2015年5月21日木曜日

杉浦醫院四方山話―419『ー国史大辞典ー物語2』

 佐滝氏からの電話は、杉浦家に残っている「国史大辞典」が、明治41年7月発行の初版本か否か?本に蔵書印があるかどうか?と国史大辞典の本編は確認できたけど、もう一冊セットで販売された「挿絵及び年表」が見当たらなかったので、その一冊も残っているかどうかの確認をお願いしたいとのことでした。



 純子さんにその辺の経緯を話すと「国史大辞典は昔からありましたね。祖父が購入したモノでしょうが、使ったのかどうか?怪しいですね。新しいモノ好きで買ったんでしょうけど・・・」と謙譲の美徳と「そんなに大切に思って下さる方がいるモノだったら、ここに置くより、そちらへお持ちください。使ってもらえれば本も喜ぶと思いますよ」と、モノ離れの良さは、いつも感心する純子さんの人徳の一つです。


 

 杉浦家の国史大辞典本編と挿絵及び年表の2冊組は、前話の写真のとおり書棚に揃ってありましたが、挿絵及び年表は、ちょうど硝子戸の枠の裏にありましたから、佐滝氏には見えなかったのでしょう。

 

 また、上記写真のように右の「挿絵及び年表」の奥付には「明治41年3月5日印刷」「明治41年3月15日発行」とあり、左の本編奥付には「明治41年7月11日印刷」「明治41年7月19日発行」とありますから、「初版本」であることに間違いありません。

   

 杉浦家には、多くの判子が残っていて現在、土蔵二階に展示してありますが、佐滝氏から依頼された「蔵書印」は、国史大辞典2冊組の何処にも押印されていませんし、展示中の判子を確認しても「杉浦蔵書」の判子はありませんでした。杉浦家の蔵書は医学書に限らず多いのですが、云われてみれば蔵書印は今まで一度も目にしていませんので、購入した本に「自分のモノです」とばかり蔵書印を付くことをヨシとしなかったのかも知れません。

 

  明治41年発行のこの辞典の定価は20円でしたから、佐滝氏の換算では現在の20~25万円に当たるそうです。ちなみに現在も同じ吉川弘文堂が発行している「国史大辞典」は、全17冊組で、定価は29万7千円ですから、図書館や大学、研究機関には揃っていますが、個人で持っているという人は、歴史家位ではないのでしょうか?

 

 医者と云う理系の健造先生が、高価な歴史辞典「国史大辞典」を購入したのは、漢方医だった家系で、敢えて西洋医学を志した健造先生の並々ならぬ探求心が、医学知識のみならず人間としてより深い教養を得ようと云う明治文化人に共通する気骨のようなものだったのでしょう。

 全国で8800人が予約購入した事が分かる『国史大辞典予約者芳名録』には、山梨県では健造先生以外どなたの氏名が残っているのか、佐滝氏に情報提供をお願いしてみたくなりました。