現代では、小ジャレタ飲み屋や料理屋が、こぞって付けている感もしますが、特別小ジャレテいなくても長坂町大八田には、うどん屋「長八房」もありますが・・・
この額が杉浦家の母屋座敷に昔からあったのは、この住まい、もしくは座敷を「清韻亭」と命名していたからでしょう。この「清韻」は、8代目健造先生の祖父、6代目杉浦大輔氏の「号」でもあります。昭和4年に杉浦医院を新築された健造先生は、同時に医院正面の庭に「清韻先生寿碑」も建立しました。
「杉浦健造先生頌徳誌」によると、大輔氏は、「5代目道輔氏の生存中に医業を継ぎたるも早世し、慶応3年正月父に先んして没す」とあり、7代目は、大輔氏の末弟嘉七郎氏が継ぎました。8代目の健造先生は、大輔氏の二男ですから、正確には大輔氏は健造氏の父でありますが、7代目がいることから、「祖父」としているようです。
「杉浦健造先生頌徳誌」によると、大輔氏は、「5代目道輔氏の生存中に医業を継ぎたるも早世し、慶応3年正月父に先んして没す」とあり、7代目は、大輔氏の末弟嘉七郎氏が継ぎました。8代目の健造先生は、大輔氏の二男ですから、正確には大輔氏は健造氏の父でありますが、7代目がいることから、「祖父」としているようです。