2017年8月3日木曜日

杉浦醫院四方山話―511『殺貝剤開発と田の草取り』-2

 日本住血吸虫の生活環が解明されると、ミヤイリガイ殺貝がこの病気の終息に欠かせない課題となりました。宇野善康著「イノベーションの開発・普及過程」によりますと、ミヤイリガイの強力殺貝剤の開発は、戦後進駐した「GHQ403医学総合研究所」に負うところとなりました。


 小泉義孝医学博士は、ミヤイリガイの殺貝方法は(1)生物学的方法(2)物理的方法(3)化学的方法の三種類に分類されるとしています。

(1)の生物学方法は、杉浦健造先生が実践した方法で、ミヤイリガイの天敵であるホタルの幼虫やアヒル、ウサギ、ザリガニなどを増やすことでミヤイリガイを捕食させる方法です。

(2)の物理的方法は、山梨県が土地供給公社を設立して、ミヤイリガイの生息地である「どぶった」と呼ばれた湿地帯の田んぼや沼を掘り起こしミヤイリガイを土中深く埋めてしまう土埋法が代表的ですが、火炎放射器による焼却法も物理的方法と云えましょう。

(3)の化学的方法が薬剤による殺貝方法になります。日本では、生石灰の散布から始まり石灰窒素へと発展しましたが、更なる開発がGHQ403医学総合研究所を中心に行われ、実用化したのがPCP-Naによるものです。

 

 化学的方法で薬剤を開発していくには、ミヤイリガイの正確な生態が前提になりますが、昭和5年までミヤイリガイの繁殖は、胎生なのか卵生なのかも不明でした。卵生であることを発見したのが杉浦三郎先生で、昭和8年には英文論文として世界にも発信されました。

 

 それらを踏まえたGHQ403医学総合研究所のマクマレン、ライト、オリバーの各氏は、昭和20年8月15日敗戦の僅か12日後の8月27日には杉浦醫院に三郎先生を尋ねています。オリバー氏はその後4か月間杉浦家に滞在して、三郎先生の指導のもとGHQ403医学総合研究所が行う日本住血吸虫と殺貝剤の研究方針の立案に努めたそうです。

 

 その結果、前話で触れたとおり、アメリカから持ち込んだ約6000種の化合物の中からミヤイリガイ殺貝に有効な2種類、「サントブライト」と「DN-1」を特定しました。

当時「サントブライト」が1kg500円であったのに対して、「DN-1」は2000円であったため、山梨県内ではミヤイリガイ殺貝剤としてサントブライドが推薦されることになり、それに先立って三郎先生から山梨農事試験場の由井重文技師への水稲への薬害試験の依頼となりました。