当館の来館者に共通する特徴は、俗に云う「物見遊山」タイプの方は皆無に等しいことでしょうか。
まあ、漫画家で江戸文化の達人・杉浦日向子氏に言わせれば、江戸の人々は「人間一生、物見遊山(ものみゆさん)」と思っていて、生まれてきたのはこの世をあちこち寄り道しながら見物するためだと考えていたそうです。その象徴が一生上がれない場合もある「江戸すごろく」で、ステージを上げて行って「あがる」ことより、右往左往することに意味もあり、右往左往しながらいろいろな見聞を広めれば、もうそれで人生のもとは取れるんだという共通認識が現代社会との違いだと「物見遊山」を奨励しています。そんな意味からすると「物見遊山」タイプは皆無とはいい難い気もしますが・・・要は、連れだって右往左往しながら杉浦醫院に来るのではなく、目的をもった方々が一人で来館するケースが多いと云うことです。
連休中、笛吹市から来館のK氏は、ガイド案内に従い館内をじっくり見学し「あらためて地方病の歴史を知り、後世に繋いでいくことの大切さを感じました」と感想を寄せてくださいました。
その折、応接室に掲示してある「昭和天皇と三郎先生」のスナップ写真の撮影場所が特定できていないことを知ったK氏は「背景に写っている山なみと鉄塔」をカギに特定可能ではと考えたようで、翌日には思い当たる3地点に出向いて実際に写真撮影した資料を郵送くださいました。
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このコピー写真ではハッキリしませんが、三郎先生の右肩上に鉄塔があり、その背後に茅ガ岳連山が写っています。 以前、来館された方が「これは旧若草町南湖の辺だね」と自信を持って断定してくれましたから、 ミヤイリガイの生息地に案内後、本部の有った旧竜王町万才に戻ったのかと思っていましたが・・・ |