2014年8月7日木曜日

杉浦醫院四方山話―357 『現代虫取り考』

  暑いのが当然の8月、杉浦醫院を囲む木々で止むことなく続く蝉のコーラスが時に一層暑苦しく感じさせる毎日ですが、蝉の声同様子どもの声も甲高く、庭に子どもが来たことを知らせてくれます。

 子どもの遊びもネットゲームなど室内化して・・・の指摘通り、夏休みに虫を追いかける子どもの数は確かに減少し、虫取り網と虫かごの定番セットで友達と連れ立って杉浦醫院庭園に来る子どもの顔も限定的です。

蝶やトンボ、ハチだけでなく、コンナ虫もいます。

 私も蝉の抜け殻やホタルの産卵を見るにつけ、哀れさや儚さと云った無常観が先立つ歳のせいか、山へ虫取りに行きたいと思うこともなくなって久しくなり、毎日飽きずに湯村山に登った子ども時代がウソのようですから、もっと楽しい遊びがあれば、そちらに夢中になったのかもしれません。

そう思うと、自分自身がそうであったから、現代の子どももみんな虫取りが好きだと思うのは身勝手で、より高度なゲームが簡単に出来る現代では、虫取りは魅力のないダサい遊びとなっているのでしょう。

 

がしかし、虫取りには室内やバーチャルでは学べない副産物があることを伝承しておかなければなりません。

 

 仲間にも自慢できる自分だけの虫を獲るには、発見と勇気、知恵が必要なことを学びました。

それは、早朝から夕方までの子どもの時間では、いくら探し回っても似たり寄ったりの虫しか獲れませんが、大人の時間、そう夜になると大物が獲れると云う発見でした。

発見した以上、怖さを我慢して暗い山道に入る勇気が必要になり、それでも一人では…と云う時は、友達を引っ張り込む知恵や昼のうちに下見して目星を付けておくと云った知恵も自然に付きました。

何より、若くして夜な夜出歩くことの楽しさを発見したのが一番かと思いますが、出歩く先が木々のざわめきやケモノらしき影がちらつく真っ暗闇の山でしたから、緊張の連続が充実した時間にもなり、捕まえた虫よりも夜のコピッとした山徘徊が目的化していったようにも思います。


それからすれば、後年出没したネオンの灯る怪しげな暗闇など何ということもなく、より怖そうな刺激が欲しくなったのも虫捕りの副産物だったように思い、虫捕りは「好奇心も育む」と言っていいかと思いますが、私の場合「向上心は付きませんでした」と自他とも認めるところです。