2019年8月26日月曜日

杉浦醫院四方山話―590『科学映像館・久米川正好先生』

8月25日(日)の朝日新聞の「REライフ・人生充実」シリーズに科学映像館を主宰している久米川先生が「輝く人」として大きく報じられました。 


 

写真・図版
(輝く人)科学映像、守り生かす デジタル映像アーカイブ主宰・久米川正好さん映画の修復とデジタル化を委託する東京光音の作業場で、映画フィルムのチェックに同席する久米川正好さん=東京都渋谷区、飯塚悟撮影

 

≪解剖学や骨代謝学が専門の久米川正好さん(84)。科学映画の先駆者に誘われ、映画製作の道へ。それらのアーカイブをつくり、無料配信を始めた。配信は週1回。公開作品は千を超す。「古い科学映像にもまだ活用の道がある」との思いで活動を続ける。≫と云う出だしで、先生の略歴からこれまでの活動が詳細に報じられています。

 

 写真のように84歳と云うお歳が嘘のような若さは、矢張り使命感を持って新たな分野に積極的にチャレンジし、現在もますます意欲的に科学映像館の構築を図っている「充実人生」故でしょう。

記事の中にもありましたが、大学教授定年までパソコンに触ったこともなかったと言う先生が、インターネットでの科学映像無料配信の必要に迫られると人に任せるのでなく自ら学習して現在では、パソコンやスマホ数台を自由に操り、ブログやツイッターで映像館情報を日々配信もしています。

 

 当館にも来館いただき貴重なアドバイスをいただいたり、定期的に先生から電話連絡もありますが、私達より必ず数歩先の早い情報を教えてくれることがありがたく、アンテナの高さも若さの秘訣かと感心します。

 

 例えば、7月中旬の電話で「日本住血吸虫関係の映像へのアクセスが急増していますが、何かありましたか?」と聞かれ「こちらの見学者には、パンフを渡してここにある映像は全て科学映像館のサイトでも見られることを今まで通りPRしているだけですが・・・」と答えたのですが、その数日後から当館への来館者も急増し出しました。

 夏休み期間と云う事もありますが首都圏のみならず三重県とか石川県、石垣島からもお越しいただくなどこれまで以上に広域なので「どうして当館を?」と案内中に尋ねると「YouTubeでこんな病気があることを知って調べたら、インターネットでもいろいろな映像があり、その中でここが出てきたので」と云う返事が共通していました。

科学映像館の日本住血吸虫関係の映像へのアクセス急増の引き金もYouTubeで、科学映像館の映像を見た方が当館にも興味を持って足を運んでくださったことが分かりました。

 

 

 科学映像のみならず貴重な映像の無料配信を続けていくのは、経済的にも大変なご苦労があろうかと思いますが、先生は豊富なアイディアを次々具体化してデジタル化費用を捻出しています。

 これまでは個人からの寄付や企業の協賛、各種の助成金で事業を継続してきたようですが、最近は役目を終えた撤去冠を歯科医院に呼びかけ、金属リサイクルによる活動資金の確保を図っています。

 撤去冠とは、具体的には抜歯に伴う金歯や銀歯を科学映像館に寄付することで換金による資金調達ですが、これも歯学部教授だった久米川先生ならではの発想です。私も数人の歯科医にお願いしてみましたが、それぞれルートが確立していて右から左にはいかないことを知りました。そんな訳で、科学映像館の運営も資金的には厳しいのが実態かと思います。撤去冠に限らずアクセサリー等の金属も対象ですから、この場をお借りして手持ちの貴金属でのご協力をお願いいたします。詳細は、「科学映像館」サイトでご確認ください。

2019年8月9日金曜日

杉浦醫院四方山話―589『登録有形文化財と景観』

 山梨県の地方病が115年の歳月をかけて流行終息宣言が出たのは1996年(平成8年)ですが、同じ年に「文化財保護法」が改正され、消えゆく歴史的建造物の保護を目的とした「登録有形文化財」制度が出来ました。この「登録有形文化財」の対象となる建造物は、建設後50年を経過したものの中で、地域の歴史的景観に寄与しているものか?造形の規範となっているものか?再現することが容易でないものか?と云った基準を満たしているかで選定されます。

 

 ご存知のように当館内には、5件の建造物が「登録有形文化財」に指定されていますが、旧醫院棟と母屋が旧西条新田村全40戸の家が立ち並んでいたメイン道路に面し、土蔵や納屋は道路からは見えません。

純子さんは「ウチのように南道路の家は、庭も南にありましたが、北道路の家はどこも道路沿いに北風を防ぐ防風林がありましたから、道路は並木のようでした」とよく話してくれました。


 このような地域の景観が、高度経済成長と共に国内でどんどん消え去っていく状況下で生まれたのが「登録有形文化財」制度で、ヨーロッパの街並みのように日本でも歴史的景観を保存していく必要からでした。


 ですから、単に旧病院棟や母屋の建物だけが指定を受けているというより、庭園を含めた道路からの景観を保存すべきだというのがこの制度の根本趣旨です。

幸い、この西条新田旧道沿いには当館に限らず、正覚寺の桜の大木や宮崎家、塚原家の欅など年輪を重ねた木々と庭園も多く残っていますから、杉浦醫院を核にこの街並みと景観をどう守り、活用していくのか、区や町も住民と共に検討していくことも必要でしょう。


 それは、「景観」は「景色」とか「風景」と区別され、特に素晴らしい景色や風景を「景観」と呼ぶ時もありますが、「景色」「風景」は山や川など自然が織りなす美しさや素晴らしさを云うのに対し「景観」は、人間が関与したり作り上げてきた風景、景色を景観と定義していますから、それぞれの家が永年かけて作り上げてきた庭園や樹木は、景観には欠かせません。


 現在の杉浦醫院も昭和45年撮影の航空写真と見比べると明らかに違って、東西南北に大きな欅の木が茂り、「森の病院」とも呼ばれていた所以が分かります。純子さんは「宅地化が進み近所に家が多くなると、秋から冬にかけて舞う落ち葉の苦情で泣く泣く切りました」と話していましたが、この大木群からの「落ち葉の舞い散る西条新田」も冬の景観だったのでしょう。

 

落ち葉=ゴミ=迷惑が近現代の一般的な価値観だと云うことなのでしょうが、少なくとも「迷惑はお互い様」と云った価値観も併せ持っていないと片手落ちの感は否めません。