2015年11月27日金曜日

杉浦醫院四方山話―457 『杉浦もみじ伝承の会』

 11月23日付け山日新聞社会面「中央道」欄でも≪モミジの紅葉が映える庭園で「和」に染まった時間を満喫≫と、報道されましたが、22日(日)に2回目となる「杉浦もみじ伝承の会」を開催しました。


町は、「第5次総合計画」で新しいまちづくりの目標を掲げ、その理念を

とし、まちづくりの基本目標(テーマ)を

と、町の意思を表現しています。

 

今回の「杉浦もみじ伝承の会」も『ともに創る』『協働』の具体的実践として、「和」のネットワーク化を進める民間団体「マイパラ」と協働して取り組むことにより、『うるおいと躍動の都市 昭和』に寄与しようと云う趣旨を秘めつつ、多くの町民が杉浦醫院庭園で楽しい時間を共有出来たらと開催しました。

昨年の500人を大きく上回る800人の方々に「モミジの紅葉が映える庭園で「和」に染まった時間を満喫」していただきましたので、その模様を写真にて紹介いたします。

幕開けは「手品」の独演会。種も仕掛けもある高度な手品を参加者は見入っていました。
 
庭園内の表も裏も「和」の店舗26軒が軒を連ねました。
出店者も来館者も和装の方々も多く、雰囲気を醸していました。
手づくりの籠には、外国人の興味も・・・
もみじや庭園での撮影会を企画した写真展


午後の舞台は身延山高校「雅楽部」の演奏
杉浦醫院母屋の舞台にピッタリ!!
 
 
 
 
 
 
 

2015年11月18日水曜日

杉浦醫院四方山話―456 『杉浦醫院のピアノと過ごす午後のコンサート』

11月1日(日)に当館で「杉浦醫院のピアノと過ごす午後のコンサート」が開催されました。

 折に触れて杉浦醫院のピアノは紹介してきましたが、「皇太子(現天皇)生誕記念」とか「日本に数台」と云った価値もさることながら、矢張りピアノは「弾いて」「弾かれて」その音色や響きを実際に聴いた人の評価で価値が決まることを実感しました。

今回の院内コンサートは、出演者お二人の総意で「杉浦醫院のピアノと過ごす午後のコンサート」と銘打たれました。

 当日のプログラムも杉浦誠さんにご用意いただきましたが、全16曲の曲目と作曲家のエピソードなども演奏の合間にお二人から紹介され、曲目選定も音楽史の概要に沿ったものでした。

 好評と云えば、ピアノの音色が「昨年と全く違う」と参加者からも指摘されましたが、ピアニストの佐藤恵美さんもスピーチの中で、「素晴らしい音で、弾いていて楽しくなります」とか「このピアノが欲しくなってしまいました」と話され、杉浦誠さんも「流石、辻村さんですね。とてもいい音色で聴き入ってしまいますね」と蘇ったピアノに感嘆の声が続きました。


 圧巻は杉浦誠氏のテノールで、マイクを使わなくても駐車場まで届く声量は、体全体から声を出しているようにも見え、院内を揺るがす程の迫力で、「声楽家の歌唱をこんなに近くで目の当たりに出来たのは初めてで感激しました」と参加者も興奮気味でした。

昨年の院内コンサートでは、数曲で退席した純子さんも「私は視力が衰えて、見えませんから廊下で聴かせていただきます」と条件の悪い廊下でしたが、自分が使ったピアノの音色を懐かしみながら最後まで聴き通しました。

休憩時間に純子さんにこのピアノにまつわる思い出などインタビューしましたが、「こんなにいい演奏会を開いていただいて、ピアノも新館もとても喜んでいると思います」と話すと、会場は拍手に包まれ、文字どおり「杉浦醫院のピアノと過ごす」時間が共有出来たことを喜び合いました。


 コンサート会場のような音響条件は望むべくもない院内コンサートですが、観客席はガラス戸を外した診察室ですから、ピアノ再生にご尽力いただいた辻村氏が、「客席が向こうならピアノの位置はここしかありません」と蘇ったピアノを4人で押して、東側の窓際に移動しました。

「客席に向かって反響版を上げないとせっかくの音がお客さんに届きません。グランドピアノがあっても反対向きのまま使われている学校などよくありますが、もったいないです」と、これまでの位置から演奏に使うことを前提にした場所に移動したのも好評だった一因かもしれません。

 

今コンサートを機に県内調律師では修復不可能とも云われたピアノが見事に蘇り、人数こそ50人前後と限界はありますが、院内コンサートとして高レベルな音楽文化を楽しめることが分かりましたので、定期開催も視野に計画していきたいと思います。

ご出演下さいました杉浦誠様と佐藤恵美様には重ねてお礼申し上げます。

2015年11月16日月曜日

杉浦醫院四方山話―455 『菊香る玄関』

 

 11月1日の院内コンサートに向けて前五話で、ボランティアでピアノ再生に取り組んでいただいた富士市の辻村音楽企画店のお二人を紹介させていただきましたが、毎年季節ごと育てた花で玄関を飾っていただいてきた西条一区の堀之内一郎さんが、コンサートの開催に合わせるかのように数日前にご覧の菊を玄関前に設置してくださいました。

これも毎回のことですが、私たちに気付かれないように休館日に置いて行くと云う奥ゆかしさも花を育てる人には自然に備わる美意識なのでしょうか。

 

つくづく、杉浦醫院は控え目でボランティア精神に富んだ心ある方々に支えられていることを実感し、感謝いたします。

 
 

今年の堀之内さんの菊作品をご紹介します。

 背も一番高く3つの大輪の花が豪華なこの菊は「黄糸太」です。

これは、芽の先を摘心して、一本の苗から3本の側枝を伸ばし支柱で支え、一枝に一輪花を付けるよう仕立ててあります。

3本の中で一番高い枝が「天」で真ん中後ろに、残り2本が「地」「人」で、背の高さを「天」「地」「人」の順になるよう造られています。これを「三段仕立て盆養」と云うそうです。

 
 
 

この菊名は「うすぼたん」です。

このように花を丸く咲かす造り方を「ダルマづくり」と呼ぶそうです。これも「3本仕立て」で、「天」の高さを65センチ以下に収めるのが条件だそうで、植物の成長を抑制する矮化剤(わいかざい)を使ってこの条件に合うように造るのだそうです。

 和菊の代表でもある「元禄丸」です。   

上からの撮影で分かりにくいのですが、花は真ん中が高くなるように咲いています。

このように大菊、中菊、小菊を左右に3鉢置くと、この3鉢もそれぞれ「天」「地」「人」の順になっていますから、堀之内さんはそこまで計算して育てて設置してくれていることが分かります。

また、鉢には、それぞれの菊の名前が書かれた小さな名札まで付けてくれますから、何も知らない私でも菊の名前も教えていただき、訳知り顔で紹介することもできました。

更に、左右3鉢の足元があらわにならない様に丸菊をそれぞれ2鉢ずつ配してと、細かなところまで気配りが行き届いていることにあらためて感謝申し上げます。

2015年11月12日木曜日

杉浦醫院四方山話―454 『 ピアノ再生物語5-整音作業』

 辻村氏と臼間氏の作業工程を実見し、説明を受ける中で分かったことは、辻村氏が実践しているピアノのメンテナンスは、先ず埃や錆び、汚れを徹底的に綺麗にして、アクション各部を主にドライバーで調整する「整調」作業をし、次に音律を正す「調律」を施すと云う工程です。

ですから、一般的な「ピアノの調律」は、「整調」もこの後施した「整音」も入っていないので、一人でも1~2時間で終わることが出来ることも分かりました。


 「磨き」「整調」「調律」が完了した時点で、既に6時間が経過しましたが、辻村氏は「後は整音だけですから」と云うので、5時過ぎには終わるものと勝手に思いましたが・・・・

 

 「整音」作業は、正確なことは分かりませんが、ピアノのハンマー1本1本のフェルトの硬さを調整する作業のようで、これによっていわゆる「ピアノの音色」が決まるようです。 

 始まった「整音」作業は、先ずハンマーのフェルトにある「硬度分布」にそって、そこに針で穴をあけて調整するという細かい作業でした。

  ハンマーのどの位置に幾つ針を入れるかは決まっていないので、二人の経験から編み出されるカンなのでしょうか? 

 

 このハンマーに針を刺す作業で「整音」が終わるものと思っていましたら、今度は、ご覧のようにヤスリでハンマーのフェルトの形を整えるかのような作業が始まりました。この作業がどう音色づくりに係るのかは聞き漏らしてしまいお伝えできませんが、針刺し同様これも一本一本の手作業ですから、この時点で6時30分を過ぎていました。



 その頃、午前中、取材した山梨放送が夕方のワイドニュースで、二人の修復作の様子を放映したのでしょう、町長から電話が入りました.                                              

「最後の工程のようですが、まだ作業が続いています」と応えると「それじゃあ、直ぐ挨拶に行くから」と、消防団団長で鍛え上げた町長の即断力に「さすが」と感心し、ボランティアでここまでしていただいているお二人に町長からの挨拶は何よりのお礼になるので、感謝しつつお願いしました。                                                             

 

 

 作業終了間際に丁度、町長が駆けつけてくれましたので、完成したピアノを前に記念撮影も出来ましたが、お二人は休む間もなく工具の片づけや車への積み込みにかかり、7時30分には「真っ直ぐ帰りますから」と帰途につかれました。

 お二人を見送りながら思わず浮かんだのは「疾風のように現われて、疾風のように去って行く、月光仮面のおじさんは、正義の味方よ良い人よ」のフレーズで、辻村氏と臼間氏の仕事ぶりと人としての実存は、私には、さながら現代に蘇った「月光仮面」そのもでした。 

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5回に渡り、今回の当館ピアノ再生作業について、ご紹介してきましたが、ピアノ素人の視点からの記述で、内容的に辻村氏の本意あるいは説明と違う、不正確な部分もあるかと思います。お気づきの点がありましたら、電話にてご教示いただけたら幸いです。055-275-1400

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2015年11月11日水曜日

杉浦醫院四方山話―453 『 ピアノ再生物語4-調律師資格』


 今回、「一日で仕上げます」には、社長の辻村氏と主任技術者の臼間氏の二人での作業が前提だったようで、指示や注意などの言葉は一切なく、息の合った分担作業が続きました。

 例えば鍵盤関係では、1本1本磨いたり、締めたり、削ったりの作業ですから、黒鍵36、白鍵52の合計88鍵の鍵盤を二人で左右から始めることで半分の時間で出来ることが分かりました.仕事の手を休めることなくテレビや新聞の取材の方々に説明したり、質問にも気安く応じていただきました

こう云う貴重なピアノに係れ胸がときめく程やりがいがあります」と若々しくインタビューに答える辻村氏

「調律師になるのには何処で学ぶんですか?」        

「ヤマハやカワイには、調律師養成学校もありますが、国立音大など音大や専門 学校にもあります。静岡には楽器メーカーが多いので調律師も多いんじゃないですか。学校出たから出来ると云うモノじゃないですがね」                

「臼間さんもカワイ出身ですか?」 

「私は彫金をしていたんですが、辻村さんの仕事を観て、彫金と同じような手作業で大きなピアノを蘇らせていくのに感動したんです]

「二人のお嬢さんは、上智と東大ですから頭は良いのは分かっていましたが、兎に角呑み込みが早い。それにやる気があるから、私に就いて修業して今ではウチの柱です」と、臼間氏は辻村氏個人から技術を習得して調律師になったことも知り、二人の「阿吽の呼吸」は、そういう過程で自然に育まれたものでしょう。                                                                              

内外の磨き作業と整調作業が終わったピアノの底板には、埃で見えなかったエンブレムもご覧のように見事に蘇りました。

「現在のヤマハのエンブレムは角ばった模様の中に字体が違うヤマハの文字だから、いやあ~このエンブレムは初めてです。これだけでも貴重ですね」と辻村氏。

臼間氏も写真に収めていましたが、このようにピアノの内部を上から目の当たりに出来たのも外せるものは全て外しての作業だからこそでした。                                 

2015年11月6日金曜日

杉浦醫院四方山話―452 『 ピアノ再生物語3-整調作業ー』

  錆びたチューニングピンとピアノ線を磨くには、ご覧のようなワイヤーの錆び取り工具でゴシゴシ磨くしかないそうで、粉塵が舞う中、根気強い作業が続きました。研磨前と研磨後では、ピンや線に雲泥の差が出て「こんなに綺麗になる」から作業にも力が入るのだそうです。

 内部の磨き作業が終わるとピアノは、至る所でドライバーでの調節が出来る仕組みになっていて、一本一本ネジを締めたり緩めたりの手作業が必要になることを知りました。

 調整箇所によって大小のドライバーを使い分けての作業が延々と続きましたが「電動工具では締めすぎたり微妙な調整が出来ませんからドライバーでの手作業になりますね」と、ご覧のように辻村氏の手首から湿布は外せないようです。

 

  取り外せないピアノ内部の調整は暗いこともあって、左手にライト、右手に工具での作業ですが、一か所一か所丹念に調整していくのは、鍵盤に指先を落してピアノを弾いたとき、音が出るまでスムーズに同じ早さになるように「整調」する必要からだそうです。良く耳にする「鍵盤によってタッチが違う」と云った事を無くす調整でしょうか。

 

 これを「アクションの整調作業」と呼ぶそうですが、この整調作業はしなくてもピアノの音は出ますし、整調が多少おかしくても素人には分からないそうですが、ピアニストなら直ぐ分かるそうですから、この「整調作業」は一番大切な部分だからこそ時間を掛けるのだそうです。

 
 

 また、見えないこの調整作業に腕をふるう所に、調律師の醍醐味とやりがいがあるようで、 辻村氏と臼間氏は「これをやらない」調律作業が主流になっていることに警告を発しているかのようでした。

 

2015年11月5日木曜日

杉浦醫院四方山話―451 『 ピアノ再生物語2-出荷検査』

  前話で、辻村氏の「ピアノ調律論」は「出来る限り工場出荷当時の状態に戻すこと」と、紹介しましたが、辻村氏は現在の「辻村音楽企画店」を起業して独立するまで、河合楽器でピアノの製造に従事し、最終の「出荷検査技師」を永く務めていたそうです。


 ですから、カワイピアノをお持ちの方は、ピアノの製造番号が付されたお客様カードの一番上にある「出荷検査」の「技師名」をご確認ください。

「技師名に私の名前・辻村晴男とあるカワイピアノが相当数あります」と話し、このピアノの内部に保管されているお客様カードを取り出しました。


 「おっ、これは尾島さんだ。この尾島一二と云う人はヤマハの有名な技師で、ピアノの製造に係った人なら知らない人はいません」と感慨深げです。


 「杉浦三郎様御所有」と記された桜色のカードには、先ず「御注意」が記載されています。

「弊社製ピアノの調律修繕は生みの親の弊社技師に御任せ願ひます。カードの記録は後々迄仕事の責任を明らかにしてピアノの御保存上重要な役目をするものでありますから必ず記入させて頂きます」

 

 その下に「山葉ピアノ 平型NO.記念 製番NO.21346」とあり、1から12までの表の1出荷検査の技師名に「尾島一二」とあり「尾島印」と「9年7月14日」がしっかり読み取れます。

2納入検査は、「内藤正民」「内藤の角印」に「9年7月20日」とあります。



 上記から、昭和8年に皇太子生誕記念として受注生産したこのピアノを三郎先生が甲府の内藤楽器に注文し、約一年後の7月14日に浜松市のヤマハ工場から出荷され、内藤楽器の内藤正民氏が7月20日にこの応接室に納入したことが分かります。



 アクションを外し鍵盤を外すと鍵盤の下から内部にかけて積年の埃がたまっていました。 

「この埃が虫食いの原因になるんです。」と、虫が食べた跡がアルファッベッドのような模様になっている緑のフェルトを指差し「この程度ならまだ交換の必要はありませんが、計画的に交換していけると一番いいんですがね」と、埃を専用掃除機で取り去ると、ピアノ線の錆び取り作業など内部の磨きを黙々と進めるお二人に、マスクとエプロンは必需品でしたが、肝心な細かい作業になると手袋は外して・・・と、再生に掛ける情熱がひしひしと感じられました。




杉浦醫院四方山話―450 『 ピアノ再生物語1-心意気』

 10月28日(水)午前8時に静岡県富士市を70歳になる辻村晴男氏は、愛車のスカイアクティブテクノロジーDデミオに技術主任・臼間雅代氏と必要な工具を積み込み、国道139号を登り、精進湖線を下り、一路杉浦醫院を目指しました。


 辻村音楽企画店のピアノ調律部門を担う臼間氏は、出勤前に富士市内にある広見公園に行き、公園内に移築保存されている富士市の指定文化財「杉浦医院」の建物を撮影してからの出勤だったようです。

それは、かつて富士市内にあった杉浦医院を私たち見せてあげようと云う気遣いからでした。

朝陽にまぶしく輝く青を基調にした瀟洒な洋館は、三郎先生の兄・杉浦秀宜氏が西条新田から富士市伝馬町に移り、2代に渡り70年間開院していた「杉浦医院」です。

杉浦医院
大正8年建築の富士市の杉浦医院

 超ご多忙の中、ピアニスト佐藤恵美氏とのスケジュール調整などを行い、11月1日の院内コンサート実現にご尽力くださいましたテノール歌手の杉浦誠先生は、「私が杉浦医院を潰しました」と笑いながらおっしゃいますが、心に期すモノがあったのでしょう富士杉浦医院を閉じ、現在は「熱海所記念病院」の医院長を務める外科医です。

 

 この富士杉浦医院で、誠氏の父に家族全員が世話になったと云う辻村氏が、誠先生が祖父の実家の杉浦醫院で院内コンサートを計画していることを知り、「杉浦先生の為ならば」と、ピアノの修復再生を買って出てくれました。

 9月にピアノの状態確認の為、4人で当館を訪れ、「これならば、二人で一日かければ見違えるようになります。杉浦先生のコンサートに間に合う様、日にちを調整して来ますから、ボランティアで是非やらせて下さい。」と・・・

 

 10時前に昭和町内に入るとコンビニを見つけた辻村氏は「迷惑をかけないようにおにぎりを買っていこう」とお茶とおにぎりの昼食を用意するなどボランティアに徹底しようと云うこだわりは、矢張り「職人の心意気」からでしょうか。



 前後して、YBS山梨放送のスタッフが、まぼろしのピアノ再生修復の模様を記録しようとカメラを備えたところに辻村氏と臼間氏が、道具を持参して来館しました。

 休む間もなく「先ずは、内外の磨きから」と、手慣れた要領で、鍵盤と天板を外しにかかりました。



 辻村氏の「ピアノ調律論」は、「ピアノが工場から出荷された時の状態に出来る限り戻すこと」と明快ですから、単に音合わせのような「調律」と一線を画した作業が、著名なピアニストからの指名にも繋がっているでしょう。

今回の辻村音楽企画店のボランティア作業を「ピアノ再生物語」として、詳しくご紹介していきます。