2011年4月16日土曜日

杉浦醫院四方山話―39 『玉井袈裟男氏の風土論』

 「風土」論では、和辻哲郎氏が著名ですが、「風土とは単なる自然環境ではなく、人間の精神構造の中に刻みこまれた自己了解の仕方に他ならない」と云った具合で、アカデミックな考察は楽しめますがやや肩がコリます。その点、より具体的かつ実践的「風土論」で、知る人ぞ知る大御所・玉井袈裟男氏の風土論こそ、「昭和町風土伝承館」がイメージする「風土」です。信州大名誉教授の玉井袈裟男先生は、平成9年に84歳で亡くなられましたが、「長」と名のつくものを嫌い、「野の人」の生き方を貫いた信念の知識人でした。
昭和町にも社会教育委員の研修会やカルチャーデザイン倶楽部の学習会の講師として、何回か来ていただきました。甲府駅に迎えに行って、昭和町に入ると「うーん、この町は私を必要としていないな」との即断も的確でした。玉井氏の町おこし論や生涯学習論の原点は、「暗い感情を明るい感情に変えること」です。「町が暗くない」ということは「人もソコソコ明るく生きているのでしょう」と云いながらも「明るい町に限って、姑とうまくいかないとか近所トラブルなど個々の暗い感情は根深いのも常です…」と不敵な笑いも。先生の風土論は、「人間には、風の人と土の人がいる。この両者がしっかりそれぞれの特性を発揮し合うことが良い風土をつくる基本だ」と明快です。風の人とは、甲州弁では「言いぽうけっ」の人でしょうか?教授とかの職業分野の人に代表されるいわゆる口達者よく言えば理論家の人たちや「理想を抱いた来たりモノ」たちです。土の人は、農民や職人に代表される黙々と実務をこなす人や「おいっつき」の人たちです。とかく、この両者は、お互いを「けなす」ことはあっても良さを認め一緒に力を出し合うことが無かったのが、実態だった・・・と。玉井先生は、自らを風の人と自己規定し(実際は土の人でもありましたが)、「風は土に向かってびゅんびゅん吹かなければ、土も鍛えられない」と全国至るところで、大風を起こして立ち去って行きました。土は風に吹き飛ばされずに風を呼び込んでより高い実務に取り組み、その上で、風の言うことに間違いがあれば「空理空論だ!」と風を追い返す力量を付けることが、風を鍛え、相互に明るい感情になれるのだ!と。近年、多用される「協働」の根本理念でもありますが「風の人と土の人の共同は、生き生きとした明るい地域を形成し、お互いが小馬鹿にし合っている地域は、デコレーションにいくら凝っても暗い地域でした」と看破しました。土に鍛えられた風である玉井先生の理論と実践は、信州飯田をはじめ長野県各地の村や町おこしの支柱となり、大分県での「一村一品運動」などユニークな取組みの源泉となって、分野を問わず全国に広がっています。