2014年11月26日水曜日

杉浦醫院四方山話―380『昭和9年の新聞-1 広告 』

 杉浦醫院には、健造先生が東京銀座・江木写真館で撮った額入り顔写真が、診察室を見守るように飾られています。来年度オープン予定の「山梨近代人物館」の準備作業を進めている県立博物館の学芸員が、健造先生のこの写真をスキャンするために来館しました。



 初めてこの額を降ろして中の写真を出しましが、写真の裏には額との厚さ調節に何枚かの新聞紙が入っていました。

下の写真は、昭和9年2月20日付けの東京朝日新聞の全面広告です。

 何時の時代も広告の命は見出しであることに変わりなく、ドーンと「迫る!試験地獄」のコピーに「すし詰め教室」で勉学に励む「生徒諸君」の写真で受験競争の深刻さを表出し、この「受験準備戦線」に勝ち抜くには「健康保持の秘訣」が必要であるとさりげなく謳い、「ブルトーゼ錠」が効く!と云うコンセプトで、「生命の源泉」でもあるブルトーゼ錠の連用で「如何なる難関をも突破せられよ」と結んでいます。

 この全面広告は、現在の「藤沢薬品工業」の前身「株式会社藤澤友吉商店」が出していますから、「親子数代で愛飲しているブルトーゼ錠」と銘打って、引き続き発売されているのが薬効かと思うのですが、私の世代(団塊)でも「ブルトーゼ錠」は記憶にありません。

殺菌剤として中国等で戦う兵士の水あたりなどの特効薬として愛用された「忠勇征露丸」が、戦後「正露丸」となって現在に引き継がれていますが、その服用については物議も醸していますから、戦前の栄養補給剤ブルトーゼも食糧事情が一変した現代では「信じられない薬」だったのかも知れません。


 健造先生は、昭和8年9月10日に村葬で送られ67歳の生涯を終えていますから、診察を見守る健造先生の写真額は、引き継いだ三郎先生が、約半年後の昭和9年2月20日以降に掲示したことが、この新聞で判明しました。