2014年6月1日日曜日

杉浦醫院四方山話―339 『常盤ホテル-山梨巡幸2-』

 「甲府の迎賓館」がキャッチフレーズの湯村の常盤ホテルには、同級生の次男坊と高校の水泳部で二年先輩の長男(現社長)がいたこともあって、「天皇家の宿」と云うより質実剛健のSさんの家といったイメージが強く、「ハテ、昭和22年当時からそんな宿だったのか?」と、先ず知りたくなりました。


 小学生の頃、S君の家でもあるホテルのプールで泳ぐのが楽しみでしたが、プールには特別高貴な客が泳いでいた記憶もありませんでしたから、昭和30年代は、湯村温泉街入り口のホテル位に思っていました。それは、やはり同級生の造り酒屋の息子O君が、「常盤ホテルは、昔からずっとウチの酒を使っていたから知っているんだけど、あそこは元々山交が馬車の時代、馬返し場所だった所で、褒められた所じゃないよ」とコケにしていたのも一因です。


 そんな訳で、初めて「常盤ホテル」のホームページも見て、常磐ホテルの歴史を正確に知りました。そこには、「昭和天皇御巡幸 ご宿泊(昭和22年10月)」の写真もしっかり残っていました。 また、田んぼや畑の中の昭和35年当時の航空写真「ホテル全景」もあり、懐かしく拝見しましたが、確かに当時、「甲府の奥座敷」として栄えた湯村温泉郷は、右折した通り一帯が中心でしたから、常盤ホテルの場所は、0君指摘のとおり、駅からの折り返しスペースだったこともうかがえます。

昭和天皇御巡幸

                    

 そこには、「皇室御宿泊御記録」もあり、「昭和19年の梨本宮殿下、陸大関係」に始まった皇室関係者の宿泊が記録されています。その下の「常盤ホテルのあゆみ」をみると、「新館」や「離れ」の新築・増築が続き、現在の常盤ホテルに至っていることが分かります。創業が昭和4年ですから、期せずして杉浦家の新館である病院棟新築と同じ年だったことになります。

 

 一昔前は、宮内庁に品物を納入していた業者に与えられた名称「宮内庁御用達」と云う単語も一般的に使われていましたが、どういう経過で廃止されたのかは知りませんが、いわゆるロイヤル・ブランドとして、常盤ホテルもお墨付きを得てきましたが、皇室関係の来館、宿泊には畳替えや特別料理などさぞ氣もお金も使われてきたことでしょう。

 

 そうそうロイヤル・ブランドと云えば、同級生の常盤ホテル次男坊S君は、車のロイヤル・ブランド・ポルシェやフェラーリの所有者として世界的に著名です。「笹本健次的ブログ生活」と云うサイトでもその辺のカーライフを語っていますから、S君でなくてもいいのですが、彼が率いて、宿泊は常盤ホテルで甲斐路をクラッシック・カーが走るイベントも定着しています。