2019年5月16日木曜日

杉浦醫院四方山話―581『資料・情報御礼ー2 笛吹市K様』

 当館の来館者に共通する特徴は、俗に云う「物見遊山」タイプの方は皆無に等しいことでしょうか。

 まあ、漫画家で江戸文化の達人・杉浦日向子氏に言わせれば、江戸の人々は「人間一生、物見遊山(ものみゆさん)」と思っていて、生まれてきたのはこの世をあちこち寄り道しながら見物するためだと考えていたそうです。その象徴が一生上がれない場合もある「江戸すごろく」で、ステージを上げて行って「あがる」ことより、右往左往することに意味もあり、右往左往しながらいろいろな見聞を広めれば、もうそれで人生のもとは取れるんだという共通認識が現代社会との違いだと「物見遊山」を奨励しています。そんな意味からすると「物見遊山」タイプは皆無とはいい難い気もしますが・・・要は、連れだって右往左往しながら杉浦醫院に来るのではなく、目的をもった方々が一人で来館するケースが多いと云うことです。


 連休中、笛吹市から来館のK氏は、ガイド案内に従い館内をじっくり見学し「あらためて地方病の歴史を知り、後世に繋いでいくことの大切さを感じました」と感想を寄せてくださいました。

 

その折、応接室に掲示してある「昭和天皇と三郎先生」のスナップ写真の撮影場所が特定できていないことを知ったK氏は「背景に写っている山なみと鉄塔」をカギに特定可能ではと考えたようで、翌日には思い当たる3地点に出向いて実際に写真撮影した資料を郵送くださいました。

このコピー写真ではハッキリしませんが、三郎先生の右肩上に鉄塔があり、その背後に茅ガ岳連山が写っています。
以前、来館された方が「これは旧若草町南湖の辺だね」と自信を持って断定してくれましたから、
ミヤイリガイの生息地に案内後、本部の有った旧竜王町万才に戻ったのかと思っていましたが・・・

「背景の山は、左に裾野を引く茅ガ岳とその右に観音峠、そして曲岳へと続く山並みです。山並みは見る角度によって少しずつ変わりますので、本日(4月29日)朝にイオンタウン、開国橋、そして白根インターの3地点から撮影して見比べてみました」と3地点からの解説入りの山並み写真を提示して、もう一つのポイント鉄塔は「送電線であり、これは地上権の関係もあり戦前から今日まで同じ場所である可能性が大きい」ことも教えてくださいました。


 その上で、K氏は「この写真が撮影されたのは、おそらく杉浦醫院の近くの送電線の南側、地名で云えば旧竜王町玉川から昭和町押越にかけての範囲が有力ではないかと考えます」と結論付けていただきました。


 このように来館者が写真の撮影場所を特定する為にご尽力頂いた以上、遅まきながら他のスナップ写真も参考に何とか特定しなければ申し訳がたちません。

 テントを張って顕微鏡なども用意して昭和天皇を迎えた本拠地は、旧竜王町万才であることは間違いありませんが、掲示してある写真の撮影場所は、そこから移動しての可能性もあったことから特定できていませんでした。

数あるスナップ写真を一枚一枚確認したところ二人が立っていた左端にテントを固定するロープが写り込んでいる写真がありましたから、昭和天皇と三郎先生が採集したミヤイリガイをテント内の顕微鏡で直ぐ観られるようミヤイリガイ生息地の土水路近くにテントを張り、そこを本部とした巡行だったことが分かりました。

 

 K氏に特定していただいた「送電線の南側で北の背景の山は茅ガ岳・・・山並みです」の旧竜王町玉川は、旧竜王町万才の隣ですからぴったり一致します。K様のご尽力で、また一つ展示物の解明も進みましたこと、この場で恐縮ですが厚く御礼申し上げます。