2011年11月13日日曜日

杉浦醫院四方山話―91 『プレ・オープン1周年-1』

 昨年4月から、公開に向けて庭園や建造物の整備を行い、昭和町風土伝承館・杉浦醫院として、プレ・オープンしたのが1年前の11月でした。
先日、十数年前北側のマンション建築時に杉浦家からの依頼で井戸を掘ったと云うAボーリングの社長さんが来館され、「見違えるようにきれいになって、びっくりした。ここやあそこにあったでっかい切り株は抜いたのけ」「これが、あのムロけ」「あの碑はどうしたでぇ」「竹藪は・・・」と、たたみかけられました。
「そうですね。ビフォー・アフターも分かるようにしたほうがいいですね」と対応しましたので、プレ・オープン1周年を機に整備前と整備後を写真で紹介し、残しておきます。整備前の写真は、一番地道で大変な作業を請け負ったA建設の斉藤専務さんからの写真です。上の写真は、東側の正覚寺沿いの南側庭園を北から望んだビフォー・アフターです。
山梨県の地方病の歴史を医院と一体で語り継いでいこうと平成8年に建立され、昭和町のホタル公園内にあった「地方病終息の碑」を移設して整備した現在です。木々も手が入り、低木が移植され、終息の碑も昔からここに立っていたかのように存在感と落ち着きを見せています。
また、通路部分には、県内公共施設の庭には初めてと云う「川上砂利」が敷かれました。この砂利は、雨が降るとしっとりした茶色になり、日本庭園全体が一層落ち着いた趣を醸し、「雨もまた良し」といった雰囲気にさせてくれます。9月の台風で傾いた、えん樹の木を使ってのベンチも加わり、木々の間には、山本忠告の墓のMさん宅で株分けしてくださった水仙や鈴蘭も植え付けてありますので、また変わっていくことでしょう。「庭仕事は瞑想である」と説いたヘルマン・ヘッセは、名著「庭仕事の愉しみ」で、草花や樹木に惚れることで、草木が教えてくれる生命の秘密について語っています。ヘッセの瞑想の境地には程遠いものがありますが、造園や芸術のみならず「惚れて取り組むことは大事」と、惚れまくってはいるのですが・・・