2017年10月3日火曜日

杉浦醫院四方山話―520『草一本生やさない・・・』

 杉浦純子さんと同級生で、地方病で杉浦醫院にも通ったという塚原省三さんは、永く杉浦健造・三郎父子の語り部としてもご尽力いただいて来ました。「実際この病院に通われた方を紹介して欲しい」と云うNHKの要請で、塚原さん宅に伺いました。


 90歳を過ぎた塚原さんは「足が弱って、田んぼの水見も自転車で行くようになったからもう、俺なんかダメさよー」と謙遜しましたが、きれいに手入れされた庭を指さして「ほれでも屋敷には草一本生やさんように今も頑張ってるさ」と、昔から屋敷には草一本生やさなかったと云う誇りを持続していることを知りました。

杉浦醫院に隣接する若尾巌さん宅も塚原さん同様いつも草一本生えていないきれいな庭ですから、ちょっとおおげさに言うとこの地の方々に共通する美学かと思います。それは、屋敷に限らず田畑も同様ですから「篤農家」と云われる所以でもあるのでしょう。


 現在ほど除草剤が一般化する以前は、篤農家の方々は冬の寒い時に田畑の土を耕し、土を冷気に当てることで、春から夏の草対策をしていたという話を聞きましたが、そうだからこそ草一本にも目が向き、その都度抜いて「草一本生やさない」庭や田畑が当たり前になっているのでしょう。


  一方、昭和天皇だったと思いますが「雑草という植物はない」と言った言葉に代表される自然のままの庭を良しとして敢えて雑草を処理しない美学(?)もあります。同様に自然農法と云われる農業を実践している方は、いわゆる雑草は抜かずに刈って有機肥料となるよう田畑にそのまま寝かせているそうです。当然、除草剤や化学肥料は使わないでしょうから、都会の消費者には「安全安心の野菜・果物」として人気もあるようです。

 

 まあ、現代では有害食品としてやり玉に挙がっている合成着色料まみれの食べ物を駄菓子屋でおいしく食べて育った私には、その辺の価値観はピンときませんが、広い当館の庭園に生える夏草に対処しきれず除草剤を撒くと確かに枯れた後の茶色の光景は、雑草の緑の方がまだマシだったなと後悔しますから、自然農法の方が・・・とすぐ素直にブレます。


 塚原さんや若尾さんの庭や田畑が茶色の光景になっているのを一時でも見たことがありませんから、「草一本生やさない」庭の極意を伝授していただきに再度伺おうと思います。