2011年8月31日水曜日

杉浦醫院四方山話―72 『病と差別-1』

 先日、埼玉県熊谷市から熊谷市人権教育推進協議会の委員と教育委員会事務局職員計40名が、春日居郷土資料館と当館に来館されました。この研修会担当の福島静枝委員は、事前に資料づくりの為、ご主人共々来館され、「人権教育(主に同和教育)」の課題や熊谷市での現状など貴重なお話を聞かせていただきました。「人権教育」に資する研修と云うことで、研修先も選定されたということから、「地方病と差別」について、私もあらためて資料を作っておく必要に思い至りました。
 
 春日居町郷土資料館には、特別展示室として「小川正子記念館」があります。肺結核を罹って43歳で亡くなった正子の遺品は、多くが焼却処分されたため、展示品は、年譜や胸像、短歌などに限られています。死因が「結核」であると、衣服や日用品まで遺品は死後、焼却するよう命じられていたことも「病」に対する偏見や差別を増幅させた結果にもなったことでしょう。「人権教育」同様、「病気差別」も困難な問題を抱えて現在に至っていることを小川正子記念館は、ある意味象徴しています。
 春日居町で生まれた小川正子は、甲府高女を卒業後、東京女子医大に進み医者となり、昭和7年に希望してハンセン病(らい病)施設「長島愛生園」に勤務しました。そこでのハンセン病患者の治療と在宅患者の施設収容に傾注した実体験を『小島の春』と題して出版しました。この作品は、文学的にも高く評価され、ベストセラーとなり「小島の春現象」という社会現象にまでなり、小川正子は、ハンセン病のナイチンゲールとして脚光を浴びました。しかし、同時に映画化もされた『小島の春』は、ハンセン病は怖い病気だという意識を国民に印象付け、患者は隔離すべきという国策に協力する作品との批判も起こり、小川正子は、「無らい県運動 -Wikipedia」に加担した医師という評価も挙がりました。
 1996年(平成8年)4月1日施行の「らい予防法の廃止に関する法律」で、「らい予防法」は廃止され、ハンセン病患者は、一般の病院や診療所で健康保険で診療できるようになり、長く続いた患者の隔離政策の誤りを国が認め、謝罪に転じた訳ですが、小川正子記念館には、その辺の公開質問状や評価を巡る抗議などもある旨、前館長末利光氏が語っていました。            
 死亡原因や患者数で、日本の三大病とか世界の三大病という区分けがあります。 現在の日本では、「ガン」、「心臓病」、「脳卒中」と云ういわゆる成人病で占められていますが、病名を隠すこともなく、特段の差別云々は聞きません。あえて言えば、これらの元凶は「全てタバコ」とされ、喫煙者が差別されていると私は思うのですが・・・死亡原因や患者数の多い病気は、身近に必ず一人や二人患者もいて免疫や慣れがあることが大きいのでしょうが、多すぎて「差別しきれない」から「差別がない」のでは?とも思えてきます。