2019年2月8日金曜日

杉浦醫院四方山話―571『武田騎馬隊と地方病』-1

 日本住血吸虫症(地方病)の謎の一つに「なぜ山梨県の甲府盆地に蔓延したのか?」があり、中間宿主ミヤイリガイの棲息に適した地形風土からと言う説明が、推論の主流であったように思いますが「なぜミヤイリガイが甲府盆地をはじめとする限られた地域にのみ生息していたのか」という疑問は解明されていません。

もちろんこれまでも地理学や生物学、地質学、遺伝学等々あらゆる観点から研究は行われてきましたが、依然として大きな謎だというのが実際の所です。

 

 同じように「日本住血吸虫の卵から孵化したミラシジウムは、なぜミヤイリガイだけに寄生して同じ巻貝で同じような所に生息していたカワニナには寄生しないのか?」も解明されていません。要は、まだまだ解らないことは沢山あるということですから、何でも解った風な顔をしないで整理しながら謙虚に学び、考える姿勢こそが大切なのでしょう。

 

 前話のように辻教授が「フィラリアなど他の感染症の伝播も人間の移動が主原因だから、甲府盆地に蔓延した地方病も中国から持ち込まれた可能性が大きい」と云う指摘を受け、あらためて「日本住血吸虫症の伝播」について考えてみました。

 

 辻教授の示唆を聴いて私には「人間の移動」と「中国から」がキーワードのように残りました。

それは、甲府盆地の地方病は、甲陽軍鑑によれば武田家臣の小幡豊後守昌盛が地方病のため武田勝頼のもとへ暇乞いに来て、やせ細った昌盛の形相を見て勝頼も涙したと云う記述があることから既に戦国時代には患者が居たとされてきたこと。

もう一つは、日本住血吸虫の虫卵は、中国湖南省長沙の馬王堆(まおうたい)古墳で発掘された紀元前の女性の遺体からも発見され、中国では古代から存在している病気で、決してせまい地域の風土病ではないと云う定説が結びついたからでした。

 

 武田家臣の地方病説から、天下最強と云われた(?)武田騎馬隊が連想され、地方病は人間同様哺乳類も感染しましたから、モンゴルから中国経由で甲府盆地に入った「馬の移動」により地方病は中国から甲府盆地に持ち込まれたのではないか?と云う仮説を思いつきました。

 

がしかし、悲しいかな浅学の思いつきは???だらけのことは自明です。だいたい「天下最強の武田騎馬隊」が本当に存在したのかどうかも怪しいのは、当時日本には入っていなかった洋馬のサラブレットのような馬上にまたがる信玄像が一人歩きしていることにも象徴されています。

≪山梨県(甲斐国)では、4世紀後半代の馬歯が出土していますから、山梨を含む中部高地には西日本に先行する古い段階で馬が渡来したと見られている≫との学説もありますが、武田氏館跡から出土した馬の全身骨格からは、体高は115.8cmから125.8cmと推定されていますので、武田騎馬隊が存在したと云う仮定に立っても、その馬は「甲斐駒」とも「甲斐の黒駒」とも呼ばれた和馬で、いわゆるポニー種だろうと云うのが一般的です。

甲斐駒・甲斐の黒駒と呼ばれた和馬に近い「北海道和種」

 この辺については、歴史学や考古学の成果に負うしかないのですが、和馬と分類される日本古来の馬も中国や朝鮮半島から「移動」されてきた訳ですから、もう少し勝手な推論を整理していきたいと思いますので良かったらお付き合い下さい。