2011年9月21日水曜日

杉浦醫院四方山話―78 『十五夜』

 8月末から、つなぎのお軸として、清韻先生の墨絵が掛けられましたが、先の台風が過ぎ去ったと同時に松本楓湖の「養老の瀧」の軸になり、純子さんから「今年の十五夜はいつでしょうか」と聞かれ、「はて?」と困りました。花鳥風月を愛でる素養もない私は、毎年の十五夜を事前にチェックする習慣はありませんでした。
 ここ数年、甲府の印伝屋が「きょうは、十五夜です。」の全面広告をシリーズ化して、全国紙にも載せていましたので、その年の写真やコピーの出来栄えを楽しみながら「今日が十五夜か」と知る程度の習慣でした。そういう意味では、私の十五夜は、印伝屋のPR紙面を肴に、月を覗きながら酒を楽しむ位で、月見だんごにもお目にかかっていないことに気が付きました。
 十五夜とは本来は満月のことですから、年に12、13回めぐってきますが、旧暦の8月(新暦ではほぼ9月)の満月が、1年の中で空が最も澄みわたり、月が明るく美しくみえることから、この月の満月が「十五夜」と呼ばれ、年に一度の「仲秋の名月」となりました。しかし、十五夜に月見を楽しむ風習は、日本古来のものではなく、中国の唐から遣唐使によって日本に持ち込まれ、日本の風土に合わせて定着してきました。中国では、月餅(げっぺい)を作ってお供えしたのに対し日本では団子や里芋をお供えして、五穀豊穣を神に感謝する日へと発展したようです。要は、「満月を鑑賞するだけでなく、美味しい農作物に感謝して、満月の夜を過ごしなさい」という日ですから、今年の酒米の出来に思いを馳せ、おいしく酒を飲むのも十五夜の過ごし方として十分理に適っていることも分かり、安心しました。
 「芋名月」とも云われる十五夜に対して、約一カ月後の十三夜は、「豆名月」「栗名月」と呼ばれ、収穫物の時期に合わせた名前があるのも日本独自ですが、この十三夜は、日本で生まれた風習で、起源は江戸の遊郭文化だそうです。
 十五夜に有力な客を誘い酒宴をあげることで、一カ月後の十三夜にも足を運ばせる「営業」として、「十五夜と十三夜の両方を共に祝うのが出来る男の嗜み」とし、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見客」「片見月客」と呼んで、縁起が悪い客だと遊女らに嫌われたそうです。確実な二度通いを定着させる有効な「風習」まで創造した訳で、いつの時代もこの世界が産みだすアイディアと知恵には敬服します。また、文芸の世界、俳諧では、旧暦の8月14日を「待宵(まつよい)」、16日の夜を「十六夜(いざよい)」と称して、15日の名月の前後の月を愛でることも「風習」としていますから、全ての「風習」にお付き合いするのも大変ですが、今年の月は本当に綺麗でしたね。