茶室の内部 |
「古筆」とは、平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた「かな書」の名筆です。室町時代、茶道千家流の始祖“茶聖”千利休が、茶室における掛軸の重要性を説いてから、茶を愛する人達の間で掛軸が爆発的に流行し、来客者、季節、昼夜を考慮して、掛軸を取り替える習慣が生まれました。それに伴い古筆は茶人達に珍重されるようになり、本来、冊子や巻物という完全な形で大切に保存、鑑賞されていた古筆が、一部の歌を切断して、茶席の床を飾る掛け軸として用いられるようになりました。この切断された断簡は「切」と呼ばれ、古筆切(こひつぎれ)、歌切(うたぎれ)という名詞となり、筆者が誰であるのかや古筆の真贋を鑑定する古筆見(こひつみ)という古筆鑑定の専門職業も誕生しました。古筆見は、書かれた時代と書いた人を特定して鑑定書を付けましたが、この鑑定書を極(きわめ)といい、極の付いたものを極付(きわめつき)といって特別に重んじました。書いたものに署名をするという習慣がない時代でしたので、古筆の実際の筆者はわかっていませんが、極付けの古筆はすぐれたものばかりで、古筆見の鑑定もほぼ合っているそうです。この古筆見が、極付で特定した筆者を伝称筆者(でんしょうひっしゃ)と言いますから、杉浦家の4月掛け軸は、伝承筆者・覚家による古筆切の極付の作品ということになります。純子さんは、母屋の座敷でお茶会を定期的に開いていましたので、それぞれの季節に合わせた風炉や風炉先屏風と共に掛け軸や花器等も取り換える必要から、茶道具と共に掛け軸や花器から着物、帯・・といろいろ持ち込まれたようです。茶道に付随して、茶室が生まれ、茶室に掛け軸は定番となり、現在も和室には床の間を設ける様式が引き継がれています。日本の定着した文化や様式に茶道が深くかかわっていることが分かりますが、“茶聖”千利休は死ぬ2年前に「十年過ぎずして、茶の本道すたるべし。ことごとく俗世の遊事になりて、あさましきなりはて、今見るがごとし。茶室の二畳敷もやがて二十畳敷の茶堂になるべし」と嘆いていた事実をしっかり肝に銘じることが、大震災後を生きていく私たちには必要でしょう。尚、4・5・6月の「お軸」は、7月に「夏の特別展」で公開予定です。