2019年6月5日水曜日

 杉浦醫院四方山話―583『資料・情報御礼ー4 吉岡正和様』

 ≪橋本伯壽と「断毒論」ー早く登場しすぎた疫学者≫と云う400ページに及ぶ新刊本をご存知でしょうか?著者は山梨県で医院を開設している医師の吉岡正和氏です。

 

 吉岡君と私は高校の同級生でしたが、理系の彼と文系の私が同じクラスになることはありませんでしたから、高校時代面識はありませんでした。大学卒業後数年して帰郷したことが唯一の共通点ですが、同級生諸氏から吉岡君の屹立した生き方、開業医としてのありようは聞き及んでいましたので、私から電話したのが始まりでした。


 開館に向けて、地方病関係の資料収集や確認作業をしていく中で、明治30年に初めて解剖に応じた「杉山なか」女は、信頼していたかかり付け医・吉岡順作氏に死後の献体を申し出たのが病理解明のスタートでしたから「ひょっとして吉岡君は吉岡順作氏につながるのかな?」と、吉岡医院に電話しました。結果「吉岡順作氏と私は同じ吉岡姓ですが関係はありませんが、都内で行われた結婚式の席で吉岡順作氏の直系の方と同じテーブルになり話したことはあります」「卒業後、山梨医大に勤務した時、私も日本住血吸虫症について研究したこともあり、機会をみて杉浦醫院に行こうと思っていた」といったような会話の記憶があります。


「吉岡正和 誘拐...」の画像検索結果   その後、吉岡君の姉でベネズエラ在住の雨宮洋子さんが、身代金目的でベネズエラで誘拐されると云う事件に遭い「極限状態を彼女はいかに生き抜いたのか?またその時息子達はどう行動したのか?在ベネズエラ日本人の苦闘の記録」を吉岡君が編者となり≪カミーラと呼ばれた230日≫と題した本(2015年・東京図書出版刊)にまとめ出版したことを知り、拝読しました。人質となった期間、お姉様は「書く」ことを支えに最後まで気を確かに持ってきた様子が読み取れましたが、同時にだからこそ貴重な記録として残すことが出来たことも実感しました。

医師の吉岡君も「ものを書き散らすこと、これが私の心の平静を保つ対処法のようなものになっています」と云いますから、吉岡兄弟は「書くこと」が血肉化しているのでしょう。

 

 さて、今回ご寄贈いただいた≪橋本伯壽と「断毒論」ー早く登場しすぎた疫学者≫は、令和元年5月1日第一刷発行ですから、出来立てを送付くださったことになります。

吉岡君は「恥ずかしながら、私も橋本伯壽や断毒論の事を全く知らなかった。知るに至ったのは、日本住血吸虫症の古文献が有るか探している時であった」と江戸時代後期の医家・橋本伯壽が甲斐の国市川大門村の生まれで、当時の学説を覆す「断毒論」を1810年(文化7年)に発表したことを知って「甲斐国にこんな人物がいたということに無知であったことを恥ずかしく思い、また山梨県の人々にもこういう活躍をした人がいたことをあまねく知ってもらいたいという思いで、本書を記した。郷土の歴史にとって参考になれば幸いである。」と結んでいます。

 

 山梨の郷土研究者が集う「山梨郷土史研究会」の郷土研究に関する文献目録が会のホームページで閲覧できますが、長い歴史を誇る研究会の全論考をいくら探しても「橋本伯壽」の名前も「断毒論」も出てきません。吉岡君が副題にした「早く登場しすぎた疫学者」は、郷土では「早く忘れ去られた疫学者」であったことを物語っています。

そういう意味でも新たな郷土史発掘者としての吉岡正和君の新刊を是非当館2階座学スペースで手に取ってご覧ください。