2018年10月15日月曜日

杉浦醫院四方山話―556『情報今昔ーBQって?ー』

 1980年代のバブル期に東京で仕事をしていた私は、年下の女性から「清里のある山梨出身なんですか?」と聞かれたのを覚えています。

私が知っていた清里は、開拓団が入って開かれた高原地帯で、清泉寮をスポットに牧場を観光に結びつけようと図っていた時代でした。

その観光業振興が実ったのでしょうか?昭和も50年代に入ると首都圏から多くの観光客が訪れる「清里ブーム」が起こり、東京では「高原の原宿」とも呼ばれていました。

 当時の若い女性の好みだったのでしょう、観光客目当てのペンションやタレントショップ、土産物店は、それぞれが趣向を凝らしたショートケーキのような店舗を次々建てましたから、ブームに一層拍車を掛けました。

 

 空前の「清里ブーム」に火をつけたのは、当時よく売れた「ノンノ」とか「アンアン」に代表される女性誌で、夏に向けては清里特集を組む中でピーク時には250万人以上の観光客が、清里駅を中心にした一大メルヘンワールドに押し寄せたようです。


 しかし、この「おとぎの国」もバブルの崩壊と共に終わり、現在では、かつての栄光も無残に廃墟が広がり、思わず「よどみに浮かぶうたかたはかつ消え、かつ結びて・・・」と方丈記の一節が無常観と共によぎります。

 清里と同様に「アンノン族」生みの親「ノンノ」も「アンアン」も消えたのか?路線を変えて未だあるのか?どちらにせよ、すっかり影が薄くなったのは確かでしょう。

 

 当館も不特定多数の方々を対象に公開している郷土資料館ですから、千客万来を期してはいますが、溢れ返る来館者で悲鳴を上げると云う程ではありません。

それでも個人もしくは数人での来館者の7割近くは山梨県外からの方々ですから「東京から」とか「新潟から」と云う方々に「どこでここをお知りになりましたか?」と聞くと大部分の方が「ネットで」と返ってきます。

 8月に紹介した杉浦醫院四方山話―550『ブログ・知の冒険』 でも当館が紹介されていますが、先日みえたお二人は「BQってサイトでここが取り上げられていたから」と、具体的なサイト名も教えてくれました。

そこで、「BQ」を検索すると確かに当館は、4つ星の「かなりオススメ!」にランクされ、多くの写真と共に紹介されていました。発信者のプロフィールを観ると名古屋在住の女性が自分の足で取材したあらゆるジャンルのスポットを紹介しているブログであることが分かり、「知の冒険」サイトと重なる感じでした。

 

 同時に、このように個人の責任で「旅情報」を発信するサイトが幾つもあることを知り、この「BQ」サイトはその筋では老舗のサイトで利用者も多く、頼りにされていることも知りました。

 確かに猛暑の8月にお一人で「名古屋から来ました」と云う女性を案内した記憶はありますから、「あの熱心にご覧いただいた方」が発信者の「あさみん」さんだと云うことも分かりました。

 

 同じように取材にみえても「知の冒険」の男性は名刺も出して、事務室で四方山話までしましたが、女性の取材者は人知れず写真撮影をして「ブログBQ」の事も一切話しませんでしたから、男女の性差だけではなく取材の基本もそれぞれが確立しているのでしょう。

だからこそ、同じ杉浦醫院を取材しても紹介の仕方や内容も違って、「山梨に行ったら何処を観ようか」と云う利用者も自分の好みに合うサイトを頼りにすると云う情報の選択をしているのでしょう。

 

 当館は、新聞や雑誌、テレビなどのマスな情報にも取り上げられてきましたが、「ブログ・知の冒険」や「ブログ・BQ」などミニ情報、パーソナル情報を選ぶ時代に特に若い世代はなってきて、具体的な集客に繋がっている「ネット社会」を実感することも出来ましたから、当館の多大なPRもしていただいていることにこの場を借りて、発信者の方々には御礼申し上げます。