2019年4月3日水曜日

杉浦醫院四方山話―576『ー依田賢太郎著「いきものをとむらう歴史」-』

 資料館や博物館には、心ある方々から「こんなものが見つかったけど」とか「この本ご存知ですか」と云った情報が時折寄せられます。
今回、昭和町河東中島にお住いの雨宮昌男さんから「一高の同級生だった依田賢太郎さんがこの本を贈ってくれたので読んだら杉浦健造と犬塚のことも書いてあったんでお持ちしました」と社会評論社刊「いきものをとむらう歴史」(2018年7月20日発行)を持参くださいました。



 京都大学の工学博士号を持ちスタンフォード大学や東海大学で教授をつとめた著者・依田賢太郎氏が「動物のお墓」に興味をもって調査研究を始めたのは「動物実験を行っている日本の大学や研究機関は、なぜ欧米にはない実験動物慰霊碑を建立するのだろうか?」という素朴な疑問からだったそうです。
2007年には同じ社会評論社から「どうぶつのお墓をなぜつくるのか」を出していますから、2007年以降の調査結果がこの本にまとめられ、前著と合わせると総数は五百数十基に及びます。
しかし、依田氏によれば「総数は何千、あるいは一万基になるかもしれない」といいますから、日本人が動物を供養してきた歴史・文化は世界に類例がないものであることが分かります。


 さて、P59~P60には、「犬塚(昭和町西条新田、正覚寺)」名で以下の紹介があります。

「正覚寺の本堂脇の墓地入り口に苔むした小祠は日本住血吸虫症の患者の治療とこの病気の撲滅に私財を投じて心血を注ぎ、医師としての生涯を捧げた杉浦健造が発起人となり中巨摩郡により大正12年(1923年)に建立された。
           ーー日本住血吸虫症の説明文は略ーー
杉浦健造の他その娘婿三郎、大鎌田村の三神三朗、石和村の吉岡順作など山梨県の郷土医が地方病の撲滅に多大な貢献をした。正覚寺に隣接する杉浦醫院は、現在、風土伝承館杉浦醫院として一般公開されている。」


と、当館についても紹介いただいていますので、依田氏が犬塚の取材にみえたのはこの10年以内の事と思います。この文と一緒に犬塚の「苔むした小祠」の写真が載っていますが、この小祠が犬塚の祠だったのかどうかは定まっていません。
 依田氏の記述通り「正覚寺の本堂脇の墓地入り口に苔むした小祠」は現存していますが、8年前正覚寺住職に犬塚について直接聞きましたが「私が入った時から犬塚はありませんでした」と云うことで、「この祠が塚にあったもののようです」と云う紹介もありませんでした。
 私もそうですが、多分住職も「犬塚」と聞けば、土盛りされた小高い墳墓的なものを連想されていたのではないかと思いますが、その塚の上に祠があっても不思議ではありませんから引き続きこの祠について確かめていく必要があります。




昭和町内には、この犬塚以外にも鳥獣供養碑もありますから、この本をきっかけに町内の「いきものをとむらう」歴史についても観ていきたいと思います。