2017年4月30日日曜日

杉浦醫院四方山話―503『衛生車 TROY - スミ331』-1

 先に何度かご紹介した敗戦後、甲府駅に停車していた「寄生虫列車」について、機関車名など正確な情報が分かりましたので、お知らせしようと調べていくと「車両」にまつわる歴史や背景など複雑多岐にわたり、とても生半可な学習では要約できないことが分かりました。

 まあ「分からないことが分かれば上等」と云った慰めもありますから、一つずつ整理できたことから順次お知らせしていくことで、最終的に全容がお伝えできれば・・・と思い直し書き始めてみます。

 

 下の写真が、「寄生虫列車」と呼ばれた「衛生車 TROY - スミ331」 の全景で、「奥野利夫氏撮影客車写真1」から拝借したものです。

 
 

 先ずこの段階で「奥野利夫」氏の客車写真の枚数と分類に驚かされてしまい、奥野利夫氏について知ろうとネット頼りに検索していくと奥野氏に続く鉄道写真家の地道な撮影と記録に唸ってしまいました。

参考までにその一つにリンクを貼っておきます。

 このように、「奥野利夫」氏を通して分かったことの一つは、いわゆる「鉄ちゃん」と呼ばれる鉄道愛好家は、大きく「撮り鉄」と「乗り鉄」に分類されいるということでした。「撮り鉄」も「乗り鉄」も読んで字のごとくですが、鉄道関係の写真を撮影する「撮り鉄」でも列車や電車の車両を追う者と駅や鉄道グッズを追う者など更に分化しているようです。

 

 要は奥野利夫氏は、「撮り鉄」の元祖的な存在がだったのだな・・ということも見えてきました。氏が撮影し残した多くの写真を後年まとめたのが「奥野利夫氏撮影客車写真1」であり「同2」へと続いているのでしょう。

 更に奥野氏の写真の撮影年月日は「1950年(昭和25年)」前後が中心ですから、敗戦国日本に進駐した連合国総司令部(GHQ)が日本の鉄道をGHQの管理下においた時代です。

ですから、当時の列車の写真集は、日本の鉄道史上大変まれな(超レアな)写真と云うことにもなります。

 

 それは、GHQの輸送司令部は日本の国有鉄道(国鉄)に対し、保有する優良客車を接収し、用途に応じた改造を命じ、それらを専用列車として独自のダイヤで運転するよう要求したそうです。この連合軍に接収・改造された客車群を撮ったのが奥野利夫氏だった訳で、氏の写真を元にした記録誌や書籍も入手困難な貴重品になっているようです。

 

 1950年(昭和25年)前後は、敗戦にともなう旅行自粛も解除され、鉄道需要も急増し出した中、優良客車は接収されましたから、戦争中の酷使により疲弊していた客車ばかりの当時の国鉄の車両は、悲惨な状態だったそうです。これに対し、GHQ専用客車は、色も茶色に塗り替えられ、横には白線が一本通り、当初は白線上に「U.S ARMY」もプリントされたそうですが、連合軍にはイギリス軍も入っていましたからクレームが付き消されたそうです。

このように「衛生車 TROY - スミ331」始めとするGHQ専用客車は完全整備され、敗戦国の日本人には近寄ることもできない豪華客車として羨望と畏怖の対象だったことも分かりました。

 

 この調子だと『衛生車 TROY - スミ331』は、いつまで続くのか?ですが、70年以上前、占領下の日本や山梨の当時について「GHQ専用客車」を柱に振り返ってみるのもあながち無駄なことでもないように思いますので、お付き合い下さい。