2019年8月9日金曜日

杉浦醫院四方山話―589『登録有形文化財と景観』

 山梨県の地方病が115年の歳月をかけて流行終息宣言が出たのは1996年(平成8年)ですが、同じ年に「文化財保護法」が改正され、消えゆく歴史的建造物の保護を目的とした「登録有形文化財」制度が出来ました。この「登録有形文化財」の対象となる建造物は、建設後50年を経過したものの中で、地域の歴史的景観に寄与しているものか?造形の規範となっているものか?再現することが容易でないものか?と云った基準を満たしているかで選定されます。

 

 ご存知のように当館内には、5件の建造物が「登録有形文化財」に指定されていますが、旧醫院棟と母屋が旧西条新田村全40戸の家が立ち並んでいたメイン道路に面し、土蔵や納屋は道路からは見えません。

純子さんは「ウチのように南道路の家は、庭も南にありましたが、北道路の家はどこも道路沿いに北風を防ぐ防風林がありましたから、道路は並木のようでした」とよく話してくれました。


 このような地域の景観が、高度経済成長と共に国内でどんどん消え去っていく状況下で生まれたのが「登録有形文化財」制度で、ヨーロッパの街並みのように日本でも歴史的景観を保存していく必要からでした。


 ですから、単に旧病院棟や母屋の建物だけが指定を受けているというより、庭園を含めた道路からの景観を保存すべきだというのがこの制度の根本趣旨です。

幸い、この西条新田旧道沿いには当館に限らず、正覚寺の桜の大木や宮崎家、塚原家の欅など年輪を重ねた木々と庭園も多く残っていますから、杉浦醫院を核にこの街並みと景観をどう守り、活用していくのか、区や町も住民と共に検討していくことも必要でしょう。


 それは、「景観」は「景色」とか「風景」と区別され、特に素晴らしい景色や風景を「景観」と呼ぶ時もありますが、「景色」「風景」は山や川など自然が織りなす美しさや素晴らしさを云うのに対し「景観」は、人間が関与したり作り上げてきた風景、景色を景観と定義していますから、それぞれの家が永年かけて作り上げてきた庭園や樹木は、景観には欠かせません。


 現在の杉浦醫院も昭和45年撮影の航空写真と見比べると明らかに違って、東西南北に大きな欅の木が茂り、「森の病院」とも呼ばれていた所以が分かります。純子さんは「宅地化が進み近所に家が多くなると、秋から冬にかけて舞う落ち葉の苦情で泣く泣く切りました」と話していましたが、この大木群からの「落ち葉の舞い散る西条新田」も冬の景観だったのでしょう。

 

落ち葉=ゴミ=迷惑が近現代の一般的な価値観だと云うことなのでしょうが、少なくとも「迷惑はお互い様」と云った価値観も併せ持っていないと片手落ちの感は否めません。