2011年12月4日日曜日

杉浦醫院四方山話―98 『水腫脹満病薬』

先週の土曜日、東京葛飾区にお住まいの男性から電話があり、これから甲府に向かい訪問したいが、甲府駅からのバス便は?と問われました。公共交通機関の整っている東京では、日常の足として自動車も必要ないので「甲府駅からのバスは?」は、もっともな問い合わせでした。結局、身延線国母駅からタクシーで見えましたが、お一人で、ここだけを目的に訪れるには、それなりの理由と情熱があってのことでした。館内を見学しDVDも鑑賞した後、「いくつかお尋ねしたいことがある」というので、唯一暖房可能な旧看護婦室の事務室に案内しました。
 自己紹介から東洋医学の研究に携わっているというW氏は、日本住血吸虫症が、武田家の滅亡を伝える『甲陽軍鑑』にも記載されていたことから興味を持って調べ出したそうです。W氏は、「戦国時代からこの地方には、患者がいたようなので江戸時代の漢方薬の開発からすれば、近代医学以前の地方病患者にも治療や投薬が施されてきたはずなので、それを調べているんですが・・・目黒寄生虫館にも行きましたが、その辺の資料はないと云うことで、学芸員から甲府盆地の杉浦医院に行けば、何かあるかもしれない」とアドバイスされての来訪でした。
 「杉浦家は、江戸初期から医業を営んできましたから、当然、漢方医で漢方薬を扱ってきたものと思いますが、その具体的な資料やモノは見つかっていません。ご指摘のとおり、患者がいた以上何らかの治療や投薬はしていたはずですから、西洋医学での原因究明と治療法の確立だけでは、片手落ちですね」と応え、「これを機に県の機関等にもあたり、資料等あったら連絡します」とこの件は「宿題」とさせていただきました。

当館所蔵のスチブナールパッケージ
 寄生虫の大御所、カイチュウ博士の藤田紘一郎氏には、昭和町の文化講演会でも講演いただきましたが、医学博士・永倉 貢一氏=「むし」が書いているブログ「むしの無視出来ない虫の話」も大変面白く、分かりやすい「寄生虫」の話が満載です。その中で、長倉氏は「江戸時代初期にも、中巨摩郡竜王村(甲斐市竜王町)付近で、水腫脹満病薬というものが盛んに販売されていたとされるので、古くからこの病気が甲府一帯に蔓延していたことは確かです」と書いています。展示資料収集過程でも「盛んに販売されていた」と云う「水腫脹満病薬」の実物を入手して、展示出来たらと県立博物館等にも問い合わせて探しましたが、近代医学の「スチブナール」以前のものはありませんでした。
杉浦家土蔵には江戸時代のモノや資料類も残っていましたから、もう一度、探してみようと思いますが、当ブログを読まれた方で、奇病とされていた時代の地方病とその治療や薬についてご存知の方は、「加持祈祷」も含め、ご教示くださいますようお願いいたします。