2013年2月19日火曜日

杉浦醫院四方山話―224 『残りの雪と湯気』



 寒い冬でも朝からジョギングやウオーキングに励んでいる方がいますね。そのほどばしる意欲や情熱も手伝ってか、湯気を上げ上げ頑張っているのを見かけると、「おっ、中華まん一歩リード、負けるなアンまん」などと、勝手を云いながらマン・ウォッチングを楽しむ変な癖がついてしまいました。昨夜の雪が薄く残る杉浦医院の朝の庭掃除で、小立から湯気が出ているのに気付き、さっそくカメラを取りに事務所に戻りました。朝陽と風や気温の微妙な関係で、さっきは、もっとモクモク出ていたのに・・と、こちらの都合通りいかないのが自然で、マン・ウォッチングのようにはいきません。
 この現象も原理的には、雪や雨で湿った木に朝陽が差し、木の表面が朝陽で暖められ、濡れた木の水分が蒸発して水蒸気となった水が、外気に冷やされ細かい水滴となり、それが湯気のようにみえるのでしょう。ですから、季節的には、朝陽も温かみを増し、かつ外気はそこそこ冷たいと云うこの時期に起こる現象でしょう。原理主義者ではないので、確たる自信はありませんが、間違いないでしょうか? 
 杉浦医院庭園の木々でも今朝この現象が見られたのは、樫の木と杉の木で、それも南側の朝陽が当たる所の木だけですから、「年の瀬や ひとり湯気噴く 大やかん  恵泉」のように噴く訳ではありませんので、こういう自然現象に立ち会えた喜びを素直にひとひねりしてみました。 ≪湯あがりの 女(ひと)に重ねる 湯気木肌 ノラオ≫
蛇笏先生でしたか「自分の人生と合わせて自然の変化を詠うのが俳句。作品は作者の人生の凝縮」とか。確かに出ちゃてますねぇー・・・「困った、困った、軽くて困った」です。

2013年2月13日水曜日

杉浦醫院四方山話―223 『国の登録有形文化財プレート設置』


 杉浦医院敷地内の5件の建造物が、昨年8月に官報で告示され、正式に文化庁から国の登録有形文化財に指定されました。9月には、町長へのプレート伝達式もあり、新聞等でも報道されました。銅製のこのプレートを何処にどのように設置するか検討してきましたが、この度、ご覧のように入り口正面で、富士山に対峙しながら杉浦家庭園のシンボルでもあるモミジと椿を背にサツキに囲まれた庭石といった感じに設置しました。
当初、いくつかの提案もいただきましたが、杉浦家の庭園内にある自然石を使うことで、庭園とのバランスを保ち、目立ちすぎないよう配慮しました。プレートが納まっている佐久石は、母屋屋敷西側の苔庭に配されていた庭石です。その台座には、池の前の土止めに使われていた桂石を、その前を囲んでいる石も数ある土留め石の中から佐久石を選んで移動し、サツキ二本の移植も含め、寒風吹き荒れる中でも無事終了しました。

 このプレートの第一見学者は、翌日9日(土)の午前中に来館した佐藤紗世さんです。佐藤さんは、役場の新人職員ですが、学生時代、社会教育主事の実習生として、杉浦医院一年目に実習に来ました。片付け整備に追われた時でしたから、一緒に整備作業に励む作業実習でしたが、進んでシルバー人材のおばさん達の草取りを手伝ったり、移設された「地方病流行終息の碑」の前に龍のヒゲの苗を植えるなど積極的な姿勢が印象的でした。当時から「第一志望は、昭和町」と公務員を目指し、現在に至っています。目の付けどころもシャープで、今日も「庭の登録文化財のプレートいいですね。写真を撮りました」と云うので「そうだ、佐藤さんが見学者第一号だから、ブログに名前も出していいね」「えっ、いつ建てたんですか?」「昨日だよ」「えー、もう数ヶ月経ってるのかと思った。庭に溶け込んで凄くいいです」と若い女性からの高い評価も得て、このプレートも本望でしょう。

2013年2月12日火曜日

杉浦醫院四方山話―222 『見世物小屋』


 冬の甲府盆地の風物詩は、節分の「大神さん」で始まり、湯村界隈での厄地蔵(やくじぞう)の縁日へと続きました。厄地蔵は、福田山塩澤寺で毎年2月13日午後0時から24時間行われる「厄除け地蔵尊祭り」の略称です。国の重要文化財にもなっている地蔵堂にある地蔵菩薩座像が、この24時間だけ願いを聞いて、お参りした人は厄を逃れることができると云う由来で、関東一円から多くの善男善女が訪れることでも有名です。
厄地蔵と云えば「かや飴」ですが、よく行った釣り堀のオヤジが、毎年この日は、露店でかや飴を売っていたのが不思議でした。 塩澤寺までの温泉通りには、たくさんの露店が立ち並び、特に厄地蔵には「見世物小屋」が必ずあったのが楽しみでした。        
 「上半身は絶世の美女、下半身は魚、この人魚が見れるのは今日だけだよ」という呼び声と原色の看板に誘われて入った「のぞき井戸」も見世物小屋ですが、かや飴を我慢して、入場料を払ったのを覚えています。
 「人さらいが来て、サーカスや見世物小屋に売られるぞ」と脅かされて育った時代ですから、見世物小屋で、生きた蛇を首に巻いた女性が蛇と接吻をしているのを見た夜「あんな綺麗な女性がどうして?」とか「あの女の人も人さらいに売られたのか?」と、興奮して眠れなかった記憶もあります。そんな厄地蔵にもすっかりご無沙汰ですが、今も湯村温泉通り界隈に行くと何となく、怪しげな魔といった物の怪(け)を感じてしまうのですが・・
それは、学校で湯村温泉を「行ってはいけない所」と指導され、「何で?」と行ってみたくなり、友達と湯川沿いの雑草をかき分け、隠れ隠れ行ったこととも無縁ではないでしょう。柳並木の温泉通りに出ると日傘をさした顔が真っ白の着物姿の女性に出くわし、見世物小屋でもないのに幻想的な異界に来たようで、胸が躍りました。芸者と云う女性の職業がある事も学習して、S君と秘密の湯村芸者見学行が続きましたが、会える日は少なく持久戦を強いられました。昼日中では当然のことで、その辺はまだまだガキでしたが、あれ以来、「行ってはいけない所」には「行ってみる価値がる」と確信し、妖気な悪の世界の魅力と云ったものに惹かれるようになりました。


 「見世物小屋の文化誌」によると、あんなに盛んだった見世物小屋も現在は新宿花園神社の酉の市で年に一度だけ開かれているだけだといいます。その名残は、せいぜい「お化け屋敷」と云ったところでしょうが、独特の口上とキッチュな布旗や横断幕で囲まれた見世物小屋の定番は、人間ポンプやへび女でしたが、湯村温泉郷の芸者同様、非日常的な世界で、もう一度見てみたいと思うのですが・・・・

2013年2月9日土曜日

杉浦醫院四方山話―221 『杉浦医院照明器具-5』


 杉浦医院内に設置されている照明器具を順次紹介してきましたが、今回の照明は、どこの照明かお分かりでしょうか?

 写真左は、奥の小部屋から、右は、入口側の小部屋から撮影したもので、壁で仕切られた両部屋の照明として設置されているものです。
 そうです。杉浦医院内のトイレの照明です。

 男の特権でもある立ち小便を保証する男子用小便器が、かつての家にはありました。洋式便器の発達と共に男女兼用が当たり前のように男子用小便器は、すっかり現代家屋から姿を消し、公共トイレ等に残るのみと云った感じで、個人の住宅で男子用小便器があるお宅にお邪魔すると家主の姿勢と位置が読み取れ、思わず「いいぞ―○○」と主を讃えたくなります。男女兼用洋式トイレの普及で、男でも坐して小用する子どもや若者もいるとの話も聞きましたが、中沢新一氏が著書「日本の文脈」の中で、「僕の曾祖母は文久三(一八六三)年生まれだったんですが、このひいおばあちゃんはよく立ち小便をしていました。とっても上手に、着物のすそも汚さないで。江戸時代の京・大阪の記録を見たら、女の人たちはみごとに立ち小便をしていたらしい」とあり、実際、江戸時代以前は、この国の女性は、全国的に立ち小便をしていたようですから、「立ち小便を男の特権」などと思い込んでいるのも浅学の極みかも知れません。季節がら「下ネタ半島冬景色」になりそうですから話題を変えて・・・
 これも「かつて」の接頭語が必要になりますが、せんだみつおと云う芸人が、「便所の100ワット」と揶揄されつつも「無駄の明るさ」を売りにテレビで騒いでいましたが、杉浦医院のトイレには60ワットの白熱球が納まり、ご覧のように女性トイレ側の3面ガラスが開いて電球の交換が可能な構造です。黒枠の3面体で左右全く対照、同形で、同じ明るさでそれぞれの小部屋に必要にして十分な明るさを灯すこのトイレ用照明も80年以上前のものですから、日本の照明器具の造りの良さとデザインに感心させられると同時に「良いモノを末長く」の杉浦家の選択、購入の一貫性も光っています。

2013年2月7日木曜日

杉浦醫院四方山話―220 『フットパス昭和楽校だよりー2』


源氏ホタルコースを歩く!


2月24日(日)午前9:00~12:00
昭和町押原公園集合・解散

 1月14日(祝)に予定していたフットパス昭和楽校のスタートツアー「源氏ホタルコース」は、大雪で中止を余儀なくされ、出鼻をくじかれましたが、「雪降って地更に固まる」と、2月24日に開催することとなりました。よって、既にやまなしフットパスリンク等で周知されています2月16日(土)開催予定の「杉浦医院コース」は、3月以降に順延となります。

 上の写真は、源氏ホタルの幼虫です。昨年の5月から6月に水辺で光を放って舞った成虫(これをホタルと呼んでいます)は、約2週間の命を産卵のために過ごします。
その卵が、7月には孵化(ふか)して、1ミリ弱の幼虫になり水中でカワニナという巻き貝を食べ約7ヶ月経ちました。現在は、ご覧のとおり3~4センチ前後に成長して、いつでも町内の河川や池に放流出来る状態です。この幼虫が4月後半には、水中から這い上がり、今度は土の中で繭をつくり、蛹(さなぎ)になります。これを蛹化(ようか)といいます。そして、5月後半から6月前半にかけて蛹が羽化(うか)して、成虫となり空中を舞うようになります。このように、卵→(孵化)→幼虫→(蛹化)→蛹→(羽化)→成虫という段階を経る昆虫を完全変態昆虫といい、チョウやカブトムシも同じ仲間です。
 
 こんなホタルのお勉強もしながら、まち歩きで健康増進を図り、新たな発見を楽しもうと云うのがフットパスです。参加希望者は、フットパス昭和楽校(080-4118-0151 森)までお気軽にお問い合わせ、お申し込みください。保険に加入しますので、お名前と電話番号、参加費500円(当日徴収)が必要です。

2013年2月6日水曜日

杉浦醫院四方山話―219 『杉浦医院照明器具-4』


 杉浦医院2階は、病院施設として使われたものではなく、主に杉浦家の客間として使われていたそうです。三郎先生の長男で、純子さんたち三姉妹の弟の健一さんが、学生時代は勉強部屋として使い、大学時代は友人を連れて帰省し、この部屋で夏休みを過ごしたそうです。
 東京で自衛隊中央病院の勤務医になられてからも「ここで、湯豆腐屋でもやろうかな」と、帰るとよく冗談で言っていたと純子さんが話してくれました。

 自衛隊中央病院で、三島由紀夫の割腹自殺や御巣鷹山の日航機墜落事故の救急医療にも活躍されたそうですから、都心の勤務医の激務な毎日を思うと、田舎で通人粋客相手においしい湯豆腐屋でも・・・は、健一さんの67歳の人生を思う時、あながち冗談だけではなかったようにも感じてしまいます。何より「湯豆腐屋」という具体的なイメージが、健一さんの嗜好と人柄を象徴しているようで、私には大変リアルに思えるのも同じような年齢に差し掛かったせいでしょうか。

 そんな勝手な感傷も手伝って、2階の八畳二間に静かに控え目に吊り下げられた全く同じ二つの照明は、八代亜紀でしたか、「灯りは ぼんやり 灯りゃいい」で、襖を引いて二組の客が、この灯りの下で火鉢の炭火で程良く温まった湯豆腐をつつきながら、ぬるめの燗酒を静かに酌み交わすのに絶妙な灯りに見えてきます。それは、港町では「肴はあぶったイカでいい」のですが、盆地で日本庭園のこの地では「湯豆腐」でしょう。ついでに「女は無口の方がいい」は、「静かな酒がいい」と、阿久悠センセイもお考えだったのでしょう。
 いやはや、脱線してしまいましたが、女性来館者からは「わぁー、かわいい」と思わず声があがるように丸く曲線が活かされたデザインと主張しない花模用も施された和笠も昭和4年新築時のものです。

2013年2月2日土曜日

杉浦醫院四方山話―218 『杉浦医院照明器具-3』


 この重厚な照明器具は、医院玄関タタキの天上に設置されている照明器具です。


213話でご紹介した廊下天井の照明器具と形状は似ていますが、大きさと細工はご覧のように違います。右写真のように廊下が正六角形だったのに対し、変則八角形でガラスも全面に凹凸のあるすりガラスになっています。そのガラスの枠にはご覧の様な文様が彫られ、電気を付けるときれいに光が抜け、手の込んだ造りが浮かび上がります。すりガラスと白熱球が、全体をオレンジ色がかった光に偏光し、大きさも3倍ほど大きいことから、重厚感が一層増す照明として玄関用に選ばれたのでしょう。
 
玄関と廊下に統一したデザインの照明を選択したように玄関を入った待合室には、214話でご紹介した診察室の照明と合わせたアールヌーボー様式の照明が直着けされています。上部の円周は、間違いなく葉の模様で取り巻き、下の部分も花の模様ですが、私にはコスモスかな?程度で、何の花と葉なのか特定できません。花に詳しい方でしたら「○○だよ」と即断出来る典型がデザインされているものと思いますので、是非ご来館の上、ご教示ください。
 「応接室の照明は、確か昭和20年過ぎに今のシャンデリアに交換したのを覚えています。元は診察室と同じ、白くて丸い照明が付いていました」と、純子さんの確かな記憶ですから、診察室と待合室、応接室は、アールヌーボー様式のシンプルで気品のあるデザインで統一し、それぞれが違った花を咲かすよう微妙に違う意匠のものが選択されていたのでしょう。

2013年2月1日金曜日

杉浦醫院四方山話―217 『2月の甲府盆地風物詩』


 昭和町の源氏ホタルが国の天然記念物に指定されていた頃、昭和町の「ホタル祭り」には、甲府盆地の初夏の風物詩として、身延線に臨時電車や山交バスが増発され、多くの人が蛍合戦の見物や露店を楽しみに訪れたそうです。テレビが全家庭に普及する以前は、こう云った季節ごとの「祭り」を子どもに限らず大人も楽しみに出掛けていました。

 今よりもっと北風が強かった(ように思いますが)真冬2月の楽しみは、節分の2月3日でした。意味も分からず「だいじんさん、だいじんさん」と、横近習町大神宮から柳町大神宮にかけてのお祭りの賑わいと赤鬼、青鬼は、風月堂のきりざんしょうとセットで、待ち焦がれました。祭りには、綿菓子に代表される食べ物が付き物で、お小遣いを握った子どもの目当ですから、「切山椒」が商品名なのでしょうが、平仮名で「きりざんしょう」と書かれていました。
「きりざんしょうは風月堂だ」と、ロクに味の分からない親父がこだわっていたのも風月堂ときりざんしょうがセットで記憶に焼き付いている一因かも知れません。甲府が県都としての位置をしっかりキープしていたからでしょうか、人で溢れ返った大神さんに、もう50年近くご無沙汰ですから、現在も昔同様の賑わいなのか分かりませんが、きりざんしょうの味は、春を告げる甘さでもあり、人込みから恐るおそる覗いた鬼と共に冬の甲府の風物詩でした。

 甲府盆地に春を呼ぶ祭りとしては、2月10日の旧若草町の十日市も有名ですが、ボロ電と呼ばれた路面電車も廃止され、自動車も普及してない時代でしたから、足がなかったのが大きかったのでしょう、甲府市北部では「十日市に行った」とか「行こう」という話題は、家族からも友達からも聞きませんでした。私の大神さんが中巨摩郡一帯では十日市だったのでしょう。「十日市で売っていないものは猫の玉子と馬の角」と言われているそうですから、大神さん同様多くの露店が並ぶなかには暴力団が関与するものもあり、警察の要請で露天商の参加を認めなかった昨年は、中止となったようです。
 監督の暴力、暴言は、日本のスポーツ文化であるように、露店も日本の祭り文化ですが、安全・安心第一の無菌社会一直線の現代にあっては、ヤリ玉にあげられ集中砲火の感も否めません。口の周りがまっ赤に染まる有毒着色材の食べ物を露店で買っては喜んで育った自分ですから、「そんなに大騒ぎすることないじゃん」が本音ですが、すぐ忘れ、繰り返すのも日本人の特性だそうですから、この騒ぎも次のターゲットまでの命でしょう。