2013年7月23日火曜日

杉浦醫院四方山話―257 『三神三朗氏ー5』

 今回、三神三朗氏について、孫にあたる三神柏氏のお話をもとに4回にわたり、勝手を書かせていただきましたが、三神三朗氏が開院していた建物等をご紹介して、最終回とさせていただきます。

 左の文庫蔵と右の土蔵が塀と門を兼ねた入口です。愛猫の解剖で、世界で初めて地方病の虫体を発見した納屋は、正面の大きな木の右側にあったそうで、現在は庭石にプレートを埋め込んだ小さな記念碑があります。正面奥に見える建物が、三神三朗氏が開院していた医院兼住宅です。

 医院兼住宅の南東側からの写真です。屋根はカヤブキ屋根だったそうですが、現在はトタンでおおわれています。手前のサッシ戸の部屋が医院だった部分で、真ん中の玄関から奥が「プライベート」部分で、南面は座敷であり三朗先生の書斎だったそうです。その座敷に面した庭(車の後ろ部分)には、大変珍しい大きな松を中心にした庭園があります。
柏先生は「母が寒がりだったので、祖父の死後、窓をサッシに入れ替えたり、いろいろ手を入れて住んできましたが、それでも寒い家でした」と。
「二階は、看護婦さんやお手伝いさんの部屋で、男性が勝手に上がれないように寝るときは外せるハシゴ階段で、三神医院の階段と云って有名だった」と三神医院に通院経験のあるH氏の補足説明もありましたが、その階段も「母が普通の階段にしました」と変わっていました。

裏も広い庭ですが、丁度お勝手の裏手には、写真のような遺構が残っていました。
「この西側に国母工業団地が出来て、工場が操業し出したらピタッと止まってしまいましたが、それまでは井戸水が噴き出ていました。一番上からきれいな水が出て、最初の枡で米など食べるもの、次の枡で食器など次は土野菜、最後の枡で農具や足を洗うといったように無駄なく水を使っていました」

「父は北大でしたから、北海道の急傾斜屋根の民家にあこがれていたようで、父が新しくした医院は、尖った屋根にしましたが、これ以上急にすると瓦が載らないということで、瓦屋根では当時これが限界だったようです」
「父は祖父と一緒に開業する予定で医院を建てましたが、祖父は三神医院は父に任せ、自分は当時山宮にあった県の結核療養所にここから通っていましたから、晩年は勤務医だったことになります」
「祖父が使っていた建物は、ご覧のように現在は物置代わりで、どうしたらいいものか・・・父も私も古家や古蔵を壊す力もありませんから、この先古いだけに困ってしまいます」と。

 NPOつなぐの山本育夫氏は「甲府市に保存を働きかけて、杉浦醫院と合わせた地方病コースに」と具体案も念頭に今回のフットパスを企画したようですが、三神医院三代のスタンスは、「働きかけてまで・・」でしょうから、「日本住血吸虫症」「日本住血吸虫」名、発生地であり、スチブナール改良研究による救った人命の数を思う時、関係機関、関係者の声で保存していこうという機運を宮入貝発見100周年の今年スタートさせていく必要を実感した見学会でした。