2017年5月11日木曜日

杉浦醫院四方山話―504『衛生車 TROY - スミ331』-2

  GHQ専用車両は、国鉄の優良車両を接収した当時の日本では最新鋭の客車だったことは、前話のとおりですが、GHQはその客車を目的に応じて改造を命じたそうです。

「衛生車 TROY - スミ331」は、医療検査と研究が目的でしたから、長野工機部が1946年(昭和21年)に車種スハ32642を改造して製作したものです。

 下の写真のように客車であった車種スハ32642の座席はすべて撤去され、両サイドの窓際に並行して机や消毒器、その上には収納棚などが設置され、客車の面影はありません。

「放射能影響研究所所蔵写真」から
 

 甲府駅に置かれた「寄生虫列車」と呼ばれたGHQ専用車両は、「寝台車」「食堂車」「研究車」の3両編成だったと聞いておりましたが、正確には4両編成だった可能性もあることが分かりました。


 早坂元興氏が「鉄道ジャーナル」に2回に分けて連載した記事によると≪スミ331は付随車とペアを組んで運用されていた≫そうです。

ペアの付随車には、発電機や空気圧縮機、ボイラーなどが設置されていて、屋根には水タンク2基があり、スミ331の研究車両に電気や水を供給していました。更に、ジープ一台も積載されていたそうですから現地視察用のジープの運搬車も兼ねていたのでしょう。

 

 1945年8月15日の敗戦のわずか12日後には、GHQ406医薬補給部の軍医が杉浦醫院にジープで乗り付け、三郎先生に日本住血吸虫症の治療方法の伝授を依頼に来ていますが、この付随車が完成したのは1946年8月31日だそうですから、GHQ406医薬補給部のあった神奈川県相模原市からジープを運転しての来訪だったことも分かります。その後もジープに乗ったアメリカ人が杉浦醫院によく来ていたそうですから、甲府駅の付随車に積載されていたジープが機動力を発揮していたのでしょう。


 この付随車両は、「ホミ801」と呼ばれ、改造前の車種は「ワキ700」と云う海軍専用車両だったことから、もともと窓のない車両を生かして改造されたようです。車両の長さも他の車両より短く窓もなかったことから、スミ331と一体で合わせて一両とカウントされていたのかもしれません。

また、スミ331とホミ801のペア車両改造製作の目的は、地方病の研究にではなく、米軍が広島に投下した原子爆弾の被爆調査だったというのが真相のようですが、どのような経緯で甲府駅に常駐して、地方病の調査・研究に使われたのか?その辺の詳細を伝える資料には未だ行きつきません。