大きさや構造などを紹介した原発の内部映像などです。     
 科学映像館久米川理事長のお話では、この原発関係の映像は、昨年末から配信していましたが、3月11日の大震災以降、多くの方からアクセスが続き、特に「福島の原子力」は、飛び抜けた視聴数となっているそうです。5月2日までに「福島の原子力」が72,391回、「黎明」が32,274回、「原子力発電の夜明け」が10,124回再生されていますから、今回の事故を契機に「原発」についての正確な知識や情報が必要なことから、誰でもいつでも無料で見られる「科学映像館」の存在と配信映像がクローズアップされ、国会図書館も映像資料の保存に向け、久米川氏と協議を始めるそうです。
 「福島の原子力」は、制作が東京電力ですから「原発推進のPR映像」でもありますが、内部映像などは、今後の事故処理にも貴重な資料となることなど映像の持つ「客観性」と「記録性」も含め、映像を蓄積しておくことの重要性を示唆しています。
「原子力発電の夜明け」http://www.kagakueizo.org/2009/03/post-76.html

 久米川理事長との交信の中から、当館制作の杉浦醫院紹介DVDも「医学・医療」カテゴリーから配信され、更に来週からは、都留市の浄土宗「清涼寺」境内にある「儀秀講」社の再建を由来から追ったドキュメンタリー映像が配信されます。谷村町の電気屋さん「オーディオ&ビデオ・ネズデンキ」の根津智一氏が一人で製作した映像で、地域のお稲荷さん「儀秀稲荷社」の建て替えを記録した約30年前の映像です。映像には、テーマであるお稲荷さんの由来や地域とのかかわり、建て替えへの過程や方法と共に当時の町の様子や人々の生活も残り、地域にとっても貴重な歴史民俗資料であることに気付きます。

 杉浦醫院参観者から「押原小学校の5号館も残せば良かったのに」と云う感想を聞くたびに「せめて映像で残っていたら違うだろうな」と思っていましたので、のどかな田園風景が一変したイオンモール甲府昭和店界隈の記録映像は撮ってあるのだろうか?と急に心配になりました。
昭和町は、今年町制施行40周年を迎えます。「10年一昔」は、昔のことの感が強い昨今ですが、せめて、10年に一度は、町内の映像を撮っておく必要性を痛感します。また、「昔は結婚式も家でやったもんだ」と同様に、この10年で、家での葬儀もすっかり無くなりましたから、現在普通に行われている祭事や行事を個人も含め地区と役場で分担するなどして映像に残し、昭和町の歴史や民俗を語り継ぐ資料として蓄積していくことの意義を故根津智一氏の映像が静かに教えてくれました。

2011年1月10日月曜日

杉浦醫院四方山話―18 『現代』

 杉浦医院に「社会教育主事実習」に来たK大学のSさんが、杉浦医院内の本棚を見て、「えー、芥川龍之介が現代小説全集にある」と驚きの声を発しました。大正時代発行の「現代小説全集」ですから、芥川や島崎藤村が「現代」でも当然ですが、「現代」を現に今、進行している時代と規定すれば、村上春樹など現在、作品を書いている作家が「現代作家」ということになり、「えー」となったのでしょう。紫式部の恋愛感情や吉田兼好の無常観など、文学や芸術のテーマは、時代を超えて現代を生きる人間にも共通し、一向に色あせませんが、分野によっては、それぞれの時代の「現代」は、現在では考えられないこともたくさんあります。
 杉浦健造・三郎父子の時代の予防接種では、同じ注射針で薬を何回も吸い上げて、次々に打っていく「針の使い回し」は、日本中でごく普通に行われていました。その後、WHOから政府が何度も勧告を受け、全国の医療機関から完全に「針の使い回し」が無くなったのは1980年代に入ってからです。医療の現在は、文学とは対照的に当時の常識は、現在の犯罪へと大きく変わりました。
同様に、映像資料「人類の名のもとに」は、山梨県と米軍406医学総合研究所の共同研究と住民、行政の一致した取り組みで、地方病を撲滅寸前まで追いつめたというテーマの記録映画です。その中で、宮入貝殺貝に農薬「ペンタクロロフェノール」が開発され、大変な成果を上げたことが紹介されています。このペンタクロロフェノールも現代なら「とんでもない環境汚染農薬」という評価です。「河川や湖沼、地下水といった環境水の化学物質による汚染は、現代では、世界的な大問題ですから、ペンタクロロフェノールを使った甲府盆地の映像は、今ではとても考えられないことです。殺貝作業に従事した住民には、この薬の中毒で苦しんだ人がいたかも知れませんね」と科学映像館で配信されている「人類の名のもとに」を観た、科学者遠藤浩良先生からご教示いただきました。
 このように、当時は、当たり前でも一定の時間経過の中で「あれは一体何だったのだろう」という事は、記憶に新しいところでも「ダイオキシンと小型焼却炉処分問題」始め・・・忘れることと自分が現在、享受している状態がベストだと考え保守的になるのが日本人の特性だとも言われています。そう言えば、つい60数年前まで「一神教の神風国家」万歳だった日本人が、北朝鮮やアルカイダを「洗脳云々・・・」「言論の自由が・・・」と評論したり、小馬鹿にしているのも恥ずかしいことだなー・・・と。

2011年1月1日土曜日

杉浦醫院四方山話―17 『お年玉』

 昨年は、多くの方々にお世話になって、風土伝承館杉浦醫院がスタートできました。お世話になった皆々様に年賀状にて、お礼と本年もどうぞよろしくとご挨拶すべきところですが、この場を借用して、「昨年中は誠にありがとうございました。本年も変わらずのご支援ご協力をお願い申し上げます」の失礼、無礼をお許し下さい。
最初に発行されたお年玉付郵便はがき
 映像資料の収集で大変ご尽力いただいた「科学映像館」の久米川理事長から、「年賀状」にまつわる縁起の良い、深い話を伺いましたので、本年の最初の四方山話にて皆様と分かち合いたいと思います。
 久米川先生は、毎年600枚の年賀状を交換し合っているとのことですが、暮れにはその印刷、発送作業に追われるそうです。「実は、昨年のお年玉年賀はがきで、1等が当たりまして、32インチの液晶テレビをいただきました」「100万本に1本の確率ですから、宝クジに当たる確率より大変だそうです」「夏まで、当たっていることを知らなかったのですが、出した方が几帳面な方で、自分の出した番号が、どなたに行ったかまでは分かりませんが、1等に 当たっていると、暑中見舞いで知らせてくれたので、確かめたら私に来ていました」「お礼にサマージャンボの券を20枚送りましたが、それは全然ダメだったようです」と。
「やはり、女神は少欲の善人に微笑むんですね。私なんか切手以外当った記憶がありません」
「いやぁー、これは偶然でしょうけど、実は、私は50年前にも1等が当たったんです」「ビデオカメラが賞品でしたが、当時のビデオカメラは、重くて大きなもので、今は処分してしまいましたが・・・」と。
聞きながら、ドキンとして思いました。「50年の間に、100万本に1本の確率が2回。これは、単なる偶然ではなく、<お天道さまは全てお見通し>は、真理だ」と。そして「この話をさり気なく、私に語ってくれたのは、今まで、神も仏も関係ねーやと居直って、生きてきませんでしたか?という久米川先生からの私への<お年玉>だ!」と。「科学者である久米川先生が、偶然に謙虚なのも逆に科学者だからこそだろう」と。2011年の年頭に、人智を超えた「サムシング・グレート」を素直に受け入れようと遅まきながら思えたことが、私には最高の<お年玉>でした。

2010年11月30日火曜日

杉浦醫院四方山話―9 『科学映像館』

 プレ・オープンに合わせて作製した、当館紹介のDVDも好評をいただいていますが、設置した52インチの液晶画面と再生装置を活かすうえでも、地方病関係の映像資料の収集と公開は欠かせません。地方病についての専門アドバイザーをお願いしている梶原徳昭先生から「地方病との闘い」や「人類の名の下に」等の過去の映像フィルムの存在は指摘されていましたが、県立博物館や県立図書館に保存されている16mmフィルムをデジタル化するには、放送局等に委託しなければならず、予算的にも厳しいものがありました。
 山日新聞の連載を機に、マスコミの取材が続きましたが、期せずして読売・朝日の両記者から「科学映像館」の話があり、そのサイトで貴重な科学映像が無料配信されていることを知りました「地方病との闘い」「日本住血吸虫」の2本は、既に配信リストに入っていました。さっそく、科学映像館を運営しているNPO法人に問い合わせると理事長の久米川氏は、唐突な電話での問い合わせにも親切かつ有意義なアドバイスを惜しまず、受話器を通して「人が生きる姿勢と価値」についても学ばせていただきました。
 大学教授を退任後、医学関係の貴重なフィルムの消滅を誰かが食い止めなければという思いから、科学フィルムのデジタル化とそれを配信する「科学映像館」の立ち上げに取り組んだそうです。「パソコンも全く出来なかったけどこれを始める必要から68歳から始めたんですよ」「私は、78歳になります。あなたはまだまだこれからです」と若々しい声で的確な内容を無駄なく語れるのも使命を全うすることへの情熱の発露と頭が下がります。
「インターネットの良いところを利用しての映像館です。3年半で、再生された映像は400万回を越えました。配信している映像も405本になりますが、まだまだI波映画はじめ壁があって配信できない映像もたくさんあります」「営利目的のNPOの壁や文化庁の壁も高いです」とご苦労をさりげなく客観的に話せるのも久米川氏の人格が醸しだす品性だろうと我が身を省みました。
 志の高い人や組織に出会えるのもインターネットの可能性の一つだと実感しましたが、配信映像も「医学・医療」関係に限らず 、「芸術・祭り・神事」や「自然」「動物」など10以上のカテゴリーを網羅しています。「中国、韓国からのアクセスも非常に多い」という科学映像館。梶原先生も「知らなかった」ということで、四方山話で周知する次第です。

久米川理事長のブログ

*久米川理事長のご協力で、上記の3種類の映像資料が収蔵出来そうです。