青磁を極める-岡部嶺男展より |
*唐九郎作品は、土・釉薬・窯の全てを嶺男が研究開発し制作していた。嶺男の手による唐九郎作品は、営業の才に長けた唐九郎が、自作と偽って売っていた。当然、「永仁の壷」も嶺男が作ったものである。唐九郎は、『騙される方が悪いんだ』と当たり前。嶺男は、『言語道断、絶対に許せない背徳行為』と思っていたが、唐九郎は、『お前の偽骨董造りの過去を黙っていてやる』と嶺男を脅し続け、一家の生活の為もあって嶺男は、耐えていた。
*唐九郎は、『小山専門審議員に自分を何故、人間国宝に指定しないんだ』と迫っていたが、小山は、唐九郎より嶺男の才能と技術に惚れ込んでいたので、このまま放置すれば、小山は、嶺男を人間国宝に指定するだろうと私怨を抱き、永仁銘瓶子の重要文化財指定を画策するのと同時に、密かに、指定解除運動を起こさせた。
*「永仁の壷事件」の本質は、唐九郎が小山冨士夫を人間国宝の選定専門審議員の座から引きずり降ろそうと画策したもの。嶺男は、陶芸家をやめる決意で、唐九郎によって鎌倉時代の作とされ、小山冨士夫を陥れる道具として、自分の作品が使われたことを小山冨士夫に詫びた。
*ヒューマニストで心優しく、家族思いの嶺男は、自分の父親である唐九郎との断絶の道を自ら選び、真実を語り、作陶に専念する為、加藤姓を妻の岡部姓に変えた。