2019年7月4日木曜日

杉浦醫院四方山話―586『文化人類学者の視点または武田信玄の治水と稲作-2』

  松嶋・広瀬両先生との話の中で「武田信玄」がらみでは「私もこんな仮説を考えてみた」と、当ブログの571話572話に書いた「武田騎馬隊と地方病ー1・2」の話をしました。


 これを書いたのも〈なぜ地方病やミヤイリガイが甲府盆地をはじめとする限られた地域にのみ発生、生息していたのか?〉という疑問に何とか説得力のある「答」を出したいと云う私的な欲求からでしたが、期せずして「武田氏と地方病」と云う視点が重なったことが嬉しくて、つい浅学を披露した次第でした。


 私の仮説は、中国では古代からあったと云う日本住血吸虫が中国から渡来した武田騎馬隊の馬の中に感染した馬もいて、甲府盆地に持ち込まれたのではないか?というものでした。

 松嶋先生の信玄の治水、水田拡大による地方病蔓延説を聞きながら「そうか、武田騎馬隊編成前に甲府盆地の水田拡大には人力だけでなく馬や牛の利用は考えられるな」と気づきました。

戦後、甲府盆地の土水路は全てコンクリート化されましたが、その総距離は2500キロに及び、北海道から沖縄までの距離に相当します。水田拡大には水路の構築が伴いますから馬や牛の力は当時としては大変な労力になったことでしょう。


 私の渡来馬による感染源持ち込み説など何の根拠もありませんから全く拘りませんし、松嶋先生の視点は、私の理解よりもっと深いところにあり、私の聞き方に間違いがある可能性もありますが、何はともあれ引き続き先生には、文化人類学的視点で、暗礁に乗り上げている地方病に関するいくつかの疑問に風穴を開けていただきたいと云う期待でいっぱいです。


 今回の両氏の来県、来館は、私にとっては大きな刺激となりました。それは、持参いただいた著書「プシコ ナウティカ」を読む中で、視点を定めて対象に迫る為のシャドーワークとも云うべき研究に、いかに多くの時間・体力・知力・お金が費やされているかを目の当たりにできたからです。その姿勢は、2日間の山梨滞在中にも垣間見え、あらためてブログと云うジャンルの曖昧さと甘さも実感できました。


  文化人類学者の視点をテーマに書いてみましたが、最後に「次のように特徴をまとめることのできる機関、施設として、あなただったら何処をイメージしますか?」と、なぞなぞ形式で締めてみます。

 

1)全生活が同一場所で、同一権威にしたがって送られている

2)日常活動は同じ扱いを受け、同じことを要求されている

3)毎日の活動は整然と計画され、決められた時間に決められた活動をするよう組まれている

4)様々な活動は、きめられた目標を達成するよう設計され、単一のプランにまとめられている

 

 「刑務所」と云う施設での生活経験はありませんが、知る限りでは上記の4点は当てはまりそうですし、「学校」かなと思った方もいるでしょうが、実は、松嶋健先生の「プシコ ナウティカ」を読まれた方が整理した精神医療の「施設」とりわけ「精神科病院」に共通する特徴です。

 

 「学校」「精神病院」「刑務所」の「壁の中」は、全く同じような価値観とシステムで運営され、壁の中の子ども・患者・受刑者は、同じように教育され、管理されているのが分かります。

  一見無関係のようですが「学校」「精神病院」「刑務所」も❔の視点=文化人類学的に見ていくと全く同じ構造で、元々は同じルーツだったのでは?…と云った面白い発見も楽しめることも知りました。

両氏の話題の豊富さ、視点の面白さは、積み重ねてきた教養や研究の表出でしょうから 「ローマは一日して成らず」をあらためて肝に銘じる置き土産もいただき、誠にありがとうございました。