2011年8月24日水曜日

杉浦醫院四方山話―69 『杉浦家8月のお軸』

 8月は、盆に合わせての掛け軸掛け替えが杉浦家の習慣で、8月初旬から、座敷の床の間には岸浪柳渓作の観音像のお軸が盆の近いことを告げます。岸浪柳渓は、日本画特に南宗画の大家として知られ、明治から大正期に活躍した画家です。南宗画は、南画とも呼ばれ中国絵画を起源として江戸時代以降、日本で独自の様式を追求した新興の画派として現在に至っています。与謝蕪村の山水画が有名ですが、水墨による柔らかい描線と自然な感興が特色で、岸浪柳渓の観音像もふくよかで静かな佇まいが醸しだされています。
 盆の入りを前に座敷には盆飾りが用意されます。ご近所の純子さんの同級生SさんやNさんなど恒例のメンバーが3段飾りを組み立て、床の間の観音像は、曼荼羅に換わります。この杉浦家の曼荼羅は、昭和5年に健造先生が新たに設えたもので、純子さんの話では「当時の遠光寺の住職さんが書いたものだと聞いています」という大きな書曼荼羅です。「物心ついた時からお盆の曼荼羅は、これでしたが、その前の曼荼羅は怖い絵の入ったもので、2階にあると思いますから今度探しておきます」と。
盆送りと共に床の間は、茶軸に掛け替わります。純子さんが「これは、山梨の塩山あたりで詠んだ歌だと聞いています」と云うとおり「しほの山さしでの磯に住む千鳥君が御代をば八千代にとぞ鳴く」と詠まれた古今集の賀歌の書です。この「しほの山」は甲州市の「塩山」で、「さしでの磯」は山梨市にある「差出の磯」という説もありますが、真偽は不明というのが定説のようです。「さしでの磯に住む千鳥」に合わせ近隣の池も「ちどり湖」と命名したようですが、「山梨の塩山あたりを詠んだ歌」と見事に一致するのは、ロマンとしては上等だと思います。このように、8月は盆の曼荼羅を含めて杉浦家のお軸は3幅が入れ替わり、手を抜くことなく行われているご先祖様の供養を実感しました。