2019年11月14日木曜日

杉浦醫院四方山話―597『君が 笑えば 世界は 輝く』考

 前話で「童謡生誕100周年」について記しましたが、その余韻でしょうか?昨日聴いた嵐と云うグループが歌った「君が笑えば世界は輝く」をタイムリーに取り上げてみたいと思います。


 「君が笑えば世界は輝く」は、夜のニュースで聴いたというか観たのですが、昨日行われた「即位パレード」に合わせて皇居前広場でおこなわれた「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」と云うイベントの中で披露された歌です。Jーポップ調で今風の歌でしたが「?」と思ったので歌詞を調べてみました。

どういう方は存じ上げませんが、作詞者は、岡田恵和と云う方です。長い歌詞ですが「君が 笑えば 世界は 輝く」のテーマ部分をそのまま転載してみます。


「君が 笑えば 世界は 輝く」

君が 笑えば 世界は 輝く
誰かの 幸せが 今を 照らす
僕らの よろこびよ 君に 届け
 
はじめはどこかの 岩かげにしたたり 落ちたひとしずくの 水が平野を流れ
やがて研ぎ澄まされ 君をうるおし 鳥たちをはぐくみ 花たちとたわむれ
あの大河だって はじめはひとしずく 僕らの幸せも 大河にすればいい

大丈夫 水は 流れている 大丈夫 海は 光っている
大丈夫 君と 笑ってゆく 大丈夫 君と 歩いてゆこう

 なんと云う事でしょう!これでは全く「君が代」の現代版ではないでしょうか?Jーポップなるジャンルは、1990年代にこれまでの「歌謡曲」や「ニュー-ミュージック」とは趣が違う日本の若者が生み出した若者向けのポピュラー音楽だとばかり思っていましたが・・・・

君主の永続性を願い賛歌する「君が代」の「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」の「さざれ石」を「ひとしずくの水」に「巌」を「大河」に「苔」を「海」にすり替えただけで、「君が 笑えば 世界は 輝く」「大丈夫 君と歩いてゆこう」の「君」は「天皇」ではなく「身の回りの愛する人だ」と、姑息な逃げ道まで透けて見えます。

 

 いや待てよ、ひょっとして「君が代」の無理な解釈が姑息であって、この詩の「君」は「天皇陛下です」としっかり指し示しているのではないでしょうか。だって「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」での「奉祝曲」ですから・・・・


 まあ、若者に人気の芸能人まで動員して、飽きさせない工夫やソフト化されたショーアップで、世界に唯一無二の皇室・天皇をいただく伝統国・日本と云った物語をいかにして国民に浸透させていくかが民主主義国・日本でも権力維持には必要だと云うことでしょう。

 

 主催者もあいまいな「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」をNHKが中継したようですが「国民祭典」と銘打たれるとこれを観ない者或は「ちょっとなア~」と違和感を抱く者は「非国民」であるかのようです。人気アイドルグループの「歌って踊って」で、その辺の狙いもぼかし、その新曲も「天皇あっての国民であり国家です」を織り交ぜた復古調の歌詞で・・・そんな嵐の熱演に「雅子妃も感激で涙した」との報道まで・・・「感激の涙」って誰が決めたの?だって「君が 笑えば 世界は 輝く」と常に「笑み」を強いられるお二人は私にはお気の毒で、無理言うな!です。その上「大丈夫」「大丈夫」のリフレイン・・・う~ん、これって失敬じゃないの?って。



 

 天皇即位にかんするお祝いイベントをテレビを始めとするマスコミがこぞって報道するのは、為政者にとって計り知れない政治的効果があるからでしょう。それが証拠に街の声として「パレードを観て日本人に生まれて本当によかった」とか「おめでたいことに立ち会えて幸せ」と善男・善女が口を揃えています。

 

 今は昔の昭和12年、盧溝橋事件から泥沼の日中戦争への時代、詩人・金子光晴は植民地支配や戦争に狂喜する日本人に愛想を尽かし、詩人として最後の鬱憤と社会批評を詩に叩き込みました。詩集「鮫」におさめられた「おっとせい」です。日本ファシズムの感性と国家による個人への干渉を、豊潤かつ痛烈に解剖し、憂いたオットセイ国・日本の閉塞感は、元号が2度変わった現代ても・・むしろなりふり構わずかつ巧妙に・・・の感もしてきましたが「アンタは詩人でもないのだから身の丈に合ったことを感じなさい」と文科大臣センセイに叱られそうです。