2011年7月15日金曜日

杉浦醫院四方山話―61 『二葉屋酒造・奥野肇』

 甲府の十一屋酒造と野口忠蔵氏について丸山太一氏に伺った話を書きましたので、同じ造り酒屋の市川大門「二葉屋酒造」と「奥野肇」について紹介します。           東京都知事の石原慎太郎のエッセイ「私の好きな日本人」には、織田信長から岡本太郎や小林秀雄まで、日本人10人を取り上げています。 その最後10人目を「私の人生のなかで師と仰ぐ人は後にも先にも一人しかいない」と奥野肇という湘南高校の美術教師で閉めています。
「これまで僕はいろんな人に会ってきたけれども、教育の場で、その人の持つ学識に傾倒し、弟子を以って任じたような人はいないし、文学で師と仰いだ存在もいない。ほんとに大事なものを教わったなあ、自分を刺激して育ててくれたなあ、と感じられるのは、奥野肇先生しかいない」と書いて、高校生石原慎太郎が、いかに青年教師奥野肇に傾倒したかが縷々語られています。「新しくやってきた奥野先生は、山梨の市川大門の造り酒屋の息子で、家は裕福だった。」とあるように奥野肇の生家は、市川大門の二葉屋酒造店で、肇氏の兄親氏が家業を引き継いでいました。県の教育委員長も務めた兄の親氏も生前「ここには石原慎太郎や佐々木信也など湘南高校の生徒がよく泊まりに来ては、四尾連湖に行ったり、絵を描いたりしていた」と話してくれました。現在も石原慎太郎の自宅玄関や知事室には、奥野肇の絵が飾られ、慎太郎の処女作「狂った果実」の装丁も奥野肇の手によるなど慎太郎の敬愛ぶりが伺えます。不慮の事故で早逝した肇氏ですが、甲州が生んだ異才であることは間違いありません。
 この二葉屋酒造店には夏目漱石の挿絵でも有名な書画家・中村不折が長く食客として滞在し、清酒「栴檀」のラベルをはじめ多くの書を残しています。私見をはさめば、私の日本酒ラベルベスト1は、高知の「土佐鶴」か「栴檀」かで悩みます。写真のように不折の書体とデザインが見事で、このラベルを愉しみながら飲むのも一興でした。親氏の後を長男の奥野崇君が引き継ぎ、賢妻と悪戦苦闘の経営を強いられるなかで「栴檀」の醸造を続けてきましたが、2年前ギブアップしました。石原慎太郎が何度か訪れた二葉屋酒造店の建物も明治の代表的な建造物で、取り壊しの話も聞きましたが、市川大門には「市川マップの会」という消えゆく建造物の保存や活用を続けてきた町民サークルがあり、中心メンバーの一瀬明氏のご尽力で、二葉屋酒造店は保存され、修復と活用が図られています。中村不折書の「二葉屋」の大きな額も修復され見学できますが、店先の栴檀の木の下で、銘酒・栴檀は二度と飲めないのが残念です。