2019年9月2日月曜日

杉浦醫院四方山話―591『杉浦醫院・伝統文化教室〈もみじ寄席〉』

 杉浦醫院2階の座学スペースを会場に伝統文化教室を開催していますが、月ごと深まる庭園の紅葉を楽しみながらの『もみじ寄席』が、今年も9月から12月まで毎月一回開催されます。

この教室は山梨落語研究会と協働での開催ですが、終了時のアンケートでも「来年も是非」との声に応え、内容を工夫しながら継続し今年で4回目となります。


 今年は、研究会の代表でもあり人気の紫紺亭圓夢さんが落語を始めて丁度50年の節目の年に当たるそうで、記念の写真集編纂も進行していることから、圓夢さんにフル出演いただき、十八番の古典落語と中入り後は「圓夢の落語人生」を幼少篇・青春篇・壮年篇・終活篇と4回に分けて話していただくこととなりました。


  圓夢さんが落語を始めて50年、言ってみれば「落語一筋この道50年」ですから、これはなかなか真似できない偉業でもあると思います。

確か、今年は東名高速道路が全線開通50年との新聞報道がありましたから、50年前の日本の状況を思い返すと50年と云う歴史の重みをあらためて感じます。

 

 下の写真は、鹿島建設のHPに掲載されている50年前の日本の一般的な道路の状態です。

 

雨が降れば、ズブズブにぬかるみ、これが乾けばデコボコ道になり、車のエンジンも止まり、居合わせた人が協力して「押しがけ」して、エンジンがかかればラッキーと云った写真です。

 

 思えば当たり前だった「押しがけ」も現在では見ることもありませんから「押しがけ」も死語となっています。いつからか免許もAT車限定も出来ましたが、4速、5速のMT車主流の時代、タイヤが回転する力を使ってエンジンを掛ける方法が「押しがけ」でしたから、坂道では簡単にかかったエンジンも上のような道では・・・・でした。

まあ、AT車やCVT車は、タイヤからの回転力をエンジンに伝える事が出来ない構造ですから、「押しがけ」は出来ませんしミッションの故障原因にもなり姿が消えたのですが、立ち往生して困っている運転手に自然に人が集まっての「押しがけ」は、人の情にもあふれていました。

「この道50年」の圓夢さんには、写真集共々この50年を題材にした新作落語の創作も期待してやみません。