2015年9月28日月曜日

杉浦醫院四方山話―444 『テアトル石和と映画・野火』

 昭和町内には、イオンモールの中に県下最大のシネコンがあることは知っていますが、未だ行ったことはありません。5つ以上のスクリーンを備えた シネコンと言われる複合型映画館は、1990年代以降急速に増え、それに反比例するように「入れ替えなし・立ち見有り」の昔ながらの映画館は姿を消してしまいました。県内で、シネコンの対極として孤軍奮闘しているは、「テアトル石和」と「甲南劇場」「塩山シネマ」位でしょうか。

 

 先日、石和在住の中学の同級生に「石和ならテアトル石和にはよく行くから・・」と話しましたら「やだー〇〇君、あんな映画観に行くの?」と、シネコン対極の場末映画館は、全て「甲南劇場」同様と思い込んでいるようでしたから「地元の名画館に足を運んでください」と丁重にお願いしましたが・・・・



 そのテアトル石和で、原作 ・大岡昇平、塚本晋也監督の 「野火」を観てきました。「なぜ 大地を血で汚すのか 」のキャッチコピーで、塚本晋也監督が自ら主演して戦後70年を「野火」で問うた映画です。

ポスター画像

 薄汚れた館内(失礼)には、私を含めて20人そこそこの観客でしたが「何時になく多いなあ」が素直な実感でした。

まあ、私にとってこの映画館が落ち着くのは、スクリーンが舞台の奥にあることでしょう。

映画にハマって学生時代通った映画館には大小の差はあるものの必ず舞台と云うかロビーがあり、上演前に主演女優が現れて挨拶や実演のサービスに遭遇することもありましたから、無駄を配したスクリーンだけの映画館では落ち着きません。


 大岡昇平氏の戦争体験3部作「野火」は、市川混監督作品で学生時代にも観ましたが、今回の塚本晋也監督作品は同じ原作とは思えない映像で、映画監督の視点や思想の違いについても考えさせられました。

もし大岡昇平氏がご存命でしたら大岡氏も塚本作品に軍配を上げていたことでしょう。



 大岡氏同様、軍人として戦争に赴いた歴史学者・藤原彰氏の『餓死した英霊たち』にも「戦死者」の六割以上が「餓死(飢え死に)」だった事実が暴かれていますが、「英霊」が強制された「死」と極限の人間がどうなるのかをリアルに描き切った塚本作品は、戦争の加害性に重きを置いているのが 市川混監督作品との大きな違いになっていました。



東京まで行かずに石和でこの映画が観れたことを喜び、テアトル石和の末永い存続を期待してやみません。

2015年9月20日日曜日

杉浦醫院四方山話―443 『11/1 院内コンサート』

  杉浦醫院の応接室にあるグランドピアノの詳細については、当190話・191話をご覧いただくとして、このピアノを活かしての院内コンサートを今年も開催します。今年は、杉浦家の親戚でもある音楽家お二人によるオータムコンサートです。

 

 沼津市にお住いのテノールの杉浦誠氏は、熱海所記念病院の院長を勤める脳神経外科医ですが、年10回以上のステージをこなすオペラ歌手でもあります。


「ストレスの多い脳神経外科医にとって、オペラを歌うことがストレスを寄せ付けない最高のリラックスタイムにもなるので、今日まで二足のわらじを履いてきました」と笑いますが、メジャーな舞台なども多いプロでもあります。

純子さんも「誠さんは、声がきれいで歌がお上手でしたから、そちらの道に進むのかと思っていましたが、医者になったようですね」と幼少のころから目立った才能を発揮していたようです。



5年前に昭和町で行われた「杉浦家従兄弟会」に参加した折、当館ピアノの存在を知った誠氏が温めてきたコンサートが、ピアニスト・佐藤恵美さんとのスケジュールが合い今回開催できることになりました。



 ピアニスト・佐藤恵美さんも杉浦誠氏の従兄弟ですから、純子さん姉妹もピアノを弾いていたように杉浦一族には音楽家や音楽趣味が共通しているように思います。

 

 佐藤恵美さんは、国立音楽大学大学院を首席で卒業、成績優秀者に贈られるクロイツアー賞を受賞され、1992年には国際ロータリー財団奨学生として渡独し、ドイツ・デトモルト音楽大学・大学院過程を最優秀で終了したと云う経歴の持ち主です。



 今回、ジャンルとしては固めのクラッシックですが、杉浦誠さんは「なるべく多くの皆さんが知っている親しみのある歌曲で構成しようと思います」とおっしゃっていましたから、オペラをマイクを通さず聴けるこの機会をお聴き逃しなくどうぞ。



 院内ですから、定員やコンディションに限りや障害もありますが、昭和8年に杉浦家が山梨で一台だけ注文したと云う、皇太子(現天皇)生誕記念家庭用グランドピアノを使ってのコンサートですから悪しからずご了承ください。



参加申し込みは、電話275-1400(杉浦醫院)までどうぞ。


2015年9月17日木曜日

杉浦醫院四方山話―442 『絹彩画教室』

 杉浦醫院2階の座学スペースを使っての伝統文化教室で、今回は「絹彩画入門教室」を開催しました。作業中心の教室ですからスペース的にも10人が限度でしたが、講師の三枝史博さんと作品が、山日新聞文化欄で大きく紹介されたこともあって、多くの方々から参加申し込みがありました。今回キャンセル待ちで参加できなかった方には、この場を借りてお詫び申し上げます。


 

 三枝さんも挨拶の中で「絹彩画の歴史は新しく、どんな技法で出来るのかを知っていただき、愛好者を増やしたいと考え、体験教室を始めた」そうですから、11名の参加者全員が絹彩画は初体験でした。

 

 今回は、三枝さんが用意した数点の図柄の中からトンボや鶴などの絹彩画に挑戦しました。

同じ図柄でも埋め込む絹布は自分の好みで選びますから、出来上がった作品は同じ図柄とは思えない多彩さで、これが絹彩画の特徴であり、面白さだと思いました。

 

 参加者同士も初対面とは言え、油絵やアクリル画など日頃から絵画を描いて個展や公募展に出品をしているとか木目込み人形をやっているなど手を動かしながら和気あいあいと情報交換を楽しめたのもテーブルを囲んでの作業が、自然に打ち解けた会話につながったのでしょう。

 

 椅子の生活に慣れた皆さんに3時間座っての集中作業は負担も多かったと思いますが、皆さんからは「これ一回でお終いですか?」「定期的にやりたいね」とか「今日の作品展を開きたい」と云った質問や要望も寄せられた有意義な教室でした。

2015年9月7日月曜日

杉浦醫院四方山話―441 『昭和まちしんぶん』

 前話で紹介した甲府の古守病院の古守豊甫氏の孫・古守寛文さんは、医者である父・祖父に反抗した訳ではないでしょうが、違う道を歩む青年です。

その古守寛文さんが、昭和町に的を絞って、今年の4月にスタートさせたのが「プチコミ昭和まちしんぶん」で、既に9月号まで6号が町内各戸に配布されています。チラシのように新聞折り込みでは、手塩にかけて創る新聞が読まれず、ゴミ箱に直送されるのでは?と、一軒一軒手配りで届けていることにも古守さんの意気込みを感じます。

 甲府市在住の古守さんが「なぜ昭和町しんぶんなの?」を聞いたところ「現在の力量からすると昭和町がジャストサイズ」とのことですから、古守さんが代表取締役の株式会社アグストの成長次第では、もっと拡がる可能性もあるのでしょう。


 A4版8ページのしんぶんの購読料は無料ですから、取材制作費やポスティングまでの経費は広告収入でしょう。紙面が読まれ、広告効果が上がれば問題ありませんが、広告主が定着するまでは営業も大きな位置を占めていることでしょう。



一面には、昭和町内でご活躍の方に古守さんが直接インタビューした記事が定着しています。

これには創刊号で角野町長が「住みよいまち 昭和町へようこそ!」と笑顔で応じたことが大きかったように思います。町の広報とは違った視点から昭和町を紹介して愛着をもってもらおうと云う古守さんの姿勢が覗えます。



 こう云ったミニコミ誌が育つ町には自然と人が足を運びますから、県内唯一の地域限定民間しんぶんが継続発行されるよう、杉浦醫院の話題を提供することから広告の店に行ってみるまで、私も自分の出来る水やりで、「昭和まちしんぶん」を育てていきたいと思います。 

2015年9月2日水曜日

杉浦醫院四方山話―440 『長寿村・棡原(ゆずりはら)』

 山梨県上野原市にある棡原地区は、日本の長寿村として有名ですが、近頃あまり話題になりませんね。

話題と云えば、「カスピ海ヨーグルト」も消えましたね。

 これは世界の長寿国として有名なカスピ海に面し、5000メートル級の山々に囲まれたコーカサス地方の人々が、毎日飲んでいる長寿食と云うことでブームになったヨーグルトでした。

コーカサス地方の人々の健康を支えてきた発酵食「ケフィア」は、カスピ海ヨーグルトとは若干違い、飲み物と云うより食べ物のようですが、「ケフィア」より「カスピ海ヨーグルト」の方がイメージ的に日本人受けしてのブームだったのでしょう。


 フィリピンの日本住血吸虫症患者を救う活動を長年続けてこられた元市立甲府病院の林正高先生から、棡原地区の長寿者の医学的調査をまとめた「上野原棡原地区の高齢者の中枢神経系の健康度について」の論文4巻と「長寿・山梨県上野原町棡原地区老人の健やかさについて」の論文コピーをご寄贈いただきました。



 「長寿村・棡原」と聞けば「古守先生」と云うように棡原を日本の長寿村として世に知らしめたのは、古守病院の古守豊甫医師で、昭和43年以降、古守豊甫氏を班長に「長寿村棡原総合研究班」が毎年棡原で老人巡回検診を行い、長寿の背景は「棡原の食文化」にあることを紹介してきました。



前述の「上野原棡原地区の高齢者の中枢神経系の健康度について」の論文4巻は、林正高先生と古守病院の古守豊甫・古守泰典・古守豊典の3医師及び棡原診療所の古守知典医師による連名論文で、林先生も「長寿村棡原総合研究班」で共に巡回検診を行い、林先生の専門である中枢神経系の健康度を脳波測定と長谷川式痴呆スコアで調査した結果です。



 この論文でも棡原地区独特の食生活であるアワ、ヒエ、ソバ、ムギ等の雑穀を中心とした穀菜食が長寿に繋がっていることを再確認すると共にコーカサス地方同様、傾斜地での労働や生活が平地に比し筋紡錐の使用が多く、動脈硬化予防に大きな役割を担っているなど地理的要因も挙げていますが、林先生は「更には古い日本の家族力動が老人に使命感も抱かせることの精神面も一大要因」と指摘しています。



 肉食など欧米化した食生活や自動車や農機具の普及、核家族化の進行などは長寿村・棡原にも及び、平均的な寿命になり近頃あまり話題にならなくなったのでしょう。

 「健康年齢」とか「健康寿命」などという新たな概念も強調されるご時世、林先生ご指摘の「老人に使命感も抱かせる精神的要因」は、上野千鶴子センセイ云う所の「きょうよう(今日用がある)」「きょういく(今日行く所がある)」と重なりますから、何時の時代も「気持ちだよ 気持ちだよ」の吉田拓郎だということでしょう。