2018年7月1日日曜日

杉浦醫院四方山話―546『井伏鱒二と甲州ー3=幻の随筆=』

 過日、山梨文芸協会総会が県立文学館で開催されました。

例年、総会に先立ち記念講演会を開いているそうで、事務局の蔦木さんから、この講演会の講師依頼を5月の始めにいただきました。

参加者が文芸協会の方々で文学館が会場なら「ちょうど井伏鱒二展を開催中なので、地方病と井伏鱒二についても触れた話をします」と応えました。


 後日、持参くださいましたチラシを見ると演題は「井伏鱒二と日本住血吸虫症」となっていましたので、看板に偽りがあってはいけないと急きょ看板に合わせた内容の資料とレジュメを用意しました。メインは井伏の友人でもあった大岡昇平の「レイテ戦記」にまつわる後日談ですが、その辺については、当ブログでも何度か紹介してきましたので、詳細は下記をクリックしてお読みください。

 
杉浦醫院四方山話―422『大岡昇平「レイテ戦記」と補遺ー1』

杉浦醫院四方山話―423『大岡昇平「レイテ戦記」と補遺ー2』

杉浦醫院四方山話―424『大岡昇平「レイテ戦記」と補遺ー3』

 

 要約するとは、甲州をこよなく愛した井伏が、山梨でのかかり付け医・古守豊甫医師を通して聞いた、レイテ戦記に欠落している地方病の記述について、林正高医師の指摘を大岡昇平に連絡したことに始まります。井伏からの連絡を受け、大岡も甲府を訪れて両医師から取材した内容を中央公論・昭和63年1月号に「日本住血吸虫症ー「レイテ戦記」補遺Ⅱ-」と題して発表しました。山梨の医師二人と井伏を介しての大岡の対応や経緯と補遺に対する林医師と大岡氏の見解の相違などについて話しました。


 その補遺の中で、井伏は大岡宛に日本住血吸虫症について随筆5枚を書き送ったことも記されています。これが「井伏らしい大変な名文」だから、大岡は「自分が補遺を出す前にどこかに発表してくれ」と頼んだそうですが、井伏は「これは大岡にだけ記した文なので、どこにも発表しない」と云い、それを受けて大岡も「では、私も一切引用しない」と決めたというエピソードも披露されています。

 

 大岡の補遺が、全体的に随筆風な記述になっているのは、引用はしなかったものの事前に受けた井伏の随筆5枚が影響したのかもしれません。大岡はこれを発表した年の12月に亡くなっていますから、前年8月の甲府での聞き取りも「耳が遠くなって」とか「私は歩行失調で・・・」と書いているように井伏からの連絡に応えるべく、老骨鞭打っての強行と云った感も行間に滲んでいます。


 そんな文士らしい両作家の姿勢も紹介しながら、つい口が滑ったのでしょう「お二人も既に故人となられていますから、この幻ともいうべき井伏の地方病随筆を何とか杉浦医院で発掘してみたいと思っています」と当てもない大風呂敷を広げてしまいました。

 まあ、是非読んでみたいと云う私の前々からの思いが言わせたのでしょうが「井伏鱒二展を企画出来る県立文学館に是非動いて欲しいところです」と辻褄を合わせましたが、有言実行で当館でも何らかの手立てを考えていこうと思います。


 講演終了後、山日新聞文化部の女性記者から取材を受けましたから「そうだ、天下の山日新聞だったらルートもあるでしょう。是非、井伏の地方病エッセイですから山梨で発掘したいですね」と山日新聞にもお願いしておきました。


 井伏鱒二には、生まれ育った広島県片山地方も上京後よく訪れた山梨も共通して日本住血吸虫症の有病地帯だったことが山梨に慣れ親しんで多くの作品を残した一因であったことも確かでしょう。


尚、大岡昇平の「日本住血吸虫症ー「レイテ戦記」補遺Ⅱ-」が載った「中央公論・昭和63年1月号」は、県立文学館1F資料室もしくは当館でコピー可能です。