2013年6月5日水曜日

 杉浦醫院四方山話―243 『歴史家 色川大吉氏』

 北杜市大泉に在住の歴史家・色川大吉氏は、今年88歳になりますから、杉浦純子さんと同級生と云うことになります。
 東京経済大学の教授を退任後、「八ヶ岳南麓には、自分に合う温泉が多かったから」と山梨に移住して現在に至っていますが、登山やマキ割で夏に鍛え、冬になると地元のスキー場では「爆走老人」と呼ばれる程の猛スピードで、颯爽と滑り降りる色川先生の姿が毎日のように見られるそうです。

 執筆や講演、地域活動でも現役で、近刊も二冊出ましたが、一冊は、昭和町立図書館の新着本コーナーに入っている日本経済評論社刊「色川大吉歴史論集 近代の光と闇」です。 色川先生らしい歯切れの良さで「歴史」についての貴重な証言に引き込まれ、あらためて「歴史家」と云われる所以や自覚について考えさせられました。

 昭和天皇の弟で古代オリエント史学者の三笠宮崇仁(たかひと)氏とは、東大文学部で共に歴史を学んだことから、天皇制の是非について2人で対談した内容も披露されています。三笠宮は「天皇制は憲法にあきらかなように、すべて国民に任せるという気持です。国民が望まない場合、天皇制は無くなってもよいと思います」と言い「昭和という元号についてはどうですか」と色川氏が尋ねると「西暦にしたらよいですよ。元号はなにかにつけ、とても不便です」とリベラルな三笠宮の思いも紹介されています。

 表紙に宮沢賢治の写真があるように近代の「光」として宮沢賢治を「闇」として麻原彰晃を取り上げ、「その時代、歴史が人間に強いる重みと辛(つら)さ」についての語りおろしは、色川先生の歴史、時代を鋭く観る眼と人間への温かい眼差しがひしひしと感じられる内容でした。

 これは、同じ歴史家の故網野善彦氏への厳しい批判にも繋がります。     近現代史が専門の色川先生が、中世史について一切語っていないのは、語るに値する研究をしていない自覚があるからで、東大の3年後輩だった中世史家の網野氏が、晩年日本の近現代史について多くを語り、残した著書の内容について、色川先生の評価は低く、「網野を疑ってかかることから、歴史家網野善彦への真の理解もはじまる」と温かく突き放す姿勢も圧巻でした。
 
 米寿を迎え知力、体力とも益々お元気な色川先生の講演会≪日本の進路と日本国憲法≫が、近々甲府で開催されます。特に日本国憲法制定にかかわった日米関係者の詳細なデータと歴史事実についての証言は、近現代史家・色川大吉氏のライフワークジャンルとも云うべき専門性ですから「日本国憲法」を考える上でも欠かせない講演会となるでしょう。
 
山梨平和ミュージュアム主催 色川大吉講演会 
≪日本の進路と日本国憲法≫
 
  と き   6月16日(日)13時30分~16時30分
   
    ところ  甲府市朝気1-2-2 県男女共同参画推進センター            
 講 師   色川大吉氏(歴史家 東京経済大名誉教授)