健造先生は、人力車で往診していましたが、夜の急患を診た帰り道、当時の夜道は真っ暗なうえに舗装されていないデコボコ道だったことから、人力車がひっくり返り、健造先生は投げ出され、大怪我をし、この事故が元で・・・・。
三郎先生は、運転しての往診では、診察に集中出来ないと考え、免許は取らずに運転手に任せていました。現在、私たちが事務室として使っている「看護婦室」が、夜は運転手の「宿泊室」を兼ねた6畳間でした。
三郎先生が購入した「ダットサン」は、黒塗りで、日本の「ものづくり力」を象徴したデザインは、今も斬新で美しく、特にヒップが上品です。 押原小学校の校医として、学校検診にもダットサンで来たことをよく覚えている築地のNさんは、「運転手が、毛叩きでいつも磨いていたのでピカピカだった」「触るとビリビリしびれた」と昨日のことのように話してくれました。自動車がめずらしい時らこそ記憶も鮮明なのでしょう。自動車は、数千パーツの部品から出来ていることから「その時代の流行や産業力の総体」を丸ごと醸してくれるように思います。河口湖に「自動車博物館」があるように、現存する古い車を「文化遺産」として保存していくことも意味あることだと思います。
*館内にダットサンと共に健造・三郎父子が正装しての記念写真が展示してあります。