2017年5月24日水曜日

杉浦醫院四方山話―506『地方病認知度調査』

 昨年、一般社団法人「比較統合医療学会」が、山梨県民を対象に行った日本住血吸虫症についての認知度調査の結果が、過日の山日新聞で報じられました。


 この調査によりますと南アルプス市の中学生で、地方病と呼ばれた日本住血吸虫症について「知っている」と回答した中学生は、何と1パーセントだったそうです。


 その報を受けて、山日新聞の論説委員が一面下段のコラム「風林火山」で、この実態についての感想を記していました。

2年生の地域探検に続き、今日は西条小学校の4年生が「総合の学習」で地方病を学習に来館しました。


 この一連の報道に接し、あらためて「山梨県の郷土史」についての問題を提起せざるをえません。

 

 明治14年から平成8年まで、1世紀以上に及んだ地方病との闘いの歴史は、山梨県の近現代史で最大かつ貴重な歴史物語を内包しているにもかかわらず、山梨県内の社会教育や生涯学習機関では、郷土史と云えば相変わらず「武田信玄」関係が八割以上を占めているのが実態です。

昨年、県外の放送局が「何だこれ!ミステリー」と、地方病と終息に至る過程をミステリーな病と歴史として全国放映しました。この番組を観て、来館された方の多くは県外からの方々でしたから、奇病とされていた時代「死に至る病」だった歴史が、「地方病は山梨の恥部」と云った固定観念となり県民にも定着しているのが原因なのでしょうか?


 物事や歴史には必ず二面性があるのは常識ですが、「死に至る病」と云う側面だけでなく、行政のみならず住民も一体になって「協働」で終息させた山梨の地方病終息史にもっともっと光をあてるべき時代ではないでしょうか?

どこの自治体でも「協働のまちづくり」をキャッチ・フレーズに掲げているのが現代です。行政が音頭を取らなくても住民が区長を代表に「御指揮願い」を県令に訴えて始まった地方病対策は、終始「協働」の「まちづくり」の歴史でもあります。その側面から、それぞれの市町村の取り組みを掘り起こし、現代に繋げていくのが真っ当な郷土史の学習ではないでしょうか?


 山梨近代人物館では、地方病の先駆者として当館の杉浦健造氏が唯一取り上げられています。県内初の人体解剖を申し出て、新たな虫卵の発見に結びついた明治時代の杉山なか女や虫体を発見した三神三朗氏。治療と予防に生涯をささげた杉浦三郎氏から林正高氏まで日本の医学史上も欠かせない多くの先駆者がこの病と格闘してきました。

また、県内保健所の検便師から薬袋氏始めとする県衛生公害研究所の方々の奮闘など決して杉浦健造氏ひとりが武田信玄よろしく引っ張った歴史でないことに地方病の歴史伝承の価値もあるように思います。


 「もはや、地方病は終わった」として、昭和40年代後半には、山梨の学校教育からも地方病は消えました。現在の父親・母親の世代も学校では地方病を学んでいませんから、上記の認知度も「さもありなん」と云う数字です。新聞記事には、当館の存在が昭和町の中学生の認知度には反映されている旨の指摘もありましたが、県内の資料館としては、最後発の当館が地方病伝承を掲げた唯一の資料館です。「その存在意義を発揮して、山梨の地方病の歴史を地道に伝承していこう」と励みにもなった認知度調査の結果でもありました。