2013年8月29日木曜日

杉浦醫院四方山話―267 『浮世絵師・中澤年章-2』

 右の写真が最終ページの初版と再版の挿絵です。川に入ってミヤイリガイを採集する青年と左手に松明(たいまつ)を持って採ったミヤイリガイを焼き殺す二人組のミヤイリガイ撲滅活動の挿絵が、再版では、下の絵のように変わっています。この差し替え理由は、ミヤイリガイ採集のリアリズムの問題かと思われます。                                          上の絵では、流れる川の中でミヤイリガイを採っていることになりますが、カワニナは水の中に居ましたが、ミヤイリガイは川辺や土手などの湿地帯に潜って生息していましたから、採集するには、川に入っても流れる水の中ではなく、川から土手に向かっていなければ、コイかフナでも採っているように見えるというものでしょう。
改訂された下の絵では、陸上で水辺の採集ですから、合格と云う訳でしょう。

 更に、燃え盛る松明片手に立つ青年は「防火上問題だ」とか、「舎弟を顎で使っている感じ」…と云ったクレームがついたのでしょう。
改訂版では、3人が座した同列の高さで、順番にミヤイリガイを採り、火の番も怠っていないと云った無難な構図に変わっています。

 この挿絵は、1864年中巨摩郡布施村(現中央市布施)に生まれた中澤年章と云う浮世絵師の作品です。江戸に出て歌川派の大家・月岡芳年に師事し、内弟子を経て独立する際、芳年の「年」を授けられ「年章」としたという正統派です。
 前話の改訂版で外された裸の男性の絵も浮世絵の役者絵の表現技術と雰囲気が色濃く残さていますし、今回の初版絵もどこか芝居絵風で楽しめますが、山梨県医師会付属山梨地方病研究部の発行ですから、挿絵にもより正確さを求めた結果でしょう。

 初版、改訂版とも奥付には、挿絵の作家名・中澤年章の記載はありません。絵本形式でこれだけの枚数の挿絵を描いた作家名を表示しないというのも不思議ですが、描き直しを命じられた中澤年章の矜持でしょうか、改訂版の最終ページ右下には、初版には無かった「年章描」のサインがしっかり読み取れます。