2014年7月3日木曜日

杉浦醫院四方山話―348『帛紗(ふくさ)』

 「今では、結納も略式になったり、結納無しも多いようですが、私たちの時代では結納に欠かせない帛紗(ふくさ)は、どこの家にもありましたが、こんな立派な帛紗は、矢張り杉浦先生の所は違いますね」と、柳沢さんが解説してくれた「立派な帛紗(ふくさ)」は、ご覧のとおりです。

 

   婚姻により、両家が親族となる「結」びを祝い、贈り物を「納」め合う儀式を「結納」と云いますが、男性から女性へ、と云うより男性家から女性家へ、帯や着物地などに鰹節やスルメなどの縁起物を添えて納めるのが一般的だったようです。現代では、帯や着物の代わりに結納金を贈るようですが、これも家と家の結びつきよりも個人と個人の結びを重視する時代の流れでしょう。                                    

写真の杉浦家帛紗は、結納品の上に掛けて納める為に使われたものです。ですから、帛紗は、もとは贈り物を届けるとき、その道中で日除けやチリで汚れるのを避けるためのホコリよけだったようで、まあ別格の風呂敷といったところでしょうか。

 

江戸時代になると競って立派な物が作られるようになり、元禄の頃には裏も付けて、最高の裂で作られるようになりました。当初は覆いキレとして使われていた帛紗も贈り物が形式化し、盛んになると美的要素を加味した差別化が図られ、贈り主の心が伝わるよう様々な絵柄の帛紗が次々に作られました。

 

 杉浦家の帛紗は、写真のように三越呉服店の三番頭稲垣氏が納めた物であることが包み紙からわかります。三越が、「三越呉服店」と称していたのは1927年(昭和2年)までですから、明治もしくは大正時代のものと考えられます。健造先生と三郎先生は多くの仲人をつとめられたそうですから、結納に使うというより慶事に杉浦家からの贈り物に使われた帛紗のようです。

 図柄も「鶴は千年、亀は万年」の鶴・亀が、「円満に」と云うことでしょう丸く円形に描かれています。純子さんは「こんな田舎ですから、お帛紗の下は、お米やお餅が多かったですよ」と笑っていますが、御餅の上に掛けられたこの帛紗で「メデタシメデタシ」感も倍増したことでしょう。