2019年2月14日木曜日

杉浦醫院四方山話―572『武田騎馬隊と地方病』-2

  山梨県に限らず、早くから馬の産地とされてきた長野県や南部駒の岩手県南部地方、熊本県など伝統的な馬産地域には共通して、馬刺しに代表される馬肉を食する文化があります。

馬肉は桜肉とも呼ばれ山梨県内の食堂には「桜丼」や「桜鍋」が馬刺しと共に用意され、それをウリにもしていますから、山梨は矢張り甲斐の黒駒に代表される馬の産地であったことは確かなのでしょう。

先日入った食堂には「馬鹿丼(うまかどん)」と云う丼もありましたから、山里では鹿も貴重なタンパク源にしていたのでしょう。


 しかし、同じ馬の産地だったとされる隣の長野県には、日本住血吸虫症の罹患者は全くいませんし、武田家臣の南部氏が甲斐の黒駒と共に移住した(と云う説もある)岩手県にも患者はいません。熊本県も同様ですから、「日本住血吸虫症の馬移動による伝播説」には無理があるようにも思います。


 ここで、浅学の推測も勝負あったかに思いますが、馬の移動により中国などから持ち込まれた日本住血吸虫症も感染が広がるためには、中間宿主ミヤイリガイの存在が不可欠になりますから、古くから馬肉文化の有った上記の地域には、ミヤイリガイが棲息していなかった?…と云う仮説も可能なように思います。


  有病4県の山梨・佐賀・福岡・広島についてみると、佐賀県には、日本に初めて馬が渡って来たという伝承の島「 馬渡島(まだらしま)」がありますし、対馬海峡も馬と無縁では無かった名前でしょう。

  福岡県福岡市には、馬出(まいだし)1丁目から6丁目の地番が現在も残り、宮入先生が奉職した九州帝国大学(現・九州大学)もこの馬出町にあります。また「福岡の馬刺し」は、熊本に勝るとも劣らない九州の名物ですから、馬とは古くから縁の有ったことを物語っています。

  広島県にも馬洗川(ばせんがわ)と云う川や馬木町(うまきちょう)と云う地名があるように「馬」の歴史が残り、県指定の文化財に鎌倉時代の作とされる「木造飾馬」もあります。


木造飾馬
広島県指定文化財「木造飾馬」
 

 このように観てくると、日本住血吸虫症の感染原は、和種馬の元になったと云うモンゴル馬が中国を経由して入ってきて、ミヤイリガイが棲息していた地域には感染が広がり、ミヤイリガイが居なかった地域では有病馬の死で終わったと推論できます。

ですから、ミヤイリガイがなぜ日本の限られた地域だけにしか棲息できなかったのか?が解明されなければなりませんが、これまでの地形、湿地、土壌の共通性からの説明では十分とはいえませんので、浅学なりにその辺も整理していきたいと思います。