2019年10月22日火曜日

杉浦醫院四方山話―595『山梨県古民家再生協会』

 昨日、山梨県古民家再生協会の方々11名に来館いただきました。

当館は、地方病=日本住血吸虫症の解明から終息までの歴史と杉浦健造・三郎父子の功績を伝え、併せて水の街・昭和を発信していく郷土資料館ですが、敷地内には明治25年築の母屋をはじめ昭和4年築の醫院棟まで5棟の建造物が国の登録有形文化財にも指定されています。

 そんな関係から、今回の古民家再生協会のメンバーに代表される建造物の見学が目的の来館もあります。


 9時30分に集合されたメンバーは、「建物と地方病、両方の案内をお願いします。時間も午前中いっぱい大丈夫です」と皆さん大変意欲的で、母屋の屋根を指さし「あんな大きな棟(むね)はちょっとないよ」「今の瓦はひっかけて留めるんだけどあの瓦は粘土の上に敷き詰めていく構造だから吹き替えも大変だよ」と参加者同士でも感想や専門的な話が飛び交っていました。


 

全国には、未だ杉浦醫院同様の日本の住文化である「古民家」が多数残っていますが、高度経済成長時代を機に住居もスクラップアンドビルドで建てては壊すとことが当たり前になり、古民家は、寒い・暗い・不便に加え「金食い虫」とも呼ばれ敬遠されてきました。

 

 しかし、日本人は 柱や梁などの構造材は再利用するのが当たり前な持続可能な社会を形成してきたのも事実で、古民家には先人の知恵が詰まっているともいえます。

かといって、近代住宅の快適さを経験済みの日本人が全て古民家を志向するとは思えませんが、先人たちの知恵を学び活かし、日本の文化や技術を後世へ残していくことは必要かつ意義のあることで、遅ればせながら日本でも景観維持も含め、古民家志向の方が増えているのも頼もしく、成熟社会の一現象と言えるのではないでしょうか。


 古民家再生協会は、古民家が再利用可能かどうかを古民家鑑定士が鑑定し、古民家を残していけるよう提案を行うなどの取り組みをしているそうですから、杉浦醫院の活用例が活かされれば光栄なことです。