2013年9月21日土曜日

 杉浦醫院四方山話―273 『新渡戸稲造と山梨-1』


 先日、新渡戸稲造や後藤新平について研究している甲府市在住の植松永雄氏が来館されました。植松氏の来館は、杉浦醫院の館内見学ではなく、杉浦家の新渡戸稲造の軸にありました。
174話「新渡戸稲造の書」でも紹介しましたが、座敷のお軸を季節ごとに掛け替えている純子さんは、中秋の名月前後は、この新渡戸稲造の軸を掛けていますから、植松氏の訪問にも座敷に案内して観てもらうことができました。
新渡戸稲造が残した掛け軸
植松氏は、収集した資料も持参して、現在解明したい課題についても説明してくれました。
 
 説明によると、山梨県内にある新渡戸稲造の書は、三点だけだそうです。その一点が杉浦家の軸の書で、「間違いなく新渡戸先生の書ですね」と感激の対面をしました。
 
 もう二点は、下部ホテルのロビーに現在も飾られている「ようこそ旅人よ この地が疲れた足を癒す格好の場所です」の英語の書(写真上)と身延聖人茶屋玉屋旅館のギャラリーにある矢張り英語の書(写真下)です。
 

 植松氏によると、この二点の英字書は、昭和4年に新渡戸稲造が身延山に来たとき投宿した際、宿の要請で書いたものだそうです。クリスチャンだった新渡戸稲造は、カナダ人女性と結婚しましたから、乞われて書いた書には英字の物が多く残っているのも特徴です。

 植松氏は、杉浦家に残る「秋の月」を詠んだ書の真贋といかなる経路で杉浦家にあるのかを確認するのが目的の訪問でしたから、経路について、純子さんに聞くと「祖父の代の物であることは聞いていますが、祖父が購入したのか書いていただいたのかは分かりません」とのことでした。

 そこで、植松氏は、資料を広げ「この写真のこの方が健造先生であれば、昭和四年に身延山に来た折、杉浦先生が地元の名士として新渡戸先生一行を案内し、そのお礼にこの書が贈られたことで、ぴったり一致するのですが」と自論を語りました。
 身延山中での記念写真の先頭にいる人物が健造先生ではないかと云うのですが、私の直感では「違うな」でしたが、純子さにも観てもらいました。「目が弱ってちょっとよく見えませんから、省三さんならしっかりしていて分かると思いますよ」と塚原省三さんに委ねられました。

  その後、館内を見学した際も植松氏は展示してある写真を覗き、「この方は?」と健造先生の写真を指差すので「真ん中は健造先生です」と答えると「じゃぁーさっきの写真の方とそっくりじゃないですか」と再度、記念写真を取出し「晩年の健造先生だと思います。顔の骨格が同じですよ」と指摘されましたが、結局「近くにお住いの塚原さんに観てもらい結果を報告しますから、連絡先をお願いします」で、写真の人物の特定は持越しになりました。
 それでも「今日は大変な収穫がありました。明日は、身延山に行きます。今度、新渡戸稲造の研究者で有名な拓殖大学の〇〇先生と一緒に来ますから・・・」と帰路につかれましたが、高校教員を退職後、ライフワークとして、明治・大正期の著名人と山梨のかかわりを研究されていると云う植松氏の後ろ姿は、とても活き活きとしているのが印象的でした。