2014年10月29日水曜日

杉浦醫院四方山話―375『言葉と音楽のコンサート・もみじ伝承の会』

 今回の「杉浦もみじ伝承の会」は、実行委員会「マイパラ」の企画を基に進んできましたが、この日に合わせて、湘南から自主的に参加して演奏会を開催していただく話が急遽まとまりました。これは、杉浦精さんの従兄弟の方とご一緒に来館された轟秋彦さんの提案によるものです。

 

 轟さんは「ライトハウス・アンサンブル」と云う楽団を組み、横浜や鎌倉、都内などで演奏活動を続けて10年になりますが、当ホームページで、昭和8年にYAMAHAが製作・販売した皇太子生誕記念家庭用グランドピアノの存在を知り、実物の見学を楽しみに来館されました。

 

 さっそく、ピアノの調律具合を調べ演奏可能かどうかを判断し「是非このピアノを使った院内コンサートを」と進み「私も杉浦さんと同じ製薬会社の社員で、アマチュアの音楽愛好家なのでノーギャラで構いません。アンサンブルのメンバーもみな同じ思いですから、何かのイベントに合わせて開催できるといいんですが・・」で、「11月16日にもみじ伝承の会が予定されている」旨を話すと、即断で「その日に合わせて来ますから」とトントン拍子でした。

 

 

 その後もメールで進捗状況を報告いただき、轟さんの弦楽四重奏にプロのピアニスト・市田良子さんを加えての演奏会になることや劇団昴の女優・吉田直子さんも趣旨に賛同いただき、演奏の合間に語りや朗読が入る「言葉と音楽のコンサート」になるなど内容が一層濃くなってきました。

  轟さんによると「ライトハウス・アンサンブル」と云う名前も「湘南の海を照らす江の島灯台(=ライトハウス)のように、音楽の灯で街角を照らしてみたい」と云う思いからだそうで、湘南の地に誕生して間もなく10年の節目を迎える「ライトハウス・アンサンブル」が、海の無い山梨の昭和でも音楽ボランタリーで明るく灯していただけることをうれしく思います。

 

 当日は、午前10時から三科紗知さんの「魂の歌声」、11時から林法子さんの「優しい琴の音」、12時から「ライトハウス・アンサンブル」の「言葉と音楽のコンサート」、13時から「山梨が誇る若手津軽三味線奏者 福島孝顕さんの独奏」と、音楽イベントも連続して楽しめます。

 

 今回は試験的取り組みで、何かと行き届かないことも多々あるかと思いますが、女優吉田直子さんは、他のステージでも必要でしたらと、ご活躍いただけるとか・・・・実行委員マイパラの皆さんはじめ参画者が、臨機応変に盛り上げていこうと云うの献身的な姿勢での開催ですから、天気さえ良ければ、紅葉を愛で、和文化を堪能いただける身近な行楽イベントとしても乞うご期待デス。

2014年10月26日日曜日

杉浦醫院四方山話―374『もみじ伝承の会に出品の町内作家』

 先に押原中学校で、昭和町内にお住いの坂本泉さんと三枝史博さんの作品展が開催されました。

 坂本泉さんは、押越で「子ども造形教室」も主宰し、当館や町のホタル観賞会でも子どもたちが大型紙芝居で、杉浦父子や地方病とホタルの関係を上演していただいたりしてきました。

また、甲府市にある実家の医院をギャラリーと宿泊施設にかえ、海外の作家が滞在しながら作品を描き、発表するという「アーティスト・イン・レジデンス」の活動にも取り組み、アートを通して相互の文化交流を図っています。既に約20カ国からのアーティストを受け入れ、地域でアーティストと住民の交流を図り、甲府市を盛り上げる活動となって定着しています。

坂本さん自身も現代美術作家として多くの作品を発表していますが、今回の「杉浦もみじ伝承の会」は、「和」に限定した作品ということもあり展示はありません。


 今回、作品を展示いただく「絹彩画」の三枝史博さんは、河東中島の神輿保存会にも所属する若い作家です。

古い着物や桐ダンスなど和の素材を活かすのが特徴ですが、技術的にも「らでん」や「象嵌(ぞうがん)」と云った和の職人芸に近いモノがあるように思います。日本でも希少な絹彩画の作家として、介護施設で働きながら町内で作品作りに奮闘中と云う縁で、神輿保存会のメンバーからもあつい応援を得ています。

聞き慣れない絹彩画ですが、本物の良さは実際に観てみないと分かりませんから、ネット上にも作品は載っていますが、是非、当日足を運んで、実物をご鑑賞ください。


 

 「ハコ・テキスタイル」と云う言葉も新鮮ですが、ハコは箱で、テキスタイルは織物ですから、和の織物箱と云った所でしょうか?

この「ハコ・テキスタイル」は、「Haco Textile」名で、三越等で販売されている昭和町発の作品です。作っているのは、紙漉阿原にある森工業写真社の森昭子さんで、印刷業で培った技術を応用した作品で、私も名刺入れに愛用しています。

 

 若林よしこさは、杉浦醫院の地元・西条新田にお住まいで、義父の写真家・若林賢明氏同様フォトグラファーですが、「観ると幸せになる写真」がテーマで、当日6点のハッピーフォトが展示されます。

 

ハッピーな気分で、ヘルシーな上に栄養満点でおいしいお麩などお召し上がりいただくと幸せ感も倍増されます。「麩」と云う和食文化を昭和町で伝える岡田屋さんの出品にもご期待ください。 

2014年10月23日木曜日

杉浦醫院四方山話―373『雀のお宿・もみじ伝承の会』

 「毎週の台風で仕事が出来なかったから、もみじの会へ出そうと思って作った巣箱だけど」と、新装建設の笹本社長が、「雀のお宿」を制作し、庭園内に設置してくださいました。


 「家にあった古瓦と檜の木端で作った道楽だけど、11月16日は、安協の研修会と重なって出られないから、今年は作品だけ観てもらって、来年もやるんだったら数を作っておくから」と、当館庭園のもみじの紅葉に合わせ来月16日(日)に開催される「杉浦もみじ伝承の会」に笹本さんも参加しようと試作した本格的巣箱です。

 「最近、ギャーギャー(ひよどり?)ばっかりで、すっかり雀が少なくなったから入り口は雀専用に小さくした」と、二種類の雀のお宿が建ちました。


 上のお宿は、「平屋 二世帯」と説明もあるように平瓦を屋根に入り口も二つに分かれ、中もしっかり壁で仕切られています。

下のお宿は、屋根も丸い小じゃれたお宿で、エサのお米も用意され至れり尽くせりのワンルームです。

笹本さんは、河東中島神輿保存会のリーダーでもあり、新しい神輿を手造りしたことでも知られていますから、巣箱くらいはお手の物でしょうが、古瓦に合わせた自在な部屋は、やはりプロならでの作品です。


 このように自分の作品を展示して多くの方に観てもらい、欲しい方には頒布すると云うコンセプトで、今回20数名の作家が杉浦醫院庭園にブースを設け、紅葉を楽しみながら秋の一日様々な交流を深めようと企画されたのが「杉浦もみじ伝承の会」です。

女性3人の実行委員が「和」にこだわった作家を厳選し、相応しい会場を探した結果、当館庭園での開催を要請されたのを機に、実行委員会「マイパラ」と当館の協働として、今回試験的に開催することとなりました。


  過日、白州台が原で3日間行われた「第10回台が原市」は、5万人以上の客で賑わったそうですが、今年で10年目になる恒例行事も地元の山梨銘醸やJA梨北などが協働して作り上げてきた結果、今年は全国から集まったクラフトや骨董の店舗が旧街道沿いに150以上並ぶに至ったようです。



 地域に開かれた公園としての活用も目的に整備された杉浦醫院庭園は、スペースも限られていますが、国の登録有形文化財に指定された5件の建造物を背景に和の伝道師が集い、「琴」「声楽」「津軽三味線」の音楽家による生演奏会も随時開催して、当館にふさわしい文化イベントにしていこうと云う実行委員のしっかりした姿勢が、多くの賛同に繋がっているのでしょう。急遽、東京からノーギャラで出演していただけることになった弦楽四重奏団<ライト・ハウス・アンサンブル>や町内の参加作家について、次話でご紹介いたします。 

2014年10月22日水曜日

杉浦醫院四方山話―372『有楽流・秋の茶会-2』

 床の間の次ぎは、実際に茶を点てた今回の茶道具をご紹介します。

2年前の11月に開催された茶会では、座敷に炉が切られ、五徳の上に茶釜が設えてありました。

 今回は、ご覧のように炉は無く、風炉に茶釜です。この違いは、茶会が開催される月によって違ってくるようで、これも客人への細かな気配りの一つです。

11月から4月の寒い季節には、炉に炭を入れ暖をとれるようにし、5月から10月の暖かい季節には客人から炭を遠ざけるよう風炉を使うという「おもてなしの心」が、炉と風炉の使い分けになっているようです。

ですから、同じ秋の茶会でしたが、前回は11月25日に開催したことから炉を使い、今回は10月19日でしたから、風炉を使ったという茶道正傳有楽流と云う名称どおり「正傳」に則っていたわけです。

 

 この風炉と釜は、純子さんが有楽流の一線を退くにあたり、有楽流山梨支部に寄贈したものだそうですが、この風炉は形から「窶(やつれ)風炉」と呼ばれ、風炉の欄干や口縁部などが破損したり、欠けたような形になっていることから、欠風炉(かけぶろ)、破風炉(やれぶろ)などとも呼ばれているそうです。

 鉄製の風炉は、腐食で口縁部などが欠け落ちても茶人はそこに「風情」や「枯れ」などの深みを見出し、そのままか割れを継いだりして、その「詫びた景色」を愛でたのでしょう。

江戸以降は最初からやつれたものを作り、欠けた所から炭の暖もほのかに取れることから10月の名残のころには、この窶風炉を使うのが正統のようですから、5月から10月の風炉の季節でも開催月によって違う風炉を使うと云う茶道の「深さ」に驚いてしまいます。

 

 また、風炉の先にある「風炉先屏風」にも有楽流の桐の紋が彫られていたり、手前の「水差し」や「なつめ」「茶杓」など細かに観ていくととても書き切れませんので、これらの茶道具を使って清韻亭で開催された秋の茶会の雰囲気を写真でご鑑賞ください。

 

 

 

 

2014年10月20日月曜日

杉浦醫院四方山話―371『有楽流・秋の茶会-1』

 一昨年に続き、19日(日)に母屋の座敷・清韻亭において、純子さんも長く師匠として活躍された有楽流の秋の茶会が開催されました。

純子さんは「私はもう歳ですから引退した身ですが、ここでやると参加者も多くなるというので会場をお貸しするだけで・・・何も出来ませんが」と控えめにおっしゃっていましたが、昔からの社中の方々との再会も愉しみのようでした。




 前回の清韻亭での秋の茶会は、お釜をはじめとする茶道具から掛け軸まで全て純子さんのコレクションでの開催でしたが、今回は、有楽流山梨支部の品や会員の所持品での開催でしたので、ご紹介します。


 

 茶会での床の間は、その席主の想いが込められたものだそうですから、先ず床の間の品々です。今回は武川会長の茶軸と季節の花と香合をバランス良く配した設えになっていました。

この三点の組合せで、床の間全体が一つの小宇宙になるようですが、これは着物と帯と履物の組合せと同じで、一つひとつ単独で観る時と組合せて全体で観るのとでは趣も変わってきます。

 「茶軸は、天祥作の紅葉です」と歌の解説もいただきましたが、書に見とれてはっきり覚えていません。奈良の紅葉の名所・龍田川の秋を歌ったものでしょうが、漢字とかなのバランスと右上から左下に流れるような構成は、龍田川を表出しているかのようです。

 同じ龍田川の紅葉を歌ったものでは、六歌仙の一人で、平安時代きっての色男として伊勢物語では「昔男ありけり」と謳われた、稀代のプレイボーイ・在原業平の『千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは) からくれなゐに 水くくるとは』が有名ですが、これを機に「天祥」についても調べてみようと思います。

 

 紅葉の茶軸に秋の花九点を活け、虎竹の籠で包んだ見事な季節の花で、ミニザクロまで盛られている花々の名前もご教示いただきましたが、これもうっとり見とれていて覚えていません。   挙句に「秋の花でこういう感じにと花屋さんに注文するんですか?」とバカな質問をして「お茶をする者は花も活けますから、これも自分たちで活けました」と。同席したM氏も「そう云えば、うちの庭にみんなあるような花だ」と発しましたが、どこにでも咲いている季節の花も活け方のセンスでこのように絵になるのでしょう。

 

 帛紗(ふくさ)の上の「香合(こうごう)」です。帛紗は、着物の帯にはさんで茶道具を拭い清める絹の布ですが、他の流派では帯の左側にはさむのが一般的ですが、武家の茶道・有楽流では左側には刀が入りますから右側にはさむそうです。帛紗の折り目には、紫色の有楽の桐の紋と白く織田家の木瓜紋(もっこうもん)が配されています。織田家にはいくつもの紋があるようですが、お茶のときは、桐の紋を使ったことから有楽流の紋になっているようです。

 香合(こうごう)は、香を収納する蓋付きの小さな容器の茶道具です。今回の香合には雁が三羽舞っていますが、お茶菓子も「月に雁」の饅頭、箸も花籠と同じ虎竹で統一されるなど細かな所まで気配りが行き届き「だいたいでいいやダイタイデ」と云った大雑把な人間には窮屈でもありますが、大変勉強になり、あらためて「茶道は日本文化の総体」を実感しました。

2014年10月16日木曜日

杉浦醫院四方山話―370『病院の博物館』

 過日、静岡県からお一人で来館されたYさんは、ネットで当館のことを知り、「博物館のように見学できる病院は無いんで来ました」と来館動機を教えてくれました。

確かに当館のメイン名称は「杉浦醫院」ですから、「杉浦醫院〇〇です」と電話対応もしています。Yさんから見学予約のFAXが届き、記載されていた電話番号に予約受付の返答をした折も母親らしき方に「杉浦醫院の××と申しますが、〇〇さんいらっしゃいますか?」と尋ねると、「えっ留守ですが、何か?」と不安気な声に変わり、用件を話すと「病院からなので、何かあったのかとびっくりしました」と子を思う母の自然な思いが電話越しにも伝わりました。



 「塩の博物館」「自動車博物館」「タバコ博物館」「寄生虫博物館」等々ありとあらゆるジャンルの博物館や資料館がありますが、確かに病院や医院がそのまま見学施設になっている所は、日本では、数年前に開設された東京大学医学部にある「健康と医学の博物館」位しか思い当りませんから、Yさんのご指摘の通り、杉浦醫院の医院棟は昭和初期の医院が見学できる貴重な存在です。


 医学や医院の博物館として有名なバンコクの「死体博物館」は、東アジア最大のシリラート病院に隣接した博物館です。このシリラート病院の敷地には、「法医学博物館」「解剖学博物館」「寄生虫博物館」「病理博物館」「タイ医学歴史博物館」「先史博物館」と六つもの博物館があり、タイ観光の目玉にもなっています。

この中でも特に「法医学博物館」は、通称「死体博物館」と呼ばれ、病気で死亡した人の臓器や奇形胎児のホルマリン漬けなど衝撃的なものが展示されていることから「死体博物館」と呼ばれるようになりました。

こんな展示は、序の口で・・・・・・

  怖いもの見たさの好奇心旺盛な人には人気でしょうが、この種のものが得意ではない方にはおぞましい展示内容で、賛否が分かれたり物議を醸して有名にもなりました。

 もともとは、タイの国民性として死体を忌み嫌う習慣が無いことから、事故現場などの死体や死体写真集を日常的に見るというタイ人の習慣が、この博物館の誕生につながったようですから、現代日本では、せいぜい「寄生虫博物館」まででしょう。


また、病院や医療に関わる展示をして博物館としているのではなく、ロンドンやパリにある博物館は、病院だった建物に価値と人気があり、博物館となっています。

 杉浦醫院医院棟は、日本住血吸虫症の研究、治療の足跡が辿れ、かつ昭和4年築の開業医の建造物としても国の登録有形文化財に指定されていますから、日本国内屈指の病院見学施設と云っても過言ではないでしょう。

2014年10月8日水曜日

杉浦醫院四方山話―369『新着映像・NHKまるごと山梨』

 2日の団体見学は、昭和町母子愛育会のメンバーでした。その直前にNHK甲府放送局のYデュレクターから、「まるごと山梨」で放映された長田アミナ・ウスマンさんを紹介した録画映像が送られてきました。

  愛育会員は、一日研修会の一環で見学時間は45分と限られていましたから、当館の見学者用DVD映像15分をご覧いただくと、土蔵を含めた見学時間が少なくなってしまうこともあり、とっさに約5分の新着映像を観ていただくことにしました。

幸い、全員の方がその番組は観てないということもありましたが、何より長田さんの「自分が少しでも社会のお役にたてる仕事をしたい」と思って生きてきた99年の人生は、愛育会役員と云うボランティア活動に時間をかける方々と重なる部分があるように思ったからです。 

見学時間は、最低でも1時間ないと・・・町内の皆さんですから、もう一度たっぷり時間をとってお越しください

 9月18日にNHKの「まるごと山梨]で5分間放映された内容は、長田さんの全体像の紹介で、当館で収録した部分は入っていませんが、11月7日放映予定の25分番組では、インドネシア独立運動の具体的な話で、応接室で4時間に及んだ収録映像がメインになるかと思います。

5分とは言え、「山梨出身でこんな立派な生き方の女性がいたのか」と放映後、キャスターがもらした率直な感想に全てが象徴されていますが、長田さんのひと言ひと言の重みと映像の力に驚く内容です。

 

 圧巻は、 10月4日に百歳を迎えた長田さんの最後の言葉でした。

「生き方のモットー」を問われ「お互い助け合って平和に暮らさなきゃ」に続き「せいぜい100歳しか生きない人間が殺し合ったんじゃしょうがない」。

 山梨でも長田さんのことを知らない方が多い現状ですが、テレビ東京も取材を始めたとのことですから、長田さんの人生がもっと広く周知されれば、ノーベル平和賞にノミネートされても不思議はないと思います。

長田さんには、もっともっと長生きしていただいて、山梨県人初のハレのニュースにもご登場願いたいものです。


PS:NHK甲府放送局のYデュレクターから電話で、25分編成の番組は、予定通り11月7日(金)の「クエスト山梨」での放送が決定したそうです。

2014年10月5日日曜日

杉浦醫院四方山話―368『来館者素描-2』

前話がちょっと重たい来館者の話でしたので、今回はアットホームなBさん親子の素描です。

まあ、「アットホーム」なんて言葉も簡単に使いましたが、「具体的なイメージや意味も人によってだいぶ違うんだろうな」とふと思い、同じように「家族」も当たり前の共通理解があるようで、実は個々には違っているのかも知れません。

 

  一時期「サルもの」と分類された書籍がよく出版されましたが、京都大学の山極寿一教授がサルやチンパンジー、ゴリラとのフィールドワークを重ねて書いた本が好きでした。

 山極氏から「子育てをするサルはいるが、父親であり続けるサルはいない。人間の家族はオスが父親になることで出来上がった訳で、家族は人間にしかない」ことを教えられ、子どもの目途が付いたらサルのように自由に放浪したいという思いが強くなったのを覚えています。

山極 寿一(やまぎわ・じゅいち) 1952年生まれ。京都大学大学院理学研究科教授。日本霊長類学会会長。長年にわたり、野生のゴリラやチンパンジー、ニホンザルの社会的行動を調査するとともに、その保護活動を行ってきた。主な著書に『暴力はどこからきたか』(NHKブックス)、『ゴリラ』(東京大学出版会)、『家族の起源』(東京大学出版会)、『人類進化論-霊長類学からの展開』(裳華房)、『サルと歩いた屋久島』(山と渓谷社)など多数。
京大学長より一研究者がお似合い?

しかし、山際氏は「人間は共同で長い時間をかけて子どもを育てるから、そこに共感が生まれ育って家族が誕生したと云う文化的、生物学的進化の賜物である」と、私のような浅学にクギを刺してくれました。

そういう意味でも「個人主義に突き進み、格差を生み出している現代の人間社会は、利益を重視し、ヒエラルキーを構築するサルの社会そのもので、人間社会がサル化してきた」と警鐘を鳴らす山際氏の危惧は一貫しています。

 

  アットホームな来館者Bさん親子は、この山極氏を思い出すに余りある方でした。

定年で一線を退いた父親と娘さんがご一緒に来館され、「全く家族だけで読む家族新聞を作っているので、写真を撮ってもいいですか」と、それぞれが展示物や館内を熱心に撮影していかれました。

インターネットのHP等で、手作りの家族新聞を紹介している人が増えていると云う話は知っていましたが、「家族だけで読む家族新聞」を成人した家族で発行していることに驚きと新鮮味を感じました。

同じ杉浦醫院を見学しても60代の父と30代の娘では、記事にしたい視点も違ってきて、それを新聞に載せることで、家族全体でその違いを認め合ったり、違いを楽しんだりしているのでしょう。

「人間にしか造れない家族であればこそ、時間をかけて一層良い家族を構築していこうと云う具体的な営み」が、Bさん親子の家族新聞取材見学だったのでしょう。

 

 最近は、「おひとりさま」と云う言葉も一般化するほど家族をつくらず個人で生きていくスタイルも増えていますが、山極氏は、「それは危険だと思います。家族という集団に縛られないことで自由になれるかというと、実はそうではありません。個人のままでいると、序列のある社会の中に組み込まれやすくなってしまうのが現実なわけです。それはまさにサルと同じ社会構造です」と、裁断していますから、Bさん家族は、山極氏のベスト推奨家族と云っても過言ではないでしょう。

 

 「是非、ご迷惑でなかったら私にも読ませてください」とお願いして、ピーピング癖を晒してしまいましたが、覗きたくなる魅力をBさん親子が醸していたのは確かです。

2014年10月1日水曜日

杉浦醫院四方山話―367『来館者素描-1』

 10月は、団体の見学予約が多いのですが、夏休みから9月に掛けては個人の来館者が多く、案内しながら個人的な話も伺えたりして団体客とはまた違った面白さもありました。

そんな訳で、ここ数カ月の来館者の素描を試みてみたいと思います。


  「一番怖いのは人間」と言い切ったAさん。


Aさんは、箱バンと俗称されている軽自動車のワンボックスカーで、身延方面から52号を上って来館されました。「私は、全国の市町村に行って見学するのが仕事みたいなものだけど、必ず役場に行って、職員にお勧めのスポットを紹介してもらい道案内もしてもらいます」と云い「昭和町役場で、ここを紹介されて来ました」と。「見学時間のご予定は?」と聞くと「時間はたっぷりあるから、いくらでもいいよ」との返答から、「個人情報」に立ち入った話になりました。

 

 要は、善意から間に入った仕事で労務災害が起き、一命を取り留めた方の親族から「責任を取れ」と脅迫が続き「家に居られない状況となって、車で全国を転々としながら、ホトボリが冷めるのを待っている」身であることを語ってくれました。

「だから、時間は十分あって、障害者手帳を交付されているから、博物館や美術館は無料だったり、割引があるので、この際全部周って勉強しようと思いたった」と明るく話してくれました。

「ホテルや旅館に泊まる金はないから、あの車で寝泊まりして、昨日静岡県から身延町に来て、しばらく山梨県内の未だ行ってない市町村へ行って、長野県に行く予定」とのことでした。

 このように山梨県も既に3回目だというAさんは、全国の資料館や博物館などを観ているので、随所にその勉強の成果が発露され、「日本住血吸虫」についての知識もあり、質問も鋭い内容に終始しました。


 そのAさんから帰り際「あなたは、この世で一番怖いモノは何ですか?」と問われ、「うーん、怖いもの・・・一番・・」と、正面切って聞かれると「この歳になると死も身近で、怖くもないし・・」と窮してしまいました。

すると「あなたは、幸せですね。私は人間ほど怖いモノは無いと思っています。こんなに豹変してしまうのかと云う人間不信を経験しないで済む人は幸せです」と、しっかり目を見ながら諭されました。

 

 有名な西郷隆盛の教えに「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也」がありますが、命も、名も、地位も、金もいらぬというような人は、大人物過ぎて処遇するのが難しいが、こういう「俗欲」で動かない人は、誠、仁、義といったもので動くから、そういう人でなければ、困難をともに克服して、国家の大業をなすことはできないんだと云った教えかと思います。確かに、このような大人物はなかなか居ませんから、「この世」は「金など俗欲で動く人間の集合体」であれば、Aさんの「人間ほど怖いモノは無い」は、リアリズムに満ちた箴言として届きました。