2016年4月14日木曜日

杉浦醫院四方山話―471 『宮入慶之助記念館だより 第23号』

 特定非営利活動法人宮入慶之助記念館が定期発行している「宮入慶之助記念館だより」の23号が届きました。毎号、記念館や日本住血吸虫症、ミヤイリ貝に関係する記事で構成されていますが、今号には巨摩共立病院名誉院長の加茂悦爾先生の原稿が載っています。
  限られた字数の中でしょうが、先生の研究生活とこの病気との係わりや今は無き「山梨医学研究所」の歴史など書き残しておかないと消えてしまう内容ですので、全文を転載します。
 

 『日本住血吸虫宮入貝感染実験当時の思い出』  

巨摩共立病院名誉院長 加茂悦爾

 

 私は昭和31年に信州大学を卒業、昭和32年に山梨県立病院第一内科に勤務しました。

当時の肝硬変末期患者の治療法は、腹水除去のみでした。

巨摩共立病院は、甲府盆地西側の南アルプス市桃園に所在します。ここに私が来て間もない昭和42年に、山梨県で「地方病(日本住血吸虫症)の神様」と言われていた杉浦三郎博士との出会いがありました。同先生から「今までの仕事をまとめて学位を取りなさい」と勧められました。

 

 私は故郷で開業医になるつもりでいたので学位取得は念頭にありませんでしたが、卒業後十年にして母校の病理学教室の研究生になりました。

そして、毎週金曜日に大学に通い「日本住血吸虫性肝硬変は自己免疫疾患か?」という仮定のもと、数年間の動物実験に携わる事になりました。

それには、寄生虫学と順応生化学両教室の絶大なご支援を頂きました。

 

 巨摩共立病院は職員数約千名の公益法人山梨勤労者医療協会の一病院で、そこの旧伝染病棟を改築して本県における難病解明のために「山梨医学研究所」が昭和52年に開設されました。

その目的は、本県で高死亡率の肝硬変・肝がんは日本住血吸虫やブドウ酒に起因するのではないかを、更にリュウマチの病因も解明する事にありました。

 

 草野信男元東大病理学教授を所長とするこの研究所は病理・生化学・寄生虫の三部門から成り、二台の電子顕微鏡や冷暖房完備の動物飼育室などがありました。

私は研究所前庭の一角に宮入貝飼育池を設置し県予防課地方病科の米山係長の協力や研究所職員数名の協力により集めて来た貝をその池で飼っていました。

 

 私が急性日本住血吸虫症患者を診察したのは、昭和38年が最初にして最後でした。昭和40年ごろから本県における検便の虫卵検出率は激減し、本症の診断には皮内反応と直腸生研が不可欠となりました。

学位取得後も私の研究は続き、諸種の実験動物を飼育しました。宮入貝感染法、皮内反応試薬の作成、COP検査などには、国立予防衛生研究所や山梨県立衛生研究所の大きな協力をいただきました。

 

 残念ながらこの法人は、昭和58年に130億円の債務超過をもって倒産し、研究所は閉鎖され、私の研究生活は終わりました。

診療生活に移って14年後の平成7年に、債務は7千人の債権者に全額返済され、その翌年に私は退職しました。

 

 私自身にとって実体顕微鏡下に観察し得た宮入貝感染状況は驚きであり、これを8mm映画に撮って置きました。このフィルムは昨年2月に私が宮入慶之助記念館を訪問したことが機会となり、映像とともに説明を加えてデジタル化されたDVDとして生き返りました。

いくつかの大学で学生の教育や一般講演にも使われているようです。

多くの方々に喜ばれたことは、偶然の事とは言え、私の望外の喜びとなりました。