2019年5月9日木曜日

杉浦醫院四方山話―580『資料・情報御礼ー1 東広島市K様』

 前話の依田賢太郎氏からの寄贈本に続き、この連休中も貴重な資料や正確な情報を幾つかお寄せいただきましたので、お礼方々、ご紹介させていただきます。


 4月28日に広島県からお一人で来館くださったK氏は、東広島市の公務員の方ですが、当館ホームページ上の「地方病について」の文章の中に誤記があることを来館時にもご教示いただき「正確な資料を後日送ります」と帰られました。


ホームページ上では、「地方病」について次のように記載しておりました。

≪地方病とは日本住血吸虫の寄生によってヒトを含む哺乳類に発症する寄生虫病であり、山梨県甲府盆地底部、利根川下流域の茨城県、沼田川流域の広島県深安郡片山地区、筑後川下流域の福岡県及び佐賀県の一部など、ごく限られた地域にのみ存在した風土病である≫


 K氏は、上記赤文字の部分が誤記であると国土地理院地図と共に次のように指摘してくださいました。

「芦田川と沼田川の位置関係について別紙のとおり地図をお送りします。カラー画像をFAXしているので写りが悪く見にくいと思いますが、片山病旧有病地を通って福山市に流れる川は「芦田川」です。沼田川(ぬたがわ)は三原市に流れていきます」

「片山病(地方病)に関連する河川は芦田川とその支流の加茂川と高屋川ですが、片山地区でちょうど合流し、芦田川にはさらに下流で合流します」と。

 

 ホームページ立ち上げ時にトップページに幾つかの項目を載せる為文章を書きましたが、正直なところ「地方病について」の記載は、何らかの資料を転載したようです。それは、私自身が「芦田川」「沼田川」という固有名詞に全く記憶がないことでもバレバレです。

あらためてグーグルマップで「旧・片山地区=現・福山市神辺町」を確認しましたが、K氏のご教示どおり芦田川と沼田川は同じ県内を流れる川とはいえ旧・片山地区をかすりもしていない沼田川は明らかな間違いで、未確認のまま転載していたことを反省しましたし、何より早速正確な記載に訂正できることを感謝申し上げます。


 K氏から旧・片山地区は福塩線の神辺駅から西方1Kmほどの地区であることも教えていただきましたから、ストリートビューでその一帯を観ると最初に出てきた画像で思わず「えー」と驚きました。それは、山を背景に広がる平地にはコンクリート水路が整備された田圃が広がり、民家の造りや大きさも何だか見慣れた昭和町や韮崎市など山梨の田園風景そのままだったからです。


 若いK氏が、片山病(日本住血吸虫病)を知ったきっかけを「片山病対策に当たった一部事務組合⦅御下問奉答片山病撲滅組合⦆の名称に驚いたところからですが、これには昭和天皇の戦前戦後2回の行幸がきっかけであると日本獣医師会雑誌の記事が伝えています」と記し、昭和55年に解散した⦅御下問奉答片山病撲滅組合⦆についての詳細も広島県ホームページで確認できることまで教えてくださいました。


 初耳の「御下問奉答片山病撲滅組合」は、山梨県にあった「山梨地方病僕滅協力会」と同じ目的の組織であることは予測がつきますが、「御下問奉答」の接頭語はK氏も驚いたように「なぜ?」と調べたくなります。


 これについて「日本獣医師会」サイトの論文に以下の説明がありました。

 ≪ー前略ー 戦後,全国を巡幸された天皇は1947年12月(昭和22年),備後路の旅で神辺小学校を訪れた.このとき,案内役の楠瀬県知事に「その後,片山病はどうなっていますか」と尋ねられて関係者を感激させた.このことから福山市と神辺町では,市議会と町議会の中に御下問奉答特別対策委員会を設置し,県でも翌年「広島県地方病撲滅組合」を「御下問奉答片山病撲滅組合」と改め,一層の防除対策に取り組むこととなった.-後略-≫と。

 

 天皇の発した一言「その後,片山病はどうなっていますか」が「広島県地方病撲滅組合」の名称を「御下問奉答片山病撲滅組合」に改めさせたと云うことです。戦前のことなのかと思えば昭和23年の戦後ですから、約70年を経た令和の代替わりでも異様とも思える皇室報道が続いたこの連休中を思い返すと「さもありなん」とか・・・複雑な気持ちになります。